中延

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中延
町丁
中延スキップロード
地図北緯35度36分20秒 東経139度42分44秒 / 北緯35.6056度 東経139.712275度 / 35.6056; 139.712275
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
特別区 品川区
地域 荏原地域
人口情報2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口 15,909 人
 世帯数 9,360 世帯
面積[2]
  0.549296335 km²
人口密度 28962.51 人/km²
郵便番号 142-0053[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 品川
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東京都の旗 ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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中延(なかのぶ)は、東京都品川区の地名。現行行政地名は中延一丁目から中延六丁目。住居表示実施済区域。

地理[編集]

品川区南西部に位置する。町域北部は26号線通り(東京都道420号鮫洲大山線)に接し、これを境に品川区平塚に接する。東部は一丁目・二丁目・三丁目は品川区東中延に接する。また、四丁目・六丁目では第二京浜に接し、品川区豊町・品川区二葉・品川区西大井にそれぞれ接する。南部は大田区北馬込に接する。西部は品川区西中延旗の台にそれぞれ接する。町域内を荏原文化センター通り、昭和通り、弁天通り、大原通りがそれぞれ通っている。また、地域内を東急池上線東急大井町線線路が通っている。

町域内は第二京浜沿いに商業ビルやマンション等の高層建造物、駅周辺に商店街(中延スキップロード、荏原町商店街など)が伸びる他は住宅地として利用される。

歴史[編集]

享保15年(1730年)の『本化別頭仏祖統紀』には、13世紀荏原郡領主荏原義宗が中延郷に居住していたとある[5]弘治2年(1556年北条氏康の家人大道寺直政・清水永英により山野が開拓された。永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』には「中之部」として見える。

江戸時代には荏原郡中延村。当初全域が天領で、伊奈氏に支配された。その後村内55石が松風十左衛門に与えられたが、1664年寛文4年)養子の五郎右衛門が殺傷事件を起こして改易され、寺領となった。天領は寛政4年(1792年)の伊奈氏改易後は大貫光豊支配となった。19世紀前半の一時期、下中延村が分立した。

1889年明治22年)町村制施行により平塚村の大字となる。1932年昭和7年)より荏原区中延町。また荏原区役所庁舎も同町に設置された。1941年(昭和16年)中延・東中延・西中延などに分割された。1965年(昭和40年)住居表示実施により中延と東中延の一部が中延一~六丁目に編成された。

地名の由来[編集]

荏原郡など何らかの中部に位置したことによるともいわれるが、不明である。江戸時代までは「なかのべ」と読んだ。

同潤会荏原普通住宅地[編集]

中延二丁目には周囲と異なる街区パターンの住宅地が存在した。これはかつての同潤会荏原普通住宅地であったのだが、大規模マンション(アトラス品川中延)の建設により消滅した。

世帯数と人口[編集]

2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
中延一丁目 1,201世帯 2,055人
中延二丁目 1,626世帯 2,889人
中延三丁目 1,021世帯 1,712人
中延四丁目 1,984世帯 3,373人
中延五丁目 1,769世帯 2,868人
中延六丁目 1,759世帯 3,012人
9,360世帯 15,909人

人口の変遷[編集]

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[6]
14,050
2000年(平成12年)[7]
13,780
2005年(平成17年)[8]
13,908
2010年(平成22年)[9]
14,655
2015年(平成27年)[10]
15,543
2020年(令和2年)[11]
16,802

世帯数の変遷[編集]

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[6]
6,740
2000年(平成12年)[7]
6,895
2005年(平成17年)[8]
7,389
2010年(平成22年)[9]
8,063
2015年(平成27年)[10]
8,759
2020年(令和2年)[11]
9,604

学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2020年4月時点)[12]

丁目 番地 小学校 中学校(2019年度入転学) 中学校(2020年度入転学)
中延一丁目 全域 品川区立中延小学校 品川区立荏原平塚学園 品川区立荏原平塚学園
中延二丁目 1〜7番
その他 品川区立延山小学校
中延三丁目 1〜7番
10〜11番
その他 品川区立源氏前小学校 品川区立荏原第五中学校
中延四丁目 2〜14番
18番〜21番
その他 品川区立荏原第五中学校
中延五丁目 1〜2番
7〜12番
品川区立旗台小学校
その他 品川区立源氏前小学校
中延六丁目 全域

交通[編集]

町域内に東急大井町線荏原町駅、同線と都営浅草線中延駅が置かれている。西部では荏原町駅が、東部では中延駅が利用される(東部の境界にある都営浅草線の中延駅の所在地は隣の東中延になっている)。また、北東部には東中延にまたがり東急池上線荏原中延駅があり、こちらも多く利用されている。また第二京浜などを走っているバス路線も利用可能である。

事業所[編集]

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]

丁目 事業所数 従業員数
中延一丁目 77事業所 461人
中延二丁目 156事業所 796人
中延三丁目 99事業所 607人
中延四丁目 117事業所 914人
中延五丁目 167事業所 1,115人
中延六丁目 106事業所 693人
722事業所 4,586人

事業者数の変遷[編集]

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[14]
812
2021年(令和3年)[13]
722

従業員数の変遷[編集]

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[14]
4,259
2021年(令和3年)[13]
4,586

施設[編集]

出身・ゆかりのある人物[編集]

  • 宮野作太郎、宮野清太郎、宮野武男、宮野留二郎、宮野初五郎、宮野芳太郎(地主[15]

その他[編集]

日本郵便[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別)  令和5年1月” (CSV). 東京都 (2023年4月6日). 2023年12月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年1月11日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 中延の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ これが文永年間館跡に開山したのが法蓮寺とされ、現在の地名では旗の台に当たる。
  6. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  7. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  12. ^ 通学区域”. 品川区 (2020年4月1日). 2021年4月14日閲覧。
  13. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  14. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  15. ^ 『日本紳士録 第40版』東京ミの部545-546頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月1日閲覧。
  16. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。

参考文献[編集]

  • 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。

外部リンク[編集]