大賀良平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yokosuka-No1 (会話 | 投稿記録) による 2016年4月3日 (日) 07:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

大賀 良平
生誕 1923年4月
日本の旗 日本 長崎県
死没 2006年6月25日
日本の旗 日本 東京都
所属組織 大日本帝国海軍
海上保安庁
海上警備隊
警備隊
海上自衛隊
軍歴 1942 - 1945(日本海軍)
1945 - 1952(復員省/庁、海保)
1952 - 1980(海自)
最終階級 海軍大尉(日本海軍)
海上幕僚長たる海将(海自)
除隊後 財団法人水交会会長
日本無線顧問
テンプレートを表示

大賀 良平(おおが りょうへい 、1923年大正12年)4月 - 2006年平成18年)6月25日)は、日本海軍軍人及び海上自衛官海上保安官である。海軍兵学校卒業(71期)。第12代海上幕僚長長崎県出身。

経歴

中学四年から海軍兵学校に入学した秀才であり、卒業後は軽巡洋艦阿武隈」に乗組み北太平洋の戦いに参加、キスカ島撤退作戦では、後の海上幕僚長の板谷隆一石田捨雄と一緒であった。大戦後半は、新鋭潜水艦「伊号第二〇二潜水艦」の航海長として勤務し、その戦力化に苦労した[1]終戦直後から、その経験を買われ第二復員省のもとで掃海作業に従事する。そのまま掃海部隊で勤務し続け、朝鮮戦争勃発に伴いGHQに指示により鎮南浦海州市沖合いにて掃海作業を実施する。その後も一貫して掃海畑を進み、海上幕僚監部においての勤務では掃海側から見た対潜作戦などに必要な装備や運用に貢献した。

略歴

アッツ島沖海戦キスカ島撤退作戦に参加
戦後は第二復員省の掃海部隊に残る

栄典

  • 勲二等瑞宝章 - 1993年(平成5年)4月29日

脚注

  1. ^ 朝雲新聞(昭和52年9月22日)「この人と十分間」
  2. ^ 官報本紙第4391号(平成18年8月1日)

参考文献

関連項目

外部リンク