コンテンツにスキップ

ロシアの映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。MerlIwBot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月16日 (水) 20:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ロボットによる 追加: vi:Điện ảnh Nga, es:Cine de Rusia, ar:سينما روسية, it:Cinema russo)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

Father Sergius (1917)より。この作品はロシア帝国最後期に作られた。

ロシアにおける映画の歴史は、ロシア帝国時代に始まり、ソ連時代には共産主義下で難しい状況にあったが、ソ連崩壊後には国際的な人気の高まりを見せている。

ロシア帝国で

詳細はロシア帝国の映画参照

1896年5月にモスクワサンクトペテルブルクで、リュミエール兄弟によって映画の上映が行われたのがロシア帝国における映画史の始まりである。同じ月に、リュミエール兄弟のカメラマンであった Camille Cerf がクレムリンで行われたニコライ2世戴冠式を撮影し、これがロシア帝国で作られた最初の映画となった。

1908年、プロデューサーの Aleksandr Drankov は、当時人気のあったフォークソングに歌われている出来事を基にした映画を制作、これがロシア初の物語映画となった。また、 Ladislas Starevich は1910年にロシア初のアニメ映画(ストップモーション・アニメーションを使用)を制作した。この時代に活躍した著名な映画監督にはアレクサンドル・ハンジョンコフイワン・モジューヒンヤーコフ・プロタザーノフなどがいる。

第一次世界大戦中、輸入が大幅に減ったこともあり、1916年には499本もの映画が製作された。これは3年前と比べると3倍の量にあたる。

ロシア革命によって反帝政ロシア的な作品が作られるなど、更なる変化がもたらされた。1917年の "Father Sergius" (神父セルギイ) は初のソビエト映画と言えるかもしれない。

ソビエト連邦で

詳細はソビエト連邦の映画を参照

この時期、映画の中で最も多く使われたのはロシア語であったが、ソビエト連邦になってからは単にロシアで作られた作品以外にもアルメニア・ソビエト社会主義共和国グルジア・ソビエト社会主義共和国ウクライナ社会主義ソビエト共和国リトアニア・ソビエト社会主義共和国白ロシア・ソビエト社会主義共和国モルダビア・ソビエト社会主義共和国などで作られた映画も含まれるようになる。同時に、ロシアの映画産業は国営化されており、ソビエト連邦共産党による独裁政治が提唱する哲学や法律に支配されていた。

ソビエト連邦下では、社会主義リアリズムが絵画や彫刻などの芸術のみならず、映画にも影響を及ぼした。

この時代の著名な作品としては、セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』 (1925)、『アレクサンドル・ネフスキー』 (1938)、『イワン雷帝』 (1944)などがある。

第二次世界大戦終了後、いちはやくソ連ではじめてのカラー映画「石の花 」(1947)、「シベリア物語」(1947)、「クバンのコサック」(1949)など娯楽性の高い映画も、「エルベ河の邂逅」(1949)などの戦争体験に基づいた映画も作られている。1950年代から1960年代初めには、1957年のドラマ『鶴は翔んでゆく』 ( Bard (Soviet Union)のきっかけとなった作品)や、1961年の英国アカデミー賞を受賞した『誓いの休暇』などがある。

1960年代以降の雪解け期に作られたコメディーやラブロマンスの作品は世代を超えて視聴され、さらにテレビでの再放送やビデオ・DVDの販売の影響もあり現代でも人気が高い。 代表的な作品としてレオニード・ガイダイ監督の『作戦コード<ウィー>とシューリクのその他の冒険』(1965)、『コーカサスの女虜、もしくはシューリクの新しい冒険』(1967)、「ダイヤモンドの腕」(1968)、「イヴァン・ヴァシーリビッチは職業を変える」(1973)やエフゲニー・レオーノフが主演を務める1971年のコメディー「紳士諸君に幸あれ」、1975年のコメディータッチのメロドラマ「運命の皮肉、もしくはサウナ・ブルース」などがある。 またこれらの作品の特筆すべき点は、劇中のフレーズの多くが世代を超えて生きた慣用句として使われている点である。『コーカサスの女虜、もしくはシューリクの新しい冒険』を例とすると、この映画の中で出てくるフレーズを元に、誰かが「生きることはすばらしい」と言うと「すばらしく生きることはもっとすばらしい」と必ず返すといった具合である。

1970年代にはアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』や、Vladimir Motylの中央アジアでの赤軍のストーリーを描いた『砂漠の白い太陽』(1969)などがある。

ソ連崩壊直前の1986年には一見コミカルタッチなSFであるが、暗にソ連及び全体主義を風刺している作品『不思議惑星キン・ザ・ザ』が作られた。

ロシア連邦

ソ連の崩壊によって、ロシアや他の連邦国では実質的に良質な映画の製作がストップしてしまった。10年以上の間に制作されたのはわずかな数の映画で、その多くは評価が高かったものの幅広く公開されることはなかった。そうした作品の中にはニコライ・ドスタルの "Oblako-ray" (1991) やニキータ・ミハルコフの『太陽に灼かれて』 (1994)などがある。しかし、ミハルコフが1998年に制作した『シベリアの理髪師』は高い評価を得た。

新しいロシア映画界では、芸術性よりも利益が追求される傾向がある。しかしながら、幾人かの映画監督たちは古い時代の映画監督からインスピレーションを受けていることを表している。"New Tarkovsky" (新しいタルコフスキー)と呼ばれることもあるアレクサンドル・ソクーロフは『マザー、サン』、『エルミタージュ幻想』、『太陽』など優れた作品を生み出している。

その他にも『父、帰る』 (2003) や "Roads to Koktebe" (2003) といった作品は高い評価を得ている。 特に『父、帰る』はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した。

2000年代初期、テレビや特別な劇場で放映されてきたアニメ映画が幅広く公開され、成功するようになっていった("Dobrynya Nikitich and Zmey Gorynych"、"Prince Vladimir"といった作品がある)。

現代でもロシア映画は国家主義的な目的に資することがある。たとえば、2007年公開の"1612" は、何故国民の休日が11月7日(ロシア革命)から11月4日(1612年にモスクワがポーランドから自由になった日)に変わったのか説明する内容となっている。

また、近年にはホラー・ファンタジーの『ナイト・ウォッチ』やその続編の『デイ・ウォッチ』などが世界中で公開されている。

外部リンク