明治座

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明治座
Meijiza
明治座(東京都中央区)
情報
開館 1993年
客席数 1,368席
設備 場内:花道
その他:売店・飲食店
用途 歌舞伎演劇
運営 株式会社明治座
所在地 103-0007
東京都中央区日本橋浜町二丁目31番1号
浜町センタービル1~6階
位置 北緯35度41分16.68秒 東経139度47分12.77秒 / 北緯35.6879667度 東経139.7868806度 / 35.6879667; 139.7868806 (明治座
Meijiza
)
座標: 北緯35度41分16.68秒 東経139度47分12.77秒 / 北緯35.6879667度 東経139.7868806度 / 35.6879667; 139.7868806 (明治座
Meijiza
)
アクセス 交通を参照
外部リンク 明治座
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株式会社明治座
Meijiza Co., Ltd.
明治座定紋「丸に大和桜」
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
103-0007
東京都中央区日本橋浜町2丁目31番1号
設立 1950年昭和25年5月
業種 サービス業
法人番号 7010001058757 ウィキデータを編集
事業内容 演劇興行事業
代表者 三田芳裕(代表取締役社長)
資本金 2億円
発行済株式総数 400万株
売上高 連結:130億1,525万8千円
単独:73億1,715万2千円
(2010年8月期)
営業利益 連結:3億6,731万7千円
単独:3億8,073万1千円
(2010年8月期)
純利益 連結:△4億4,732万4千円
単独:△5億7,487万8千円
(2010年8月期)
純資産 連結:18億1,960万1千円
単独:13億9,638万0千円
(2010年8月31日現在)
総資産 連結:257億6,265万9千円
単独:221億1,139万8千円
(2010年8月31日現在)
従業員数 連結:394人、単独:151人
(2010年8月31日現在)
決算期 8月31日
主要株主 (株)銀座コリドー 10.62%
三田芳裕 5.83%
松竹(株) 4.25%
(2010年8月31日現在)
主要子会社 (株)明治座フードコミュニティー 100%
(株)エス・ピー・ディー明治 97.4%
関係する人物 初代市川左團次
三輪善兵衛
新田新作
三田政吉
三田芳裕
外部リンク meijiza.co.jp 明治座
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明治座(めいじざ、英語Meijiza)は、東京都中央区日本橋浜町二丁目にある劇場、およびこれを運営する企業の株式会社明治座(かぶしきかいしゃめいじざ、英語:Meijiza Co., Ltd.)である。

概要

明治時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などとともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。

1873年(明治6年) に喜昇座(きしょうざ)として創建された本劇場は、初期には焼失と再建を繰り返しながら成長し、その度に名称も久松座(ひさまつざ)、千歳座(ちとせざ)とめまぐるしく変わっていった。1893年(明治26年)に初代市川左團次が千歳座を買収して座元となり、これを明治座と改称するに及んでやっとその名が落ち着き、今日に至っている。

明治座は戦前から戦後昭和の一時期までは、歌舞伎新派の殿堂として知られた。また、大正時代の一時期は野球部を保有していた。[1]その後は時代劇公演や、時代劇俳優や演歌歌手など年配に好まれる芸能人座長となった歌謡ショー形態の公演(座長公演)が中心となった。2000年代に入るとテレビ局との提携による現代劇や観劇者の世代を引き下げたミュージカル形態の公演もおこなわれるようになった。舞台設備には、宙乗り装置も常備されている。各階のロビーには所蔵絵画が多数展示されており、美術館のような雰囲気を醸し出している。

1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼失した明治座は、その残骸をむき出しのまま放置されていた[2]。地元有志の間で明治座復興の気運が盛り上がり、1947年(昭和22年)3月に復興期成会が組織された[2]。明治座設立発起人準備委員会を開いたのは、復興期成会結成から3年近くも経った1949年(昭和24年)11月だった[2]。発起人総代に三輪善兵衛(ミツワ石鹸社長)、副総代に新田新作(新田建設社長)、準備委員に松坂屋の伊藤鈴三郎、松竹の大谷竹次郎などが名を連ね、料亭玄冶店 濱田家」を営む三田政吉も参加した[2]。建設は新田建設が請け負い、1950年(昭和25年)11月30日に開場に漕ぎ着けた[2]

1957年(昭和32年)に三田政吉が明治座代表取締役専務となり、同年に漏電のため焼失した明治座の再建に尽力する[2]。1993年に三田政吉は明治座代表取締役会長となる[2]。2002年から、政吉の長男である三田芳裕が社長を務めている[3]

また、福岡市博多区博多座で年1回の割合で舞台を制作しているほか、明治座グループとして俳優養成機関・明治座アカデミーの運営や、都内を中心に外食産業も手掛けている。

1993年には、再開発で建て替えた賃貸オフィスビル浜町センタービル低層階を占める形となっている。エスカレーターやエレベータを備え、客席には車椅子スペースの設置など、バリアフリーを導入している。

公演方式は他の劇場とは異なり、30分程度の幕間(休憩時間)を2回挟む。劇場内に大人数に対応した食堂や喫茶コーナーがあり、休憩時間を利用して客を誘導するシステムとなっている(食堂は一部事前予約制)。飲食店のほかにもロビーには売店が多数あり、公演にちなんだ土産品や衣料品雑貨などを販売している。

弁当製造部門は明治座本体が運営しており、江東区東砂に工場があり劇場で供されるほか、都内へケータリングも行っている。西京漬は単体で主力商品としている。

沿革

1873年(明治6年)に開場して以来、130年以上の歴史と伝統を誇る。戦前は松竹が経営していたが、戦後は新田建設の新田新作が中心となり、株式会社明治座を設立して運営。以降、基本的に自主興行を続けている。

  • 1873年(明治6年) - 久松町に喜昇座が開場。
  • 1879年(明治12年) - 大改築を行い、久松座と改称。
  • 1880年(明治13年) - 火災で焼失。
  • 1885年(明治18年) - 千歳座と改称して新築開業。
  • 1890年(明治23年) - 火災で焼失。再建。
  • 1893年(明治26年) - 初代市川左團次が千歳座を買収して座元となり、明治座と改称。
  • 1923年(大正12年) - 関東大震災で焼失。
  • 1928年(昭和3年) - 再建。
  • 1945年(昭和20年) - 東京大空襲で焼失。
  • 1950年(昭和25年) - 株式会社明治座設立。再建。
  • 1957年(昭和32年) - 漏電を原因とする火災が発生、再び焼失。
  • 1958年(昭和33年) - 再建。
  • 1990年(平成2年) - 老朽化で興行休止。
  • 1993年(平成5年) - 浜町センタービル内に創建から7代目となる新明治座が開場。

交通

鉄道

路線バス

ギャラリー

脚注

  1. ^ 大平昌秀著 異端の系譜 p51
  2. ^ a b c d e f g NPO法人東京中央ネット > 特集 > 今月の顔、三田政吉
  3. ^ 株式会社明治座 代表取締役社長/玄冶店 濱田家 代表取締役社長 三田 芳裕 氏”. まち日本橋:お江戸日本橋情報サイト. 三井不動産. 2013年7月28日閲覧。

関連項目

外部リンク