亀井郁夫

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亀井郁夫
かめい いくお
生年月日 (1933-11-01) 1933年11月1日(90歳)
出生地 広島県庄原市
出身校 東京大学法学部
前職 旭化成工業取締役
所属政党自由民主党→)
国民新党
称号 法学士(東京大学)
親族 弟・亀井静香

選挙区 広島県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1998年7月26日 - 2010年7月25日
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亀井 郁夫(かめい いくお、1933年11月1日 - )は、日本政治家。前参議院議員

弟は衆議院議員亀井静香(誕生日は1936年の同じ日、ちょうど3歳下となる)。

経歴

広島県比婆郡山内北村(現・庄原市川北町)出身。旧制広島県立広島第一中学校(現・広島県立国泰寺高等学校)、広島県立広島皆実高等学校を経て、1957年東京大学法学部を卒業して旭化成工業に入社する。1985年には取締役合成樹脂第一事業部長兼会長付に就任したが、翌年同社退社。1987年広島県議会議員に初当選し、以後二期連続当選。1993年に県議を辞職して広島県知事選に出馬するが落選(当選は藤田雄山)。1998年第18回参議院議員通常選挙自由民主党公認候補として広島県選挙区で出馬し当選。

郵政民営化法案の参議院本会議採決(2005年8月8日)では反対票を投じて否決となり、「参院の良識はこういう形で示されたと思う」と述べた。この法案の否決で小泉純一郎首相は衆議院を解散。その直後、第44回衆議院議員総選挙では実弟で国民新党亀井静香広島県第6区)を支援した。総選挙後の特別国会に再提出された郵政法案の採決においても退席して棄権した。その際、「一応民意が示されたと言われているが、前回否決したのと全く同じ(法案)なら参院をバカにしている」と語った。

郵政民営化関連法案への反対と総選挙での新党参加者(亀井静香)の支援を理由に、2005年10月28日の自民党党紀委員会に離党勧告を言い渡されたが、離党勧告処分に対し不服として同年10月31日、自民党総務会に対して再審査を請求。請求の理由として、(1)郵政民営化法案に党議拘束はかかっていない、(2)衆院選で支援した亀井静香の広島県第6区に自民党公認候補がおらず、弟に対する支援は党規律を乱す行為とは考えられない――ことなどを再審査請求書に挙げている。

自民党広島県支部連合会の会長を務めていたが、郵政解散による衆院総選挙後の2005年9月末ごろより会長としての活動を謹慎していた。離党勧告処分は不当だとしながらも、会長職にとどまることは地元の党員、党友に迷惑を掛けるとし、処分の再審査を請求する事態に至った責任を取って同年11月2日に桧山俊宏会長代行に会長職の辞任届を提出した。辞職は、あくまでも離党勧告処分の正当性とは別問題であると強調している。同年12月8日、自民党総務会は党紀処分の再審査請求を却下。亀井は離党届を提出せず、除名された。その後、国民新党に入党し、党副代表に就任。

2010年3月31日には健康上の理由で同年7月執行予定の第22回参議院議員通常選挙に広島選挙区では出馬しない意向を表明。比例区に関しては出馬の含みを残していたが、同年6月24日の公示日に名簿登載されず、政界から引退することが決まった。

年譜

家系

宇多天皇を祖とする宇多源氏の門葉で佐々木氏の一門、亀井氏の出自。 先祖は出雲の戦国大名尼子氏家老亀井吉助であるとされる。ちなみに亀井静香は津和野藩主亀井氏の末裔である衆議院議員亀井久興の先祖新十郎(亀井茲矩)と静香の先祖吉助は兄弟であるとのべている[1]

脚註

関連項目

議会
先代
北岡秀二
日本の旗 参議院文教科学委員長
2004年 - 2005年
次代
中島啓雄
先代
田村秀昭
国民新党副代表
3代:2005年-2007年
次代
自見庄三郎
先代
自見庄三郎
国民新党副代表
5代:2009年-?
次代
不明
先代
(創設)
国民新党参議院議員会長
初代:2007年-?
次代
不明