山口組三代目 (映画)

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山口組三代目
監督 山下耕作
脚本 村尾昭
原作 田岡一雄
出演者 高倉健
音楽 木下忠司
撮影 山岸長樹
製作会社 東映
配給 東映
公開 日本の旗 1973年8月11日
上映時間 88分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
次作 三代目襲名
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山口組三代目』(やまぐちぐみさんだいめ)は、1973年8月11日に公開された日本の映画。製作は東映東映京都撮影所)。

概要

当時の東映社長である岡田茂は『ゴッドファーザー』を見て気に入り、「日本で当てはめるなら山口組だ。これをやるのは自分しかない」と思い立った。そして直接山口組の田岡一雄組長と交渉し、映画化の約束を取りつけて製作したのが本作品である[1][2][3]。岡田は田岡とは「兄弟分」と言われるほど昵懇だったため[4]、このような映画の製作が可能だった。結果、『仁義なき戦い』を上回る記録的な大ヒットを飛ばしている[1][5]

製作経緯

原作

岡田は徳間康快と親しく[6][7]、「一緒に映画をやろう」という話になり[7]、小説化から映画化にあたり岡田が徳間を呼ぶと「頼む。これだけは俺にやらしてくれ」と飛びついてきた[1]、「本は徳間書店で出し、映画はウチでやって両方当たった」などと述べている[7]。徳間書店が刊行する『アサヒ芸能』で本映画と同名タイトルで連載されたのはこのため。後年の稲川聖城の半生記『修羅の群れ』も岡田と徳間でまず小説化を決めたもの。こちらも『アサヒ芸能』で連載された[8][9]。『修羅の群れ』の方は、岡田が大下英治に本を書かせたが『山口組三代目』の場合は原作者を作家にすると揉める恐れがあるため、原作は田岡の自伝という形にして、実際には『アサヒ芸能』の編集長をしていた人に書かせた[1]

映画化に向けての準備は本作の方が『仁義なき戦い』より先に進められており、東映としては3年越しの企画である[10]。1970年に飯干晃一が『山口組三代目』という同名の小説を書いており、1971年1月に東映はこれを映画化しようとしたことがあったが[10]、当時は世論の反対が強く中止していた[10]。また田岡も飯干の小説が自身の取材も全くなく、飯干の新聞記者時代のコネを使った警察サイドからの資料だけで書いていることに非常に怒った。また『山口組三代目』というのは固有名詞であり、勝手に本のタイトルに使われたとして、「飯干の原作では映画化はあかん」と話していた[11]。こうした経緯でその後も東映は田岡の自伝を映画化すべく周到に準備を進め、田岡一雄の息子・田岡満をプロデューサーにするなどして田岡一雄を説得し、「じゃあ、親父さん、本を書いてください」となって前述のように田岡一雄の自伝が『アサヒ芸能』で連載された原作を映画化したものが本作となる[11]

製作前は岡田茂社長と俊藤浩滋プロデューサーの確執がピークに達した時期でもあり、多少揉めたが、表面上は手打ちがなされ、仲直りの第1作として製作された[1][12][13]。俊藤は田岡の配下である菅谷政雄と盟友で、田岡満も映画企画者として本作から参加したこともあり、現場ではスムーズに撮影が進み[2][12]、『仁義なき戦い』第1作から第3作(代理戦争)と同じ1973年に公開された。 

東映の実録シリーズでは、モデルになった組や名前は、原作では実名でも映画になると名前が変更されるが、田岡本人から「自分の名前で行け」と要請があり[2]、実名で登場している[14]

実在の暴力団最高幹部をモデルにして、その自伝を美談調に脚色した内容に全国防犯協会連合会は「暴力団の最高幹部を礼賛する映画の製作、上映することに断固反対し、撤回してほしい」と映倫に申し入れたが、東映は製作を強行した[15][16]

キャスティング

田岡一雄を演じるのは高倉健[17]任侠映画でスターとなる以前、高倉は美空ひばりの相手役を多く務め、この関係でひばりの後見人である田岡一雄と知り合いだったとされる[5][18]
本作以降、山口組に関わる映画は田岡満が脚本のチェックを行った[2]。プロデューサーの日下部五朗は田岡一雄の女房役にはポスト藤純子で募集した中村英子を起用した(純子引退記念映画 関東緋桜一家#逸話[2]。中村はポスト藤純子の中でも最も期待されていた[11]。田岡満に「お母さんの役はこの娘で行きますよ」と紹介したらいつのまにか2人は結婚した[2]。ところが高倉健が「新人では夫婦になれん」と言うので松尾嘉代に変更になった[2]。俊藤が「絵ヅラ的に甘い」と交代させたともいわれる[11]。昔から夫人に世話になった経験を持つ古参幹部からは「姐さんの若いころに雰囲気がそっくりや」と評判がよかった[11]。ただ田岡一雄は「きれいすぎるなぁ」と言っていたという[11]

また田岡一雄自身、自分は任侠をまっすぐ貫いた侠客だと自負していたため、それまでの「実録もの」の監督より「任侠映画時代」の監督[19]がいいだろうと山下耕作が起用された[2]。山下は非常に温厚な人物だった[2]。 

興行成績

実存する組織と組長が実名で登場するという前例のない映画は、宣伝の必要もなく、映画は大ヒットした[20]。岡田社長は「後にも先にも宣伝も何もしないで、あんなバカ当たりした映画はなかった」と述懐している[1]。岡田は「この映画は暴力礼賛映画ではない」と説明したが[21]実際は田岡一雄組長をヒーローのように仕立てあげており[21]東映の観客調査の満足度は92%と、観客のほとんどは田岡組長の人間ドラマに感動したというデータが出た[21]

2本で終わった経緯

全国の映画館主からも続編の要望も出て[22]、根っからの活動屋で、儲けのためなら手段を選ばない主義ともいわれた岡田ゆえ[21]続編の製作は当たり前と思われたが[21]マスコミからの猛烈な批判が浴びせられた[22]。さらに新聞記者を大勢集めた前で「『ゴッドファーザー』がアメリカで出来て、日本でなぜ田岡一雄伝をやってはいけないんだ。説明してくれ」などと反論したことにより、さらに批判が増した[1][20]

続編の製作は岡田社長の判断に委ねることになったが[21]、当時の岡田は若手財界人のやり手として売り込み中でもあり、対応は行き詰った[21]。また『山口組三代目』では芸能界の実名人物は広沢虎造どまりであったが、2部以降になれば美空ひばりがいやでも登場することになる[22]かとう哲也の再逮捕でイメージが傷ついたひばりが続編を許すはずがなく、一旦は続編をあきらめた[22][23]。それまで当局はヤクザ映画に対して鷹揚で、昔は京都の太秦交番にピストルを借りに行ったこともあるくらいで、映画製作に関与するようなことはなかったが[20]『山口組三代目』が大ヒットして、タイトルを見てびっくりした警察が、東映の作る実録ヤクザ映画に対してにわかに目を光らせるようになったといわれる[20]。さらに、次回作制作阻止を狙った警察は、プロデューサーを務めていた田岡満を22件もの容疑で逮捕するが[24]、岡田は続編制作を決定し、『三代目襲名』として翌1974年8月に公開された[25]

警察は「東映が山口組に金を払って宣伝映画を作っていたのではないか」と睨み[26]、同年11月26日に兵庫県警捜査四課が警視庁応援のもとに東映本社、同関西支社、俊藤浩滋宅、田岡組長宅、ジャパン・トレード会社、同東京事務所の6か所を一斉捜査し、関係書類等多数を押収した[15][27][28][29][30]。実際に金を払っていたのは前売券を組に売りつけられていたヤクザの方だと判明すると[26][29]、今度は商品法違反、東映と暴力団の癒着、資金源に利用されたなど、何かと嫌がらせを続けた[15][31]

田岡を「任侠の徒」として描いた『三代目襲名』に対し、山口組への対策を強化し始めていた警察は快く思わず、世間の良識派を挑発するような刺激的なヤクザ映画を連発する東映を「いつか潰してやる」と息巻いていた[13]。警察とすれば潰滅を目標に掲げる山口組の映画が作られたことで面子をなくし、それが2本も作られたことで更に腹が立ち躍起になったといわれる[20]。警察はこれを契機に岡田と田岡の関係を明らかにして岡田を引きずり下ろすことが狙いだった[13]。岡田がムシャクシャした挙句、便所で浮かんだのが1975年に映画化された『県警対組織暴力』という映画のタイトル[30][29][32][33]。山口組のシリーズは当初三部作の予定で、3作目は『山口組三代目 激突篇』として1975年正月の興行を予定していた。しかし岡田はこれでは社員にしめしがつかず[1]、また世間を騒がせた責任をとるとして製作を断念、結果的に二部作になった[15][28][31][27][34]。代わりに同じ高倉健主演で製作公開されたのが『日本任侠道 激突篇』である。

その後

この後も東映は山口組の全国進攻を描いた映画を多数製作するが、山口組を題材にした映画が多く量産出来たのは、田岡一雄の息子・田岡満をスタッフに入れていたためである[2][35]。『山口組三代目』を製作する際に、岡田東映社長が田岡一雄に「田岡満さんをプロデューサーにして映画を一緒に作らせてほしい」と申し出ていた[11]。田岡がすべての脚本をチェックすることで、映画に取り上げられた組関係者に、「協力はしても反対はするな」と指示を出していたという[2]

スタッフ

キャスト

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h #波瀾、p220-227
  2. ^ a b c d e f g h i j k #高橋、p170-179、230-241
  3. ^ 石田伸也『高倉健と菅原文太 ここに漢ありけり』徳間書店、2015年、2頁。ISBN 978-4-19-863914-3 高倉健・菅原文太が共演した【封印された】任侠映画の決定版とは?山口組組長に一歩も引かず感心された東映「中興の祖」岡田茂525二木会 - 東京修猷会仁義なき戦い』シリーズなど「最後のドン 追悼・岡田茂 東映黄金時代を作った男」特集上映決定!新文芸坐にて
  4. ^ 525二木会 - 福岡県立修猷館高等学校同窓会 東京修猷会
  5. ^ a b 高倉健と山口組のディープな関係 健さんが田岡組長に奨学金提供を直談判!
  6. ^ 金澤誠『徳間康快』文化通信社、2010年、84-86、130-131頁頁。 
  7. ^ a b c 針木康雄「東映会長・岡田茂 メディアミックス時代の名プロデューサー『もののけ姫』の生みの親 徳間康快氏の死を悼む」『月刊経営塾(現・月刊BOSS)』、経営塾、2000年11月号、56-57頁。 
  8. ^ 『実話時代』2008年2月号、p9
  9. ^ #大下、p280-282
  10. ^ a b c 「山口組ものせられた"実録路線"東映の商才」『週刊朝日』、朝日新聞社、1973年6月1日号、36頁。 「日本映画紹介 高倉健主演の『山口組三代目』」『キネマ旬報』1973年7月夏の特別号、181-182頁。 
  11. ^ a b c d e f g #山平、p248-253
  12. ^ a b #任侠映画伝、p228-231
  13. ^ a b c #あかん、p324-328
  14. ^ 『アウトレイジ』はリアルじゃない? 東映ヤクザ映画の桁外れな歴史考察 サイゾーpremium」『サイゾー』2013年3月、2015年6月14日閲覧 
  15. ^ a b c d #田中、p260-263
  16. ^ 「映画界の動き 再びクレームが『山口組三代目』」『キネマ旬報』1973年8月上旬号、163、166。 
  17. ^ 健さん40年前のインタビューで「いろんな役をやりたい」
  18. ^ 「高倉健と山口組『侠の番外地』40年!"」『アサヒ芸能』、徳間書店、2014年12月4日号、36-39頁。 
  19. ^ 東映任俠映画を生み出した名監督・名プロデューサーたち - 隔週刊 東映任侠映画傑作DVDコレクション - DeAGOSTINI
  20. ^ a b c d e f #山平、p253-257
  21. ^ a b c d e f g 「銭かメンツか思案投げ首状態の東映社長」『サンデー毎日』、毎日新聞社、1973年9月9日号、136頁。 
  22. ^ a b c d 「批判の前に消えた山口組三代目続編」『サンデー毎日』、毎日新聞社、1973年9月23日号、44頁。 
  23. ^ #悔いなき、p190
  24. ^ 高倉健主演任侠映画 次回作妨害のためPが22件の容疑で逮捕山口組組長実子挙式 大物政治家や大スター列席の時代あった
  25. ^ 本来なら『山口組三代目襲名篇』になるところを当局の目を意識して自主規制したといわれる[20]
  26. ^ a b #鼎談書評、p206-211
  27. ^ a b 「映画・トピック・ジャーナル 東映『山口組』シリーズに終止符」『キネマ旬報』1975年1月特別号、196-197頁。 
  28. ^ a b #事件史、p202-209
  29. ^ a b c #高岩、p124-127
  30. ^ a b 緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(7)“刑事役”と“舟唄”を結ぶ線
  31. ^ a b #任侠映画伝、p232-235
  32. ^ #やくざなり、p82
  33. ^ 『新潮45』2004年9月号、p206
  34. ^ 黒沢清、吉見俊哉、四方田犬彦『日本映画は生きている』4、岩波書店、2010年、p280
  35. ^ #ヤクザが認めた、p134-141

参考文献・ウェブサイト

  • 田中純一郎『映像時代の到来』中央公論社〈日本映画発達史5〉、1980年。 NCID BN03002904 
  • 俊藤浩滋山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年。ISBN 4-06-209594-7 
  • 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年。ISBN 4-87932-016-1 
  • 笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社、2003年。ISBN 978-4104609017 
  • 『ヤクザが認めた任侠映画』宝島社〈別冊宝島922〉、2003年。ISBN 4-7966-3743-5 
  • 高橋賢『無法地帯:東映実録やくざ映画』太田出版、2003年。ISBN 4872337549 
  • 岡田茂『波瀾万丈の映画人生:岡田茂自伝』角川書店、2004年。ISBN 4-04-883871-7 
  • 山平重樹『任侠映画が青春だった』徳間書店、2004年。ISBN 419861797X 
  • 鹿島茂福田和也松原隆一郎『読んだ、飲んだ、論じた 鼎談書評二十三夜』飛鳥新社、2005年。ISBN 4870316854 
  • 大下英治『トップ屋魂:週刊誌スクープはこうして生まれる!』KKベストセラーズ、2009年。ISBN 4584131295 
  • 『衝撃の世界映画事件史』洋泉社〈別冊映画秘宝〉、2012年。ISBN 4862488382 
  • 高岩淡『銀幕おもいで話』双葉社、2013年。ISBN 4-5757-14-01-1 
  • 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年。ISBN 4-1637-68-10-6