清川虹子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。153.173.123.131 (会話) による 2016年3月29日 (火) 21:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク: WP:ELNO)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

きよかわ にじこ
清川 虹子
本名 関口 はな
生年月日 (1912-11-24) 1912年11月24日
没年月日 (2002-05-24) 2002年5月24日(89歳没)
出生地 日本の旗千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市
死没地 日本の旗 日本神奈川県川崎市高津区
職業 女優
ジャンル 舞台・テレビドラマ・映画
主な作品
映画
映画『サザエさん』』シリーズ
楢山節考
アニメ映画
平成狸合戦ぽんぽこ
受賞
勲四等瑞宝章(1990年)
テンプレートを表示

清川 虹子(きよかわ にじこ、1912年11月24日 - 2002年5月24日)は、日本の喜劇女優。本名は関口 はな(せきぐち はな)。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身[1]

人物・略歴

1924年に、東京府東京市神田区の淡路尋常小學校を卒業、神田高等女學校に入学したが中退。

1928年川上貞奴主宰の児童劇団に入団。1929年、市民座に入り座員の中条金之助と結婚。1男を儲けるがのちに離婚した。

1929年山村聡主宰の新劇に移籍。

1933年、浅草で喜劇集団「笑の王国」に参加。

1934年、P・C・L(現東宝)製作の『只野凡児・人生勉強』でスクリーンにデビューした。

1942年、東宝社長の弟である大沢清治と結婚し、芸能界を引退したが、1947年に死別した。その後芸能界に復帰し、『サザエさん』シリーズなどに出演。

1952年新東宝の喜劇作品等で多数共演した伴淳三郎と結婚したが、伴のあまりの女癖の悪さのため1959年に離婚。ただし、伴とは彼の死まで交際は続いた。

1960年代後半から藤純子主演の『緋牡丹博徒シリーズ』や若山富三郎主演の『極道シリーズ』などに助演し東映仁侠映画でも活躍。

1983年、『楢山節考』に出演。70歳にして初ヌードを披露した。

1987年には芸団協芸能功労者として表彰された。

1989年友部達夫年金党に参加。第15回参議院議員通常選挙比例代表に出馬したものの落選。選挙運動での桃太郎コスプレが話題となった。

1990年勲四等瑞宝章を受章した。

2002年5月24日、この日の午前3時37分、肺出血のため神奈川県川崎市高津区[1]の病院で死去した。満89歳没(享年91)。

エピソード

  • 映画『サザエさん』で共演した江利チエミとは、公私にわたり親交のあった一人である。芸能界デビュー前に実母を亡くしていたチエミは、そのために清川を毎回「お母さん」と呼び、本当の母のように慕っていたという。しかしチエミは1982年2月に45歳の若さで急死、清川は大きなショックを受けながら「チーちゃん(チエミの愛称)、ウソでしょう…」と泣き崩れていた。
  • 平成狸合戦ぽんぽこ』では、アフレコで歌声を披露した。
  • 清川は日本初の女優の一人とされる川上貞奴の最後の弟子でもあった。

主な出演作品

映画

テレビドラマ

バラエティー

他多数

CM

著書

  • 恋して泣いて芝居して(主婦の友社、1983年)
  • みんな寂しいの だから笑って(佼成出版社、1987年)
  • 役者馬鹿 女の一笑 女の自叙伝(婦人画報社、1988年)
  • みんな死んじゃった(双葉社、1999年)

レコード

  • 運ちゃんのサバドビア(鈴木邦彦とハワイアンバンドを組んでいた経歴を持つ現役タクシー運転手(当時)・中沢信一とデュエット。1970年)

脚注

  1. ^ a b 喜劇女優、清川虹子さん死去”. ZAKZAK. 2010年5月11日閲覧。(松本町は松戸町の誤植)。

外部リンク