波風 (駆逐艦)
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艦歴(波風) | |
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計画 | 1918年度(八六艦隊案) |
起工 | 1921年11月7日 |
進水 | 1922年6月24日 |
竣工 | 1922年11月11日 |
除籍 | 1945年10月5日 |
その後 | 1945年12月1日特別輸送艦指定 1947年10月3日中華民国引渡 |
艦歴(瀋陽) | |
編入 | 1947年10月3日 |
除籍 | 1960年 |
その後 | 1960年解体 |
要目 | |
排水量 | 基準:1,215トン 公試:1,345トン |
全長 | 102.6メートル |
全幅 | 8.92メートル |
吃水 | 2.79メートル |
機関 | ロ号艦本式缶4基 パーソンズ式タービン2基2軸 38,500馬力 |
速力 | 39ノット |
航続距離 | 14ノットで3,600カイリ |
燃料 | 重油:395トン |
乗員 | 154名 |
兵装 | 45口径12cm単装砲4門 6.5mm単装機銃2挺 53.3cm連装魚雷発射管3基 (魚雷8本) 1号機雷16個 |
波風(なみかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型の14番艦(野風型2番艦)である。
艦歴
舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。1922年(大正11年)12月28日、神風型駆逐艦 (2代)「第一駆逐艦」(「神風」)と同じく第1駆逐隊に編入され、同型艦「野風」「沼風」とともに千島、北海道方面の交通保護に当った。
日中戦争に際して、1938年(昭和13年)以降、華北・華中の沿岸作戦に参加。
太平洋戦争では、主として北方において海上護衛、哨戒活動に参加。1944年(昭和19年)9月18日、択捉島南方で米潜水艦「シール」の雷撃を受け大破。「神風」に曳航され小樽で応急修理を実施後、舞鶴工廠で修理を行うと同時に、回天搭載艦への改造工事を1945年(昭和20年)2月1日まで行った。同年6月19日から宇部沖で「B-29」投下の機雷監視に従事。終戦を呉港で迎えた。
1945年(昭和20年)10月に除籍され、同年12月、特別輸送艦の指定を受け復員輸送に従事。その後、特別保管艦(賠償艦)に指定され、1947年(昭和22年)10月、中華民国に引き渡された。
瀋陽
中華民国海軍に編入後、「瀋陽」(Shen Yang)と改名。1960年(昭和35年)に退役、除籍され解体となった。
回天搭載艦
回天搭載艦とするため以下の改造が行われた。
- 主砲は1番主砲を残して撤去。
- 魚雷兵装は全て撤去。
- 1番缶を撤去し出力25,000馬力、速力29.5ノットへ変更。
- 25mm連装機銃6基、同単装(もしくは13mm単装)機銃8挺
- 艦尾にスロープを設け回天2~4基を搭載。
歴代艦長
艤装員長
- (心得)田尻敏郎 少佐:1922年7月20日 -
艦長
- (心得)田尻敏郎 少佐:1922年1月11日 -[1]
- 田尻敏郎 中佐:1922年12月1日 -
- 倉田七郎 中佐:1923年12月1日 -
- 郷田喜一郎 少佐:1924年12月1日 -
- 日台虎治 少佐:1925年12月1日 - 1926年12月1日 同日より予備艦
- (兼)佐藤慶蔵 少佐:1926年12月1日 -[1]
- (兼)小林徹理 中佐:1928年3月1日 -[1]
- 池田七郎 少佐:1928年12月10日 -
- 長谷部喜蔵 少佐:1929年11月30日 -
- 大森仙太郎 中佐:1930年12月1日 -
- 古村啓蔵 少佐:1931年12月1日 -
- 渋谷紫郎 少佐:1932年4月1日 -
- 瀬戸山安秀 少佐:1933年11月1日 -
- 山田勇助 少佐:1934年11月15日 -
- 岡田要造 少佐:1936年12月1日 - ※1938年12月15日より予備艦
- 矢野寛二 少佐:1939年2月2日 - (兼「神風」艦長:1939年4月1日 - 9月26日)
- 竹内一 少佐:1940年2月3日 -
- 平山敏夫 少佐:1940年10月15日 -
- 平田正明 大尉:1941年9月20日 -
- 中尾小太郎 少佐:1942年11月20日 -
- 石戸勇 少佐:1943年10月25日 -
脚注
参考文献
- 『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦Ⅱ、潮書房、1981年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
- 日本海軍人事手帳(?)