京阪260型電車

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260型1次車

京阪260型電車[1](けいはん260がたでんしゃ)は、かつて京阪電気鉄道(京阪)が保有していた大津線用の電車路面電車車両)である。

概要

1957年から1968年の間に26両が100型・200型の機器を利用して製造された。製造が長期にわたることから、登場時期によって4種類の形態が存在した(本項では便宜上、製造グループ別に記述する)。

登場当初は京津線の急行・準急[2]に用いられ[3]大津線の主力となったが、500型600形の増備に伴い両数を減らし、晩年は石山坂本線で主にラッシュ時用に使われていた。

1997年の大津線昇圧時に、余剰及び老朽化のため最後の8両が廃車され形式消滅した。

形式名が260という中途半端な数字であるのは、かつて本線に土運貨車改造の小型車250型が存在していたためである。

製造グループ別の詳細

1次車

当形式で最後まで残ったグループ。1957年に261 - 267の7両がナニワ工機[4]で製造された。両運転台で、側扉は片開き2扉、窓下にはウィンドウシルがある。1970年の集電装置パンタグラフ(パンタ)化のさい、パンタが浜大津寄り(後に方向転換により三条・坂本寄り)に取り付けられた。2両運転が常態化したことから1971年から1973年の間に片運転台化が行われたが、連結面の運転台跡は乗務員扉が残された。

前照灯は登場当時1灯式であったが、1980年代後半に2灯式に改造されている。製造当初は京阪創業時から使用されていたブリル台車を履いており、歴史的価値もあったが、のちに4次車 (281 - 286) の500形への改造により捻出されたボールドウィン台車に履き替えている。

片開き扉車であったこともあり、他形式への改造もされずに最後まで260形で残っていたが、老朽化により大津線昇圧時に全車廃車され九条山で解体された。この時、261,262に装着されていたボールドウィン台車はアメリカのシーショア・トロリー・ミュージアムへ寄贈され、同博物館の保存車両の復元に使用された。

  • 261,262 - 1957年4月26日竣工、1997年10月12日廃車。[5]
  • 263-267 - 1957年7月11日竣工、1997年10月12日廃車。

2次車

1959年に268 - 273の6両が日立製作所で製造された。両運転台だが、側扉は両開き2扉となった。1次車同様の経緯でパンタ化および片運転台化[6]が行われた。

1987年から1988年にかけて廃車となった。車体は改造の上、600形3次車(615-620、詳細は下記)に流用されたが、このさいに連結面は切妻化されている。

  • 268 - 1959年8月1日竣工、1988年7月4日廃車。(620へ車体流用)[7]
  • 269 - 1959年8月1日竣工、1987年7月4日廃車。(615へ車体流用)
  • 270 - 1959年8月31日竣工、1987年7月4日廃車。(616へ車体流用)
  • 271 - 1959年8月31日竣工、1988年4月19日廃車。(617へ車体流用)
  • 272 - 1959年12月12日竣工、1988年4月19日廃車。(618へ車体流用)
  • 273 - 1959年12月12日竣工、1988年7月4日廃車。(619へ車体流用)

3次車

1961年に274 - 276の3両、1963年に277 - 279の3両が、2次車に続いて日立製作所で製造された。製造当初から片運転台、両開き2扉となった。また、パンタ化のさいは運転台側に取り付けられた。

1986年から1987年にかけて廃車され、車体は改造の上600形2次車(609-614、詳細は下記)に流用された。なお、275に装着されていたブリルMCB2-X台車2基は1987年8月、アメリカ・フィラデルフィアにある保存団体 BVTA (Buckingham Vally Association) に寄贈され、同団体の保有する1918年ブリル社製の車両に取り付けられた。

  • 274 - 1961年4月26日竣工、1987年4月17日廃車。(614へ車体流用)
  • 275 - 1961年4月26日竣工、1986年7月4日廃車。(611へ車体流用)
  • 276 - 1961年4月26日竣工、1986年7月4日廃車。(612へ車体流用)
  • 277 - 1963年6月3日竣工、1986年4月22日廃車。(609へ車体流用)
  • 278 - 1963年6月3日竣工、1986年4月22日廃車。(610へ車体流用)
  • 279 - 1963年6月3日竣工、1987年4月17日廃車。(613へ車体流用)

4次車

1968年に280 - 286の7両が近畿車輛で製造された。片運転台の両開き2扉である点は3次車と共通だが、ウィンドウシルが無い(ノーシル)ほか、前照灯が2灯になっている[8]が、この車体構造は、同時期に製造された300型と共通するものである。また、パンタ化のさいは連結面側に取り付けられた。

1979年に283 - 286、1981年に281・282が500型に改造された後、残る280は最後は1次車の267と編成を組み、唯一の260形の両開き扉車として最後まで260形として存続し、大津線昇圧時に廃車された。製造当初はボールドウィン製台車を装着していたが、500形への改造により1次車へ転用された[9]

  • 280 - 1968年7月23日竣工、1997年10月12日廃車。(解体)
  • 281 - 1968年7月23日竣工、1981年6月30日改造され 505 に改番、1993年5月27日廃車。(709へ車体流用)[10]
  • 282 - 1968年7月29日竣工、1981年6月30日改造され 506 に改番、1993年5月27日廃車。(710へ車体流用)
  • 283 - 1968年7月29日竣工、1979年6月12日改造され 503 に改番、1993年2月13日廃車。(707へ車体流用)
  • 284 - 1968年11月18日竣工、1979年6月12日改造され 504 に改番、1993年2月13日廃車。(708へ車体流用)
  • 285 - 1968年11月18日竣工、1979年3月29日改造され 501 に改番、1992年11月11日廃車。(705へ車体流用)
  • 286 - 1968年11月27日竣工、1979年3月29日改造され 502 に改番、1992年11月11日廃車。(706へ車体流用)

共通する内容

各製造グループに共通する内容は、以下のものがある。

  • 塗装は登場当時、京阪線の特急色と同じであったが、500型が京阪線の一般車の塗装で登場したのに続き、1980年代前半にすべて一般車塗装に変更されている。
  • 車掌台側の正面窓は、登場当時はポールの操作の関係でドロップ式の1枚窓が使用されていたが、パンタグラフ化に伴い、2枚のユニットサッシに変更された。
  • 1971年から1973年にかけて、機器統一のため老朽化した主制御器を新造のEC-260電動カム軸式主制御器に交換した。EC-260は廃車後、一部が叡山電鉄700系電車に流用されている。

脚注

  1. ^ 本形式が製造された当時、京阪は正式な形式称号に「」を使用しており、竣工時は「260型」であった。その後、鉄道事業法の施行に際して形式称号を「形」に変更したため、形式消滅時点では「260形」であった。
  2. ^ 準急の運転は1971年改正より実施。
  3. ^ その他1960年代に設定されていた京津線臨時特急にも運用されたことがある。
  4. ^ のち、アルナ工機を経て現在のアルナ車両
  5. ^ 1次車の竣工日は、ネコ・パブリッシング刊「【復刻版】私鉄の車両15 京阪電気鉄道」171頁の車歴表(その6)にも記載。
  6. ^ 2次車に関しては、1970年代後半まで両運転台を保持した車両があった。
  7. ^ 旧・260形時代の竣工日あるいは260→600形の新旧対照等詳細は、電気車研究会刊「鉄道ピクトリアル」2009年8月臨時増刊(通巻822 京阪電気鉄道特集)号 290 - 291頁の「現有車両車歴表」にも記載。
  8. ^ 1-3次車も後年改造された。ただし、4次車は当初白熱灯であったのに対し、改造車はシールドビームである。
  9. ^ これにより、京阪の創業時から使用されていたブリル台車を使用した車両は、営業用車両からは消滅した。
  10. ^ 車体流用先の型式については、700形を参照。