市原緑地運動公園臨海競技場
市原緑地運動公園臨海競技場 | |
---|---|
施設情報 | |
所在地 | 千葉県市原市岩崎536 |
位置 | 北緯35度31分40.45秒 東経140度4分17.79秒 / 北緯35.5279028度 東経140.0716083度座標: 北緯35度31分40.45秒 東経140度4分17.79秒 / 北緯35.5279028度 東経140.0716083度 |
開場 | 1993年 |
拡張 | 2003年 |
所有者 | 市原市 |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 105m×68m |
照明 | 照明塔4基 |
使用チーム、大会 | |
ジェフユナイテッド市原・千葉 (1993年-2005年) ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ 全日本女子選手権 全国高校選手権 | |
収容人員 | |
14,051人 | |
アクセス | |
五井駅西口よりシャトルバスで、「市原臨海競技場」下車徒歩1分 |
市原緑地運動公園臨海競技場(いちはらりょくちうんどうこうえんりんかいきょうぎじょう)は、千葉県市原市岩崎の市原緑地運動公園にある陸上競技場。市原緑地運動公園内にある。収容人数は14,051人。
概要
1973年千葉県で開催された若潮国体の競技場として利用されることもあったが、1992年よりJリーグ加盟のジェフユナイテッド市原のホームスタジアムとして使用される事が決定し、俄然注目が集まるようになった。
またそのため、暫定的工事によってJリーグが規定するスタジアムの規格に合わせたものになった。
仕様
- 日本陸上競技連盟第2種公認
- 収容人数 - 14,051人
- スタンドの構成 - メインスタンド:鉄筋コンクリート製 ゴール裏 : 芝生 バック:鉄骨製スタンド及び立見席
- バックスタンドは周辺に民家がある関係で大きいスタンドが作れないため、防音壁を立てるとともに、ジェフが主本拠地としていた時代には最前列は陸上用のアンツーカーを一部立見席に改良していた。
- トラック 400m×8レーン
- 照明設備:照明塔4基
- スコアボード:電光式 (バックスタンド中央、得点のみ 上部は簡易型フリーボードでチーム・選手名をロールテロップで表記している)
-
電光掲示板
-
メインスタンド
-
市原緑地運動公園臨海競技場外観
歴史
Jリーグ開幕にあたって、ジェフの前身である東日本JR古河サッカークラブは当初千葉県習志野市をホームタウンとし、ホームスタジアムとして習志野市秋津公園サッカー場を使用することを計画していたが、周辺住民がスタジアム周辺の騒音を理由に反対したため、JR古河はこのプランを白紙撤回し、千葉県内に新たなホームタウンを探す事になった。
困惑するJR古河に手を差し伸べたのは古河電気工業の千葉事業所がある市原市であった。ただし市原市がホームタウンに決定したのは1992年の5月であり、この時点でJリーグ開幕まで1年を切っていた(加えてJリーグ初年度への参加意思を確認するための応募締切直前でもあった)。従ってホームスタジアムとして使用する事になった市原臨海競技場の改修は急ピッチで行われる事になった。
この時の改修内容は、バックスタンドの設置、サイドスタンドの設置、バックスタンド前方に立見席を設定するための柵の設置、バックスタンド後方への防音壁の設置、サイドスタンドへの下へのトイレの設置などである。バックスタンド、サイドスタンドは仮設(鉄骨パイプを組み立てたもの)で、うちバックスタンドはJR東日本からの寄贈である。
改修工事は翌1993年5月15日のJリーグ開幕には間に合わず、ジェフのホームゲーム開幕戦(5月19日対ヴェルディ川崎)は国立霞ヶ丘陸上競技場で行われた。市原臨海での開幕戦は6月5日の対清水エスパルス戦(観客動員数9427人)である。この時点での収容人数は10000人であったから、殆どキャパシティー一杯であった。
更に、10月からは試合を開催しながらメインスタンドの収容人数を約5000人分増やす改修工事を始める事になり、翌1994年10月22日のベルマーレ平塚戦(観客動員数14635人)から使用された。この時点での収容人数は15338人で、ようやくJリーグの規格を満たす事が可能になった。また、この年の対V川崎戦(10月29日)の動員数14975人が市原臨海競技場の最多観客動員の記録となっている。
1995年までは市原臨海競技場の平均観客動員は10000人を超えていたが、1996年以降、交通アクセスの問題などが指摘されるようになり、観客離れが加速した。1997年には観客動員が5000人を下回る試合も多く、同5月7日のサンフレッチェ広島戦においてはわずか2245人と、当時のJリーグ最低記録も作られた。
この頃からスタジアムに対する批判が高くなり、ジェフサポーターは市原市に対してスタジアムの改修を要請したものの、市原臨海競技場に代わるはずであった県営スタジアムが、2002年ワールドカップの開催地から洩れたため、建設計画が凍結。また、市原臨海競技場の改修費用を捻出できないとの理由により市原臨海競技場を使用し続けなければならなかった。
この間、ジェフの成績は1998年から2000年まで3年連続残留争いを演じたものの、2001年は一転、1stステージ2位に躍り出た。しかし、2001年シーズンの観客動員が大きく伸びなかったことに対して、クラブは驚きを隠さず、ホームタウンのあり方に対して、市原市という選択肢を考え直し始めた。このような問題を解決するために最終的な方策として打ち出されたのが、市原市の隣、千葉市の千葉市運動公園市民球技場(当時。現在のフクダ電子アリーナ)を新しいホームスタジアムとしてジェフユナイテッド市原が使用するというプランである。危機感を強めた市原市は2002年-2003年のオフシーズンに改修計画を発表。当初、現在仮設で設置されているバックスタンド、サイドスタンドを取り壊し、新たに2層式のスタンド(2階席の一部に屋根を架設)を建設し、収容人数を20000人程度にする予定であったが、2003年8月にバックスタンドのみを改修するプランが示され、同年12月から工事が着工された。
2004年は開幕から数試合をバックスタンドを閉鎖した状態で行い、当初の予定より早い5月22日の対セレッソ大阪戦から供用が開始された。なおサイドスタンドの改修は同年ジェフが、2005年シーズン以降名称をジェフユナイテッド市原・千葉に改称する事に市原市が反発して以降、凍結された状態となっていたが、2006年より改修工事が開始される予定であった。
しかし、当初の計画していた改修工事に関し、Jリーグより今までより厳しい改修工事の条件を提示された。その条件とは、
- 観客席を2万人以上収容出来るようにし、席を全て一つずつに分けること (メインスタンド以外の席は、別れていない長いすのため)
- 客席の2/3以上覆える屋根を設置すること。
- 総座席数に対し、毎試合、観客席の8割以上の観客を動員すること
これに対し、市原市は「これ以上の財政支出は、市民の了解を得られない」との結論に達し、これから行う予定であったスタジアムの改修工事を断念。Jリーグからホームスタジアムとして使用自粛指示が出て、ジェフはそれまでホームスタジアムを市原臨海とフクアリで併用していたが、通達を受けて、フクアリに統一した。市原市はJリーグは開催しないとして両ゴール裏の仮設席を撤去、芝生席とした。ジェフユナイテッド市原・千葉はフクダ電子アリーナに移転し、ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズのホームスタジアムとなった。ジェフは2010年までフクアリと共に市原臨海を本拠地として登録していたが、2011年よりフクアリのみとなり市原臨海は本拠地登録から外れた。
2010年11月から命名権募集しており、2011年4月1日からの愛称変更が予定されていたが、命名権による改称はなされていない。
周辺施設
- はまぐりの碑
アクセス
- 自動車
- 国道16号線上にある。
- スタジアム周辺に無料駐車場が用意されている。