千葉幸生

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 千葉幸生 七段
名前 千葉幸生
生年月日 (1979-02-11) 1979年2月11日(45歳)
プロ入り年月日 2000年10月1日(21歳)
棋士番号 237
出身地 東京都町田市
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 関根茂九段
段位 七段
棋士DB 千葉幸生
2018年2月7日現在
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千葉 幸生(ちば さきお、1979年2月11日 - )は、日本の将棋棋士関根茂九段門下、棋士番号は237。東京都町田市出身。妻は女流棋士千葉涼子

棋歴

2000年度前期の第27回三段リーグで優勝(2位は上野裕和)を果たし、10月1日付けで四段昇段(プロ入り)。

結婚直後の第62期(2003年度)C級2組順位戦で9勝1敗・2位の成績を収め、C級1組へ初昇級。同時に五段へ昇段。翌年度の第63期、C級1組で降級点を喫するが、第64期に勝ち越して、すぐ降級点を消す。

第36回(2005年)新人王戦で準優勝。決勝で渡辺明竜王(当時)に2-0で敗れた。

第48期(2007年度)王位戦でリーグ入り。丸山忠久鈴木大介に勝利するが、リーグ残留ならず。

2010年9月16日、第23期(2010年度)竜王戦6組昇級者決定戦準決勝で瀬川晶司に勝ち、勝数規定を満たして六段に昇段[1]。決勝戦では澤田真吾に敗れてこの時点での昇級はならなかったが、上のクラスの欠員補充のため追加で組まれた5位決定戦に回ることになり、同年10月29日に行われた対局で櫛田陽一に勝ち、5組へ初昇級。

第26期(2013年度)竜王戦5組の昇級者決定戦で佐々木勇気に勝ち、4組へ昇級。

第30期(2017年度)竜王戦の4組ランキング戦で決勝まで勝ち進み、3組への昇級を決めたが、決勝で佐々木勇気に敗れた。

2018年2月6日、第76期順位戦C級1組10回戦で片上大輔に勝ち、勝数規定を満たして七段へ昇段した[2]

第31期(2018年度)竜王戦3組ランキング戦の準決勝で飯塚祐紀を破り、2組への昇級を決め、決勝で斎藤慎太郎を破って3組優勝と決勝トーナメント進出を決めた。

第62期(2021年度)王位戦予選決勝で佐藤康光を破り、王位戦リーグ入り。糸谷哲郎を破るも残留はならなかった。

棋風

振り飛車党で、序盤の研究家としても知られ、若手の横山泰明佐藤和俊藤倉勇樹中村亮介との共著で、「新・振り飛車党宣言!」という著書を著している(千葉は2・3巻の著者)。

2007年度以降、矢倉戦法など居飛車を採用する将棋が増えており、2007年度は先手番の矢倉で6戦全勝している。

人物

  • 2003年5月、女流棋士碓井涼子と結婚。
  • 2005年度のNHK杯戦で、本戦出場を果たす。このとき、妻の涼子は司会(解説聞き手役)として出演していた。1回戦で島朗八段(当時)に勝利し、2回戦で森内俊之名人(当時)に敗れる。夫婦揃って感想戦に参加する光景がテレビに映る、ということが“実現”した。
  • 趣味は囲碁

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1993年4月 6級 = 奨励会入会
  • 1998年8月 三段 … 1998年度後期から三段リーグ
  • 2000年10月1日 四段 = プロ入り
  • 2004年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 2010年9月16日 六段(勝数規定・五段昇段後120勝)[1]
  • 2018年2月6日 七段(勝数規定・六段昇段後150勝)[2]

主な成績

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

著書

出典

  1. ^ a b 千葉幸生五段が六段に昇段”. 日本将棋連盟 (2010年9月17日). 2018年2月8日閲覧。
  2. ^ a b 千葉幸生六段が七段に昇段”. 日本将棋連盟 (2018年2月7日). 2018年2月8日閲覧。

外部リンク