常呂郡
常呂郡(ところぐん)は、北海道オホーツク総合振興局に所属する郡。
人口11,690人、面積1,123.16km²、人口密度10.4人/km²。(2024年4月30日、住民基本台帳人口)
以下の3町を含む。
歴史
江戸時代の常呂郡域は西蝦夷地に属し、当初は松前藩によって開かれたソウヤ場所に含まれたが、その後分立したモンベツ場所に属した。江戸時代後期になると、南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え文化4年常呂郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり会津藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制に倣い常呂郡が置かれる。北海道北見国に含まれた。廃藩置県前の明治2年8月28日から明治3年10月まで広島藩の所領となっていた。
また、常呂郡では北見温泉や温根湯温泉などが古くから知られている。
- 1882年2月8日 - 廃使置県にともない根室県の所管となる。
- 1909年4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、常呂郡に野付牛村が成立する。(1村)
- 1915年4月1日(5村)
- 野付牛村から置戸村・武華村が分立。
- 野付牛村が一級村に移行。
- 北海道二級町村制施行に伴い、常呂郡に常呂村・鐺沸村が成立する。
- 1915年11月1日 - 鐺沸村が佐呂間村に改称。
- 1916年4月1日 - 野付牛村が一級町制施行し野付牛町となる。(1町4村)
- 1920年6月1日 - 置戸村から訓子府村(二級)が分立。(1町5村)
- 1921年4月1日 - 野付牛町から相内村・端野村(二級)が分立。(1町7村)
- 1921年6月15日 - 武華村が二級町制施行・改称し留辺蘂町となる。(2町6村)
- 1929年4月1日 - 相内村・端野村が一級村に移行。
- 1938年4月1日 - 留辺蘂町が一級町に移行。
- 1942年6月10日 - 野付牛町が改称・市制施行し、北見市となり郡より離脱。(1町6村)
- 1943年4月1日 - 佐呂間村が一級村に移行。
- 1943年6月1日 - 北海道一級・二級町村制廃止。常呂村・置戸村・訓子府村が内務省指定村に移行。
- 1946年10月5日 - 指定町村制廃止。
- 1948年4月1日 - 佐呂間村から若佐村が分立。(1町7村)
- 1950年1月1日 - 置戸村が町制施行し置戸町となる。(2町6村)
- 1950年11月1日 - 常呂村が町制施行し常呂町となる。(3町5村)
- 1950年11月15日 - 佐呂間村が紋別郡下湧別村(現・湧別町)字床丹を編入。
- 1951年11月1日 - 訓子府村が町制施行し訓子府町となる。(4町4村)
- 1953年4月1日 - 佐呂間村が町制施行し佐呂間町となる。(5町3村)
- 1956年9月30日(5町1村)
- 1961年9月1日 - 端野村が町制施行し端野町となる。(6町)
- 2006年3月5日 - 端野町・留辺蘂町・常呂町が北見市と合併し、北見市が発足、郡より離脱。(3町)