別宮大山祇神社
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別宮大山祇神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 愛媛県今治市別宮町3丁目6-1 |
位置 | 北緯34度4分7.45秒 東経132度59分42.42秒 / 北緯34.0687361度 東経132.9951167度座標: 北緯34度4分7.45秒 東経132度59分42.42秒 / 北緯34.0687361度 東経132.9951167度 |
主祭神 | 大山積大神 |
社格等 |
大山祇神社別宮 旧県社 |
創建 | 大宝3年(703年) |
別名 | 三島地御前 |
札所等 | 新四国曼荼羅霊場40番 |
例祭 | 5月10日 |
別宮大山祇神社(べっくおおやまづみじんじゃ)は、愛媛県今治市にある神社。伊予国一宮の大山祇神社の別宮。旧社格は県社。新四国曼荼羅霊場40番札所。
概要
今治市中心部、国道317号に面して鎮座する。瀬戸内海の大三島に鎮座する大山祇神社の別宮である。
往時には本社と並ぶほどの威容を誇っていたと伝えられている[1]。戦国時代造営の拝殿は、愛媛県の有形文化財に指定されている。
四国八十八箇所の55番札所は大三島の大山祇神社であったが、鎌倉時代以後は当社付属の別当寺・光明寺が札所とされた。明治初年に現在の南光坊として分かれ札所も移ったが、現在でも境内は隣接している。
祭神
- 大山積大神 (おほやまつみおおかみ)
- 大山祇神社からの勧請。本社同様、社名と祭神の表記は異なる。
歴史
社伝によれば、大宝3年(703年)、越智玉澄[2]が文武天皇の勅命により大三島・大山祇神社から祭神を越智郡日吉郷に勧請し、大山祇神社の別宮(地御前)としたのに始まる。
和銅5年(712年)に社殿が造営された(これをもって創建とする説もある)。以後、大山祇神社の社家・大祝家の分家の別宮氏が神職を勤めた。
正治年間(1199年-1200年)、大山祇神社の24の僧坊のうちの8坊が別宮に移され、別当寺・大積山光明寺を称した。それまで四国八十八箇所の55番札所は大三島の大山祇神社であったが、参拝不便のため別宮大山祇神社(光明寺)が札所とされた。
天文20年(1575年)、落雷で社殿が炎上し、天正3年(1575年)に来島通総により再建された。僧坊8坊は天正年間(1573年-1592年)に長宗我部氏の軍勢により焼き払われ、後に南光坊のみが再建された。
明治初年の神仏分離で南光坊が独立。昭和20年(1945年)、今治市街地は米軍の空襲を受けて当社の社殿のほとんども焼失したが、拝殿は焼失を免れた。
境内
- 本殿
- 拝殿 : 天正3年(1575年)、来島通総による再建時のもの。桁行5間、梁間4間、一重、切妻造檜皮葺。享保4年(1719年)には前拝全部が増築された。昭和37年(1962年)、解体修理がなされた。愛媛県の指定文化財[3]
- 鳥居 : 額には「日本総鎮守 三島地御前」と記載
摂末社
阿奈波 神社 : 祭神は磐長姫大神(大山積大神の長女)、大三島の阿奈波神社の別宮。- 奈良原神社 : 祭神は楢原山(旧越智郡玉川町)山頂の奈良原神社分霊、奈良原神社の氏子全員が離村して今治市内に移ることになったため、当社境内に分霊を勧請した。
- 清高稲荷神社
- 荒神社 : 祭神は三宝荒神・大穴牟遅神、社殿は寛政6年(1794年)、摩利支天宮として建てられたもの。
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阿奈波神社
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奈良原神社
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清高稲荷神社
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荒神社
主な祭事
- 1月
- 歳旦祭 (1月1日)
- 2月
- 祈年祭 (2月17日)
- 初午祭 (旧2月初午日)
- 5月
- 例大祭 (第2土曜日)
- 7月
- 輪越(夏越)祭 (7月29日)
- 11月
- 新嘗祭 (11月23日)
- 12月
- 除夜祭 (12月31日)
文化財
- 愛媛県指定有形文化財
- 拝殿 - 昭和40年3月29日指定
- 今治市指定有形文化財
- 理海尼の石灯籠 - 昭和59年4月14日指定
- 絵馬「白馬の図」 - 昭和40年12月22日指定
- 今治市指定天然記念物
- クスノキ - 昭和49年7月6日指定
前後の札所
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
- 周辺
脚注
参考文献
- 『日本歴史地名大系 愛媛県の地名』(平凡社)今治市 別宮大山祇神社項
- 『大三島詣で』(大山祇神社社務所発行)別宮大山祇神社項、南光坊項
関連項目
- 大山祇神社 (今治市大三島町) - 本社
外部リンク
- 別宮大山祇神社(愛媛県神社庁)