夢の島
夢の島(ゆめのしま)は東京都江東区の地名で、城東地域内である。
郵便番号は、136-0081である。
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[編集] 概要
江東区の町としての「夢の島」は、人工島である東京湾埋立14号地のうち、湾岸道路より北の部分を占める。夢の島公園が区域の大部分を占める。
14号地のうち湾岸道路より南は新木場1丁目〜4丁目である。北は夢の島大橋で新砂と繋がる。西は曙運河を挟んで辰巳、東は荒川を挟んで江戸川区臨海町である。
[編集] 地勢
夢の島地区はほとんどが公園、スポーツ施設、公共施設で占められ、湾岸道路より南に隣接する新木場とは違って一般企業のオフィスや住宅はない。夢の島及び運河を隔てて西に隣接する辰巳は非常に緑地が多く、特に夢の島公園は東京都内有数の緑地面積を誇り、海に浮かぶ緑の島の様相を呈している。
東京港へも近く、夢の島のすぐ側にある首都高速湾岸線やJR京葉線は千葉県浦安市、船橋市、千葉市方面へも直結している。りんかい線の新木場駅もあるので、品川台場へのアクセスも近い。また、夢の島大橋を隔てて深川の下町地区も近い。
地区の西寄りを南北に明治通りが通り、通りの西側には夢の島競技場、夢の島運動広場がある。明治通りの東側は大部分が夢の島公園で、園内には東京スポーツ文化館、東京都立第五福竜丸展示館、夢の島熱帯植物館があり、地区の東端近くには新江東清掃工場、夢の島マリーナ、少年野球場などがある。周辺の埋立地には倉庫や工場が立ち並び、東雲や豊洲、潮見などの高層マンション街・ビジネス街もある。
[編集] 歴史
戦前の1939年(昭和14年)、東京湾に飛行場建設のために埋め立てられ始めたのが始まりである。飛行場が完成することなく2年後の1941年(昭和16年)には資材不足で工事は中止され、しばらくの間は海水浴場として賑わっていた。
1950年代、東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。それ以降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。
埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、東京都立夢の島公園が開園。整備が進み、ごみの島という雰囲気を感じさせることはなくなっていった。現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わっており、京葉線の開通などにより身近な人気スポットとして親しまれている。
正式に江東区の町名となったのは1975年(昭和50年)3月1日である。当時は「丁目」の設定がなかったが、2009年(平成21年)11月1日に住居表示が実施され、夢の島一・二・三丁目となった。
[編集] 名称の由来
埋立当時、飛行場が建設される予定であった。戦後間もない頃には遊園地などが計画されるようになる。そのせいもあってか、当時のマスコミのうちのいくつかは「夢の島」とこの地域を呼んでいた。これが自然のうちに定着したかのようで、1969年(昭和44年)には正式な行政地名としてこの名が採用された。
[編集] 施設・観光
- 東京都立夢の島公園
- 江東区夢の島陸上競技場
- 夢の島熱帯植物館
- 東京スポーツ文化館(旧・夢の島総合体育館)
- ゆめのしま海の駅
[編集] 夢の島の名を引き継いだ島
本来の夢の島は旧14号地だが、ゴミ処分場として有名になったため、その後のゴミ埋立地も「夢の島」と呼ぶことがある[1]。
- 夢の島 - 14号埋立地(江東区)(1957年〜1967年埋め立て)
- 新夢の島 - 若洲 15号埋立地(江東区)(1965年〜1974年埋め立て)
- 三代目夢の島 - 中央防波堤内側埋立地(帰属争い中)(1973年〜1987年埋め立て)
- 四代目夢の島 - 中央防波堤外側埋立地(帰属未決定)(1977年〜埋め立て)
- 五代目夢の島 - 新海面処分場(帰属未決定)(1999年〜埋め立て)
なお、夢の島の1つ前の13号地は、西にある台場である。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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