中川郡 (十勝国)
中川郡(なかがわぐん)は、北海道十勝総合振興局中部にある郡。
人口40,440人、面積1,778.05km²、人口密度22.7人/km²。(2024年4月30日、住民基本台帳人口)
以下の4町からなる。
歴史
江戸時代の中川郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。中川郡北部(現在の足寄郡足寄町の利別川以西に相当)にある芽登温泉は蝦夷の人々の間では古くから知られていた。江戸時代後期、中川郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年中川郡域は天領とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復した。安政2年中川郡域は再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制に倣い中川郡が置かれる。北海道十勝国に属した。明治2年8月28日から廃藩置県のおこなわれた明治4年8月まで静岡藩の所領となっていた。
- 1882年2月8日 - 廃使置県にともない札幌県の所管となる。
- 1906年4月1日
- 旅来村の一部を十勝郡大津村に分割。
- 北海道二級町村制施行に伴い、中川郡に凋寒村・豊頃村・幕別村が成立する。(3村)
- 1913年4月1日 - 凋寒村が川合村に改称。
- 1915年4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、中川郡に本別村が成立する。(4村)
- 1917年 - 人口:30,242名。またこの年マラリア患者が188名確認されている。
- 1919年4月1日 - 川合村・幕別村が一級村に移行。
- 1921年4月1日 - 本別村から西足寄村(二級)が分立。(5村)
- 1923年4月1日 - 本別村が一級村に移行。
- 1925年4月1日 - 川合村の一部を河東郡士幌村に分割。
- 1926年4月1日 - 幕別村の一部を河西郡大正村に分割。
- 1926年7月1日 - 川合村が一級町制施行・改称し池田町となる。(1町4村)
- 1933年5月1日 - 本別村が一級町制施行し本別町となる。(2町3村)
- 1933年6月 - 池田町の一部を河東郡士幌村に分割。
- 1943年6月1日 - 北海道一級・二級町村制廃止。豊頃村・西足寄村が内務省指定村に移行。
- 1946年9月15日 - 幕別村が町制施行し幕別町となる。(3町2村)
- 1946年10月5日 - 指定町村制廃止。
- 1948年4月1日 - 幕別町の一部を河西郡大正村と河西郡更別村に分割。
- 1950年4月1日 - 西足寄村が町制施行し西足寄町となる。(4町1村)
- 1951年4月1日 - 西足寄町の一部を足寄郡陸別村に分割。
- 1955年4月1日(3町1村)
- 1965年1月1日 - 豊頃村が町制施行し豊頃町となる。(4町)
- 2006年2月6日 - 幕別町が広尾郡忠類村を編入。
関連項目
参考文献
- 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)