三四郎 (お笑いコンビ)

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三四郎
メンバー 小宮 浩信
相田 周二
結成年 2004年
事務所 マセキ芸能社
活動時期 2005年 -
出身 スクールJCA13期生
旧コンビ名 次男坊(トリオ時代のみ)
現在の活動状況 ライブ、テレビ、ラジオ
芸種 漫才
ネタ作成者 小宮 浩信
過去の代表番組 ロケットライブ
同期 阿諏訪泰義うしろシティ)など
公式サイト マセキ芸能社公式サイト
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三四郎(さんしろう)は、マセキ芸能社所属のお笑いコンビである。

メンバー

小宮 浩信(こみや ひろのぶ、( (1983-09-03) 1983年9月3日(40歳) - )

東京都出身。A型。175㎝。60㎏。
立ち位置は左。
滑舌が悪い。
童貞感が凄いが、童貞ではない。
きのこが大好物。
目つきが悪いといわれるため、伊達眼鏡をかけていることが多い。またその容貌が永沢たかし(磁石)に似ている事から、「汚い永沢」と称される事もある。
お笑い好きの相田に感化されるように、バラエティ番組やお笑い番組を観るようになった[1]
お笑いを始めようと思ったきっかけは、中学受験でのストレスで頭がパンクするのを感じ、高校で留年したことから「どうせなら正反対の方に行ってやろう」という反骨心からだったという。また、高校2年生の時の文化祭で漫才を披露した時に褒められたり評判が良かったこともお笑いのきっかけとなっている[1]
言葉遣いが悪く、先輩の雨上がり決死隊にもタメ口で話す。雨上がりは逆にこれを面白がり、更には同じ事務所の先輩である狩野英孝の後輩としてアメトーーク!の出演が増えている。

相田 周二(あいだ しゅうじ、( (1983-05-02) 1983年5月2日(41歳) - )

東京都出身。B型。173㎝。71㎏。
立ち位置は右。
美声。なで肩。鼻が大きい。顎がない。
ダウンタウンの物真似をするなど、元からお笑い好きだった[1]
映画監督の岩井俊二や元サッカー日本代表監督のザッケローニ城みちるに容姿が酷似している。

来歴

  • 成城学園中学時代の同級生として出会う。ともに成城学園高校に進学するが、小宮は2年生の時に留年しているため、一緒に卒業はしていない[1]。高校時代はグランドホッケー部で東京選抜となる。
  • 高校を卒業してからフリーターだった小宮が、成城大学に通っていた相田を誘う形で結成。スクールJCAの13期生として芸人の活動を始める。JCA在籍時からコンビ名は「三四郎」だった[1]
  • その後、当時ピン芸人として活動していたあべじゅりあ(東京NSC17期生、コンビ「ほっとライス」として活動した後に解散)が加入し、一時トリオ「次男坊」として活動。プロデューサーハウスあ・うんに所属[2]。あべじゅりあに「三四郎に入りたい」と言われてトリオを結成したが、1年程活動したのちに「お前らにはついていけない」「頭おかしいの小宮だけだと思ったら、相田もなんだもん」と脱退し、小宮・相田2人のコンビに戻る。
  • トリオ解消後に、再び「三四郎」として活動を再開。フリーとして約3年ほどげんしじん事務所中心にライブ活動を行う(小宮談)。
  • 現在は、マセキ芸能社に所属(2013年10月より、マセキユースからマセキ芸能社所属となる)。
  • THE MANZAI 2013・2014にて、認定漫才師50組に選出[3]

芸風

主に漫才。小宮の滑舌の悪さや、独特な発想によるボケが特徴。相田の美声を生かした歌ネタ(漫才)も多い。「コマネチ」、「ドリフ」等の持ちネタがある。

元々は小宮がツッコミで相田がボケだったが、ネタによっては役割が入れ替わることが多い。

ネタを始める前に、小宮が「はい! 絶対頑張ります!」と叫ぶ。基本的に漫才の時は左右からそれぞれ小宮と相田が出てくる。「人たち〜」と手を振りながら出てくることもある。

漫才の締めで、小宮が相田のことを「アイツ最近○○してるから…」などと説明をして終わることも多い。

エピソード

  • 2013年3月12日より、ニコ生配信『三四郎の絶対頑張ります!(仮)』が始まる[4][5]
  • テレビ初出演は『アリケン』(テレビ東京)だったが、新しいネタ番組だと聞かされてオーディションへ向かったところ、実はドッキリ企画だった。実際は『二代目上田晋也オーディション』であり、必要とされていたのはツッコミである小宮だけであったということが後に判明するが、そのオーディションでは明らかにされず、小宮の振りによって相田がモノマネなどを散々させられた挙句、当時のマネージャーから『小宮だけ合格したので、相田は帰っていい』とのみ連絡があった(ニコニコ生放送『三四郎の絶対頑張ります!(仮)』 2013年3月12日配信より)。
  • 2013年4月7日に日暮里サニーホールで行われた「平成25年度漫才新人大賞」の予選会において、漫才中に小宮が勢い余って後ろの金屏風に激突し、屏風がパカッと開くという事件があったが、決勝進出を果たした。しかし、屏風の件はしっかりと怒られたらしい[6][7][8]
  • 馬と老犬しかかからないといわれる奇病(両目の瞼が腫れる)にかかった小宮が、瞼を少し切って腫れをとる手術の予約をしていたにも関わらず、そのことを忘れて予約日に行かなかったため、次に病院へ行った時に「精鋭メンバーを揃えていたのに何で来なかったんですか!」と病院スタッフにしこたま怒られた。それに腹を立てた小宮は、瞼の上を抑えるという独自の民間療法で治した。小宮曰く、「目が二重になったら、GLAYのJIROでしょ!」とのことだが、視聴者からの同意は得られなかった(2013年4月12日配信より)。
  • 中学1年の時、2人はまだ出会ったばかりだったため、何故相田が“頭頂部にだけ”ジェルをつけていたのか聞けなかった小宮が、仲良くなって数ヶ月後に理由を聞いてみると「地下鉄で学校に通っているから、電車が入ってくるときに風が強くて頭頂部が立ち上がっちゃうでしょ」という理由だった。相田曰く「ムースなどを塗る時は頭頂部から塗るので、頭頂部が厚塗り、その他の部分が薄塗りになる」とのこと(2013年4月12日配信より)。
  • 小宮は学生の頃、映画『凶気の桜』の窪塚洋介に憧れて坊主にしたが、出来上がった姿はBコースのハブだった(2013年4月12日配信より)。
  • 小宮は彼女が出来たときに、芸人であることを隠し、美容師であると嘘をついていたことがあり、何故か相田のことも美容師仲間だと紹介をした。小宮は美容師としての知識・ボキャブラリーを入念に調べ、万全の体制で美容師を演じていた(2013年5月12日配信より)。
  • 小宮が漫才中に言う、「スマホの音声認識に○○と入れたら、××って出たよ!」というフレーズから、『小宮の滑舌企画』で検証を行ったが、意外にもウィスパーボイスで囁くと言葉が正しく認識され、全く面白いエピソードは生まれなかった。自身のボケを殺しているにも関わらず、小宮は「ちゃんと出る(認識される)なー!」と嬉しそうにしていた。ちなみに漫才中のネタで出しているフレーズのひとつは、小宮が音声認識に挑戦した際に、実際に表示されたものらしい(2013年6月12日配信より)。
  • 2013年9月、雨の日に酒を飲んで転び、前歯を2本折った小宮は、一緒にいた後輩芸人がそれを見て引いているのを感じ、「笑わせなければ!」とオーバーなリアクションで驚いてみせた結果、ガードレールに激突して足を折った。小宮曰く「ただの芸人魂」が引き起こした事故。その後、深夜の人気番組『ゴッドタン』(テレビ東京)へ出演が決まるも、足の怪我のため、収録には車椅子で参加した[9]
  • 小宮の滑舌の悪さは舌の筋力の弱さによるもの。養成所時代に医師に診断してもらった結果、普通の人の舌の筋力を10とすると、小宮は4しかないと言われた[10]
  • ゴッドタン』にて収録中にピンマイクを破損した(27万円の負債)。

賞レース等の出場・実績

出演

テレビ番組

ラジオ番組

現在のレギュラー番組

単発番組

主な出演ライブ

  • パンキッシュガーデン ライラックブルー(マセキ芸能社の定期ライブ。毎月7日〜11日に開催)
  • 空飛ぶサンパチ(マセキユースによる月イチ漫才ライブ。2012年10月〜2013年11月)
  • 新宿GO!GO!LIVE(K-PRO主催の不定期ライブ。2014年3月現在レギュラー出演中)[13]
  • 3組のライブ(仮)(K-PRO主催の不定期ライブ。三四郎、浜口浜村ドリーマーズのユニットライブ)
  • ヤングⅢ(三四郎、笑撃戦隊ぽ〜くちょっぷの3組で不定期に行っているユニットライブ)

単独ライブ

  • 道徳の日本男児 (2010年6月21日 シアターブラッツ)
  • 道徳の日本男児 其ノ弐(2011年8月20日 シアターモリエール)
  • 道徳の日本男児 其ノ参(2013年3月21日 新宿シアター・ミラクル)

DVD

  • ナイツ独演会 其の二(2012年1月11日発売)
  • 三四郎 一九八三 (2014年5月28日発売)

映画

吹き替え

  • サボタージュ(2014年) - トム・"パイロ"・ロバーツ〈マックス・マーティーニ〉役[14] 小宮のみ

その他

脚注


外部リンク