市谷田町

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市谷田町
市谷田町の位置(東京23区内)
市谷田町
市谷田町
市谷田町の位置
北緯35度41分45.88秒 東経139度44分17.7秒 / 北緯35.6960778度 東経139.738250度 / 35.6960778; 139.738250
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 新宿区
地域 牛込地域
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 993人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
162-0843[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬

市谷田町(いちがやたまち)は、東京都新宿区町名。現行行政地名は市谷田町一丁目から市谷田町三丁目。住居表示未実施。郵便番号は162-0843[2]

地理

新宿区東部に位置する。北部は、新宿区市谷船河原町に接する。東部は、外堀通りなどに接し、これらを境に千代田区九段北になる。南部は、新宿区市谷八幡町に接する。西部は新宿区市谷左内町・新宿区市谷砂土原町にそれぞれ接する。

市谷田町二丁目を牛込中央通りが通っている。

市ケ谷駅付近の外堀通り沿いの一角にあたる。通り沿いを中心にビルや商店が多く立ち並ぶ。道路から離れると、住宅も見られるようになる。

歴史

江戸時代には武家地及び江戸城の外堀に面した町人の居住地である市谷田町一丁目が置かれていた[4]。同二丁目にも武家地が目立ち、例えば土佐藩主の山内家は別邸として923.98坪の土地を所有していた。なお同地は土佐藩最後の藩主・侯爵山内豊範の長子であった山内豊景(同じく侯爵)により、1948年(昭和23年)10月に法政大学へ売却され[5]、現在は同校の市ケ谷田町校舎および大学院棟となっている[6]

江戸時代初期には豊島郡市谷領布田新田の百姓屋敷が元和9年(1623年)に外堀造成用に幕府の御用地として召し上げられたため、左内坂下に仮住まいをしていた[4]。外堀建設後、旧地が外堀の底になったため、布田新田の住人が外堀に町屋取り立てを願い出たものの、示された土地が佐渡殿原(現市谷砂土原町付近)、赤坂御門前の二か所だった[4]。この提案を不服とした住民は佐渡殿原の土を均し武家地として供出することを願い出た[4]。外堀脇の湿地にこの佐渡殿原や浄瑠璃坂下、逢坂辺りの土を落とし埋め立てた[4]

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
市谷田町一丁目 18世帯 30人
市谷田町二丁目 356世帯 613人
市谷田町三丁目 199世帯 350人
573世帯 993人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

丁目 番地 小学校 中学校
市谷田町一丁目 全域 新宿区立愛日小学校 新宿区立牛込第三中学校
市谷田町二丁目 全域
市谷田町三丁目 全域

交通

東京メトロ南北線および有楽町線市ケ谷駅の5番・6番出口(市谷田町方面出口)があり、市ケ谷駅で唯一のバリアフリー対応エレベーターも町域内にあり、利用可能な範囲にある。市谷田町三丁目では、隣の飯田橋駅も利用できる。

施設

出身・ゆかりのある人物

脚注

  1. ^ a b 住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2017年12月1日). 2017年12月22日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『新修 新宿区町名誌 ‐地名の由来と変遷‐』、新宿歴史博物館、2010年
  5. ^ 法政大学百年史年表 59頁(『法政大学百年史』所収)
  6. ^ 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡”. HOSEI ONLINE (2016年5月2日). 2020年11月3日閲覧。
  7. ^ 通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。

外部リンク