猿江

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猿江

Sarue
日本
都道府県 東京都
特別区 江東区
地域 深川地域
人口
2016年(平成28年)1月1日現在)[1]
 • 合計 5,765人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
135-0003
ナンバープレート 足立

猿江(さるえ)は、東京都江東区の地名で、旧深川区にあたる深川地域内である。

概要

深川地域東部の中でも数少ない江戸時代以前から陸地が広がるエリアであり、「深川猿江」の名で長く親しまれている町である。

地理

深川地域の北東に位置し、墨田区菊川)との区境にあたる。

河川

歴史

1923年大正12年)9月1日関東大震災では地区のほとんどが甚大な被害を受けたほか、1945年昭和20年)3月10日東京大空襲でも工場地帯であったため、本所区と並んで深川区アメリカ軍の標的の中心となった場所としても知られている。

1934年(昭和9年)に、深川東町の一部、深川猿江裏町の一部、深川猿江町、深川本村町の一部、深川上大島町を合併し深川猿江町とし、1968年(昭和43年)に猿江となった。町並みは江戸時代長屋の町割りの名残で、細い路地が碁盤の目のように縦横に交差し、通りの左右に住宅が間隔を狭めて並んでおり、当時の様子をしのばせるものとなっている。

地名の由来は、1058年頃(康平)に「源義家臣猿藤太」と書かれたを着た武士の遺体がこの地に流れ着き、住民たちが祠を建て手厚く弔ったという伝説に由来する。海岸に面した漁師町だったとされ、既に江戸時代では猿江村と呼ばれていたことが当時の地図などからうかがい知れる。

施設

行政
公園
  • 猿江一丁目公園
  • 猿江二丁目公園
施設

交通

鉄道
道路

画像一覧

関連項目

脚注

外部リンク