リージェントブラフ

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リージェントブラフ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1996年5月2日
死没 2008年4月7日(12歳没)
抹消日 2004年7月21日
パークリージェント
サリーベル
母の父 グッドリー
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 吉田隆
馬主 大原詔宏
調教師 大久保洋吉美浦北
競走成績
生涯成績 57戦9勝(全成績)
42戦6勝(中央競馬
14戦3勝(地方競馬
1戦0勝(日本国外)
獲得賞金 5億2736万8000円(全成績)
2億911万8000円(中央競馬)
3億1825万円(地方競馬)
0(日本国外)
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リージェントブラフ (Regent Bluff) は日本中央競馬会に登録されていた競走馬、および大原ファームなどで繋養されていた種牡馬半兄帝王賞などの優勝馬ラシアンゴールドがいる。競走馬時代の主戦騎手は同じく大久保洋吉厩舎所属の吉田豊が務め、全57戦中45戦で騎乗して、本馬が挙げた9勝すべてに貢献した。

経歴

競走馬時代

1998年(旧3歳) - 2000年(旧5歳)

旧表記3歳時の1998年9月に競走馬デビューし、9番人気で5着だった。そして、11月のデビュー4戦目で初勝利を挙げたが、その後2戦は勝利できなかった。

旧4歳となった1999年セバスチャン・サンダースが騎乗して黒竹賞(500万下)で4着、重賞初挑戦となった京成杯では15着、その後は6戦して2着1回、3着1回で、5月15日以降は休養に入った。

旧5歳となった2000年は、休養明け3戦目で勝利し、続く鎌ケ谷特別(旧900万下)も制したが、1600万下クラスに昇級後の4戦は勝利できずに夏以降再度旧900万下クラスに降級した。しかし降級初戦の竜飛崎特別(旧900万下)を制し、その後3戦で4着、3着2回となった後の赤富士ステークス(1600万下)を制し、さらにその後も2着と3着となるなど安定した走りを見せた。

2001年(5歳)

馬齢表記が変わり現表記の5歳となった2001年は、この年初戦のアレキサンドライトステークス(1600万下)を制してようやくオープン馬となった。オープン昇級初戦の平安ステークスは7着だったが、続くダートグレード競走初挑戦となったダイオライト記念を5番人気で制して重賞初勝利を挙げた。次のアンタレスステークスは2着、東海ステークスは6着となり、帝王賞では2着に入った。その後休養を挟み、武蔵野ステークスでは5着、ジャパンカップダートでは6着となり、迎えた東京大賞典ではトーホウエンペラーの2着となった。

2002年(6歳)

2002年の初戦は川崎記念で、2着となったハギノハイグレイドにアタマ差で先着して統一GI(当時)初勝利を挙げた。 その後夏までダートグレード競走を中心に5戦するが、4着が3回が最高順位だった。秋はJBCクラシックから始動して4着、続く2年連続出走となったジャパンカップダートでは13番人気ながらもアドマイヤドンゴールドアリュールらに先着してイーグルカフェの2着に入り波乱を演出し、続く東京大賞典でも3着に入った。

2003年(7歳)

2003年の初戦は連覇を狙う川崎記念となったが、カネツフルーヴに1馬身差で敗れて2着、次のフェブラリーステークスは9着という結果に終わるが、ダイオライト記念とオグリキャップ記念は共に2着、帝王賞では3着となり休養に入った。秋は武蔵野ステークスで7着、ジャパンカップダートで8着と今ひとつの結果だったが、暮の名古屋グランプリを制して重賞3勝目を挙げた。

2004年(8歳)

2004年の初戦は3年連続出走となった川崎記念で3着だった。次走は初の海外遠征を行い、ドバイワールドカップに出走したが9着という結果に終わった。帰国後は休養し、マーキュリーカップで実戦復帰する予定だったが屈腱炎を発症し同レースを回避し、7月21日付で競走馬登録を抹消されて競走馬を引退した。

競走馬引退後

2005年より父のパークリージェントも繋養されているレックススタッドで種牡馬となる。日本軽種馬協会のデータベースによれば、血統登録された産駒は2006年に誕生した大原ファーム生産の2頭のみである[1]。同年大原ファームへ移動。2007年は病気のため活動せず[2]、同年限りで種牡馬引退となった[3]

2008年より功労馬繋養展示事業の助成対象となったが、同年4月7日に病気のため死亡した[3]

血統表

リージェントブラフ血統ヴァイスリージェント系 / Victoriana 4×4=12.50%(父内)、Alizier 5×4=9.38%、Nearco 5×5=6.25% (血統表の出典)

*パークリージェント
Park Regent
1981 鹿毛
父の父
Vice Regent
1967 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Victoria Regina Menetrier
Victoriana
父の母
Miss Attractive
1970 鹿毛
Victoria Park Chop Chop
Victoriana
Nice Princess Le Beau Prince
Happy Night

サリーベル
1980 栗毛
*グッドリー
Goodly
1966 鹿毛
*スノッブ Mourne
Senones
*アリゼッタ Alizier
Bella Zetta
母の母
メジロトヤマ
1971 鹿毛
*フィダルゴ Arctic Star
Miss France
アサマユリ ボストニアン
トモエ F-No.7-c

近親の活躍馬はおもに曾祖母のアサマユリから広がる一大牝系から輩出された馬が多い。そのアサマユリの子孫には菊花賞馬メジロデュレン、GI4勝を挙げたメジロマックイーンの兄弟や、高松宮記念優勝馬ショウナンカンプスポーツニッポン賞金杯京都記念の優勝馬メジロトーマス函館記念優勝のメジロマーシャスなど、中央競馬の重賞優勝馬が揃っている。

脚注

  1. ^ リージェントブラフ 種牡馬情報:産駒一覧(2006)”. JBIS-Search. 日本軽種馬協会. 2013年4月9日閲覧。
  2. ^ 名馬を訪ねて「リージェントブラフを訪ねて」”. 競走馬のふるさと案内所. 日本軽種馬協会 (2007年11月27日). 2013年4月9日閲覧。
  3. ^ a b 引退名馬詳細情報 リージェントブラフ”. 名馬.jp. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2013年4月9日閲覧。[リンク切れ]

外部リンク