余丁町

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余丁町
厳嶋神社(抜弁天)
厳嶋神社(抜弁天)
余丁町の位置(東京23区内)
余丁町
余丁町
余丁町の位置
北緯35度41分47.1秒 東経139度42分56.72秒 / 北緯35.696417度 東経139.7157556度 / 35.696417; 139.7157556
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 新宿区
人口
2019年(令和元年)12月1日現在)[1]
 • 合計 4,185人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
162-0055[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬

余丁町(よちょうまち)は、東京都新宿区町名[4]。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示実施済みの地域。郵便番号は162-0055[2]

地理

新宿区東部・牛込地域に属する。北で若松町、東で河田町、南で住吉町、南西で市谷台町、西で富久町、北西で新宿五丁目に接する。

地価

住宅地の地価は、2017年平成29年)の公示地価によれば、余丁町12-24の地点で64万5000円/m2となっている[5]

歴史

旗本組屋敷であったところで、この町が4条あったので東大久保四丁目と呼んでいたが、1872年大久保前町と合併したのをきっかけに縁起の悪い「四」を改めて大久保余丁町とし、1911年に余丁町となった。この当時の小字として「抜弁天」が挙げられる。「大久保」と付いていることからもともと大久保村であり、大久保村の中では唯一東京15区発足時から区部(牛込区)であった町である。坪内逍遥永井荷風の住んだ町でもある。 住居表示実施に伴う町名整理で「東新宿」となる予定であったが、住民の運動[6][要出典]により1986年に余丁町のまま住居表示が実施された。

世帯数と人口

2019年(令和元年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
余丁町 2,556世帯 4,185人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

番地 小学校 中学校
4番3~7号
5番1~5号
5番12~14号
新宿区立富久小学校 新宿区立新宿中学校
その他 新宿区立余丁町小学校

交通

鉄道

当地の北辺の地下を都営地下鉄大江戸線が通っている。当地内に駅はないが、若松河田駅東新宿駅が利用できる。

バス

道路

史跡

施設

新宿区立余丁町小学校は北隣の若松町に属し、当地内にはない。

脚注

  1. ^ a b 住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2019年12月1日). 2019年12月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P879
  5. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  6. ^ これを契機に、この運動から一部有識者が参加した全国的な「全国地名保存連盟」へと発展していくことになる。
  7. ^ 通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。

関連項目

外部リンク