マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ

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マーガレット・マクドナルド・
マッキントッシュ
Margaret MacDonald Mackintosh
本名 マーガレット・マクドナルド
Margaret Macdonald
誕生日 (1864-11-05) 1864年11月5日
出生地 イギリスイングランド、ティプトン (en)
死没年 1933年1月7日(1933-01-07)(68歳)
死没地 イギリス、イングランド、チェルシー
国籍 スコットランド
配偶者 チャールズ・R・マッキントッシュ(英語)
運動・動向 アールヌーボー、グラスゴー派 (en)、象徴主義
後援者 ウィリアム・デイビッドソン
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マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュ(Margaret MacDonald Mackintosh、1864年11月5日 - 1933年1月10日)はスコットランド画家イラストレーターである。アール・ヌーボーの工芸家として働いた。妹のフランシス・マクドナルドと組んで「不気味派」Spook School、夫のチャールズ・レニー・マッキントッシュと妹の夫ハーバート・マクネアを加えて「4人組」The Four と呼ばれたり、またグラスゴーで活躍した女性芸術家たち「グラスゴー・ガールズ」の一人とされる。画業はスコットランドで極めた。

マッキントッシュとの結婚後は作品にほとんどサインを入れなかったため、チャールズ・R・マッキントッシュの作品と伝わるもののうち、共作という記録があるもの以外にマーガレットがデザインしたものの占める割合は明確でない[1]。グラスゴースタイルを率いたマクドナルド姉妹と夫たち4人組の作品は、2018年のチャールズ・R・マッキントッシュ生誕150周年[2]につづき、2019年よりイギリスとアメリカで3年がかりの巡回展を行う[3][4]

経歴

ウルヴァーハンプトンイングランド)近くのティプトンに生まれた旧姓マーガレット・マクドナルドの父は炭鉱技師兼監督である。学籍によると、マーガレットと妹フランシスはふたりともスタッフォードシャー州ニューカッスル・アンダー・ライムのオーム女学校に通った[5]。1881年の国勢調査の当日、当時16歳のマーガレットは知人宅を訪れており、記録には学者として載っている[6]。マクドナルド家は1890年にはグラスゴースコットランド)に定住しており、姉妹はグラスゴー美術学校デザイン科に入学する[7]。在学中に金属加工刺繍織物など、さまざまな技術課程を受ける。

グラスゴー・ガールズ(1893年) フランシス・ニューベリー校長(右端椅子の男性)と「不滅」のグラスゴー美術学校生。(前列右から左へ)フランシス・マクドナルド、不明、ルビー・ピッカリング、マーガレット・マクドナルド、アグネス・レイバーン、キャサリン・カメロン。最前列はジャネット・エイトキン。

マクドナルドは妹のフランシスと共同制作を始めると1890年代にスタジオをグラスゴーのホープ街128番地に開く。作風はケルトの文様や文学、象徴主義や民俗に触発され、それまでにない意匠であった[8]

マクドナルド姉妹は「4人組」と呼ばれるグループに数えられ、妹のフランシスは美術教師のハーバート・マクネア(Herbert MacNair)と結婚、翌1900年8月22日に姉マーガレットは義弟の友人で建築家チャールズ・レニー・マッキントッシュと結婚する。共同制作の相手は夫に移った[9]のちも、スコットランドにおけるアールヌーボーのスタイルを形成し後期象徴主義の水彩画を描く[10]

メイクィーン』(1900年)

1900年に夫と「ウィーン分離派」の展覧会に出展し、ふたりの作品はグスタフ・クリムトヨーゼフ・ホフマンといったアーティストに影響を与えたとされる。建築のインテリアや調度品などで夫妻は共同制作し、様々な素材を用いた作品を残した。マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュの最も著名な作品は、夫チャールズが設計した喫茶室や民家などの内装に用いられたジェッソパネル (gesso) である。

「マンサク(1915年、C・マッキントッシュ作)。植物画、ウォルバーズウィック(en[注釈 1]
「アネモネ」(1915年)

チャールズ・レニー・マッキントッシュがしばしば取りざたされ、スコットランドで最も著名な建築家という評価があるのに比べると、マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュは過小評価されがちであった[8]。ひとつには1900年以降、作品にごくまれにしかサインを入れなかったためであるが[1]、そうは言え、才能は多くの仲間に祝福され、夫から妻にあてた手紙に賞賛がつづられる。

「いいですか、ぼくの設計した作品の4分の3とは言わないが半分は君が担っているのです……」[11]

また伝えられるところによると「マーガレットは天才だが、ぼくには凡才しかない」[12]と述べたという。

『死の香り』(1921年)

マーガレット・マクドナルド・マッキントッシュの黄金時代は1895年から1924年にわたり、ヨーロッパとアメリカの40以上の展覧会に精力的に出品して評価を得ていく[8]。制作歴は健康を損ねて断たれ、資料によると1921年以降、作品を手がけていないという[1]。1933年、夫を見送った5年後に息を引き取る[10]

マクドナルド・マッキントッシュの没後、夫妻が遺した作品群は生前、友人で経済的支援者[注釈 2]でもあったウィリアム・デイビッドソンが自宅に保管していた。デイビッドソンの住まいは1920年までマッキントッシュ夫妻が暮らし(サウスパーク街78番地)、デイビッドソンはその家を買い取って以来、内装や家具を変えずに住み続けていた[3]

そのデイビッドソンが1945年に亡くなると、作品群は子供のなかったマッキントッシュ夫妻の相続人シルヴァン・マクネア Sylvan McNair からグラスゴー大学に寄贈され、同大学はデイビッドソンの遺族から亡父とマッキントッシュ夫妻の関係資料を受贈する[3]。この年、同学は旧マッキントッシュ邸を買い取り、建物の取り壊し後はハンテリアン博物館美術ギャラリーに「マッキントッシュハウス」として内装を再現した[3]

2019年から3年にわたり、グラスゴーの4人組の作品が各地をめぐり展示される[3][4]リバプールウォーカー・アート・ギャラリー(2019年3月)からアメリカへわたり、ウォルターズ美術館ボルティモア - 2020年1月)、フリスト美術館(Frist Art Museum)ナッシュビル - 2020年9月)、アメリカン・アート・アンド・クラフト運動美術館英語版セントピーターズバーグ - 2021年1月)、リチャード・H・ドライハウス美術館 Richard H. Driehaus Museumリチャード・H・ドリーハウス美術館英語版シカゴ - 2021年5月)で催されることが決まった[4]

グラスゴー派

グラスゴー美術学校のポスター(1896年、フランシス・マクドナルド作)マクドナルド姉妹とH・マクネアの名前入り。
自称「不滅」の美術学校生(1894年前後)。H・マクネア(前列左)、C・R・マッキントッシュ(同右)、フランシス(中列左)、マーガレット(後列)。中列右2人はジェッシーとジョン・キッピー夫妻。

マクドナルド姉妹とチャールズ・レニー・マッキントッシュおよびその友人で同僚でもあったハーバート・マクネアがいつ出会ったのか正確な時期は不明ながら、おそらく1892年前後、場所は男性陣も通学していたグラスゴー美術学校(マッキントッシュとマクネアは夜学生)、同校のフランシス・ニューベリー校長(Francis Newbery)が4人の制作スタイルの共通点に気づき、紹介したものと考えられる[13]。1894年には学生作品展に4人そろって出品し、全員の合作もあった。評判はまちまちで、マクドナルド姉妹の作品はオーブリー・ビアズリーかぶれと言われ、あるいはごつごつしていて直線的なフォルムは「猟奇的」と評され、「不気味派」というあだ名が付く[14][15]。やがて1890年台半ばに学校を辞め[10]地元で知名度を得ると「4人組」Glasgow Four[15]という通り名が付くまでになるが、いったん忘れ去られた。その後、ヴィクトリア朝美術が見直された1960年代、またアール・ヌーヴォーに注目の集まる1970年代に再評価され「グラスゴー派」と呼ばれるにいたる[15]

フランシスとの合作

フランシス・マクドナルド(1893年頃)

スタジオを開設する1896年を含む1890年代から妹のフランシスが結婚しリバプールへ移る1899年まで、マーガレット・マクドナルドが共同作業の相手に選んだのは、もっぱら妹である[10]。四季に合わせたテーマを選んで描いた連作4点に彫金の額縁を添えるなど、合作の形態を展開している。また近年、バッファロー大学特別コレクションの収蔵図書からウィリアム・モリス作『グエネヴィア防衛』(Defence of Guenevere[16] が再発見され、ふたりが提供した挿絵をオンラインで見ることができる[17][18]

1900年代の制作

マクドナルド・マッキントッシュは夫と建築物の内装を共同で制作し、多くは20世紀の初めに実現している。1903年のトリノ国際展示会に出展した「ローズ・ブドワール」Rose Boudoir、「芸術愛好家のための家」(1900年制作) の設計図、喫茶店「ウィロー・ティールームズ」(1902年) [19]などである。夫妻が人気を得たのはウィーンのアートシーンで、分離派展(1900年)に出展し、同派のグスタフ・クリムトヨーゼフ・ホフマンホフマンに影響を与えたとされる。夫妻は1909年のウィーン国際美術展 (1909年) にも出展した[20]

ウィーンで夫妻は1902年に大きな仕事を受注する。ウィーン工房出資発起人フリッツ・ワーンドルファー Fritz Waerndorfer (ドイツ語)が郊外に別荘を建てようとしており、ウィーンで活動する芸術家としてふたりに部屋の装飾をさせたいと申し入れてきた。すでに前出の#ホフマンコロマン・モーザーがそれぞれ1室ずつあてがわれ、施主はマッキントッシュ夫妻に音楽室の内装を依頼する。そこでマーガレットの作品をパネルに仕立てて『#風のオペラ』『#海のオペラ』『#七王女』の3点を三連祭壇画の形式で壁ごとにかける。これをマクドナルド・マッキントッシュの最高傑作と評する声もあり[21]、現代の美術評論家アメリア・レビタス Amelia Levetus によると「夫妻最高の傑作であり、なによりも思うさま力を発揮せよという求めに応じたのだ。」[22]

メニューのデザイン(1911年、部分)
メニュー(1911年、全体)
絵画作品
『オフィーリア』(1908年)
絵画作品
『神秘的な庭』(1911年)

発想とスタイル

『冬』(1898年)

写実ではなく想像力に依拠する姿勢を貫いたマクドナルド・マッキントッシュは、スケッチブックをつけなかった[23]。制作に大きなインスピレーションを得る源は聖書、『オデッセイア』、モリスロセッティの詩、モーリス・メーテルリンクの作品などである。しばしば作品を共作した姉妹はともに同時代の芸術の概念を無視したとグリーソン・ホワイト Gleeson White は記す。「この姉妹二人はまったくの無邪気を装いつつ、他人からエジプトの装飾に特に関心があったと定義されようとも認めはしない。『何物にも偏っていません』と言うばかりで理論を示して展開するわけでもない。」

芸術家として自らの想像力を大きくふくらませるところから出発し、伝統的なテーマや寓話、象徴の再解釈に独創を加えると、ふれ幅の広い実験を展開する[24]。姉妹でグラスゴーにスタジオを開いた1896年からまもなく、人間の姿を借りて「時間」や「夏」「冬」などの作品を発表、幅広いアイデアを変換し高度に様式化する手法が見られる[25]。人間の裸体を細長く引き伸ばし、落ち着いた自然な色調を用いて幾何学と自然のモチーフを微妙に取り合わせて相互作用を引き出す点に、他の芸術家との違いが現れるといえる[26]

著名な作品

ウィローティールームズの特別喫茶室 (ルームドリュクス) 室内
#ウィローウッド(習作、1903年)

最もよく知られた作品は『メイクィーン』(The May Queen)というジェッソパネルで、やはりパネルの『The Wassail』とペアにして女性起業家クラントンがイングラム街で経営する喫茶室の、女性ランチョンルームに納められた。これとは別に、柳の木に寄り添う女性像『Oh ye, all ye that walk in Willowwood』はウィロー・ティールームズの特別喫茶室 (ルームドリュクス) の装飾に組み込まれた。同店はインテリアの修復を2017年 - 2018年に行うと、この女性像の複製画を元の部屋の本来の位置に取り付けている。現在、これら3点はすべてグラスゴーのケルビングローブ美術館・博物館が展示する。

マクドナルド・マッキントッシュ最大の作品『#七王女』は壁面いっぱいのジェッソパネル3枚を使って同名の演劇の一場面を描き (戯曲はモーリス・メーテルリンク作)、ウィーンとその美術界では誰もが知る作品である。風、海のテーマのパネル2点を添え3点をかけたワーンドルファーの別荘は1916年に売却され、同作品は長く一般の目に触れる機会がなかった。ところが1990年、ウィーン国立工芸美術館の地下収蔵庫から木箱に梱包された状態で発見されたおかげで、オーストリア応用美術博物館の収蔵品として常設展示されるにいたる[27]

1902年の作品『白いバラと紅いバラ』は2008年の競売で170万英ポンド (当時の時価で330万ドル相当) で落札された[28]

絵画作品
白いバラと紅いバラ』(1902年)

マッキントッシュハウス

チャールズが設計して建てたグラスゴーのマッキントッシュ邸は、1920年に友人で後援者だったデイビッドソンに譲られ、のちにグラスゴー大学が買い取った[3]。建物の取り壊しに際して室内装飾と家具や調度品は取り外し、同学ハンテリアン博物館で保存ののちに「マッキントッシュハウス」という展示施設に内装を再現している[1]。2018年に旧マッキントッシュ邸建築100周年を迎えると、スコットランド議会ならびにグラスゴー市の後援を得て記念行事が催され、グラスゴー市内のゆかりの建築をめぐるツアーや児童生徒絵画コンクールを開いた。

オークルーム復原計画

前出のクラントンの喫茶室はグラスゴー中流階級の女性にとって社交場であった。クラントンはオークルーム(1907年 - 1908年施工)の内装もマッキントッシュに発注し、全長13 mあまりの部屋は最大の部屋として使われた。1971年の店の解体時、グラスゴーの美術館連盟(Glasgow Museums)は内装を取り外すと、部材ごとに番号をふり台帳と立面図に記載し保存してきた[29]。スコットランド議会は総額130万英ポンドの「オークルーム復原計画」を承認して予算10万英ポンドを計上、芸術基金 Art Fund から20万英ポンドの出資を取り付けると募金活動が始まり、並行して2004年からおよそ1年がかりで実際に復原できるかどうか検査させる。ダンディー市議会も動き、 2018年に宝くじの収益金から40万英ポンドの助成金を受けると、隈研吾設計のビクトリア・アンド・アルバート美術館ダンディー館に常設展示として再現されることが決まった[29]

参考文献

刺繍の額(1902年[* 2]

代表著者の姓のABC順

  • Katalog der Internationalen Kunstschau Wien 1909.. Vienna. (1909). p. 48. https://hdl.handle.net/2027/uc1.b3819965 2019年11月19日閲覧。 
  • Kirkham, Pat (2001). Charles and Ray Eames: Designers of the Twentieth Century (Fourth ed.). United States of America: Massachusetts Institute of Technology. p. 81 
  • Robertson, Pamela (1990). Burkhauser, Jude. ed. 'Glasgow Girls': Women in Art and Design 1880–1920. Edinburgh: Canongate. ISBN 978-1-84195-151-5 
    • 「Introduction」、57頁。
    • 「The Glasgow Style」、85頁。
    • 「Margaret Macdonald Mackintosh (1864–1933)」、109頁、110頁、113頁。
    • 「Tinker, Tailor, Soldier, Sailor: Margaret Macdonald and the Principle of Choice」、117頁。

脚注

注釈

  1. ^ 画面下の名札のような枠内、植物名の次の行の左右に縦書きで3文字のイニシャルがある。左列1文字目の「C」は夫チャールズ、右列1文字目はマーガレットの「M」。このことから、しばしば共作を示唆すると解釈されるが、研究者ロジャー・ビルクリフ (他) はむしろ、作品制作中にマーガレットの存在が支えになったからこそ「M」の1文字を加えたと断定する。
  2. ^ ウィリアム・デイビッドソンはマッキントッシュにウィンディヒルの家(1900年)の設計と建築を依頼した人物。

出典

  1. ^ a b c d Margaret Macdonald (1864–1933)”. Charles Rennie Mackintosh Society. 2016年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月25日閲覧。
  2. ^ Final opportunity to see outstanding Charles Rennie Mackintosh exhibition at Kelvingrove” (英語). Glasgow Life. 2020年11月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f マッキントッシュ・コレクションについて(The Hunterian - Collections - Collection Summaries - Art - The Mackintosh Collection)”. www.gla.ac.uk. グラスゴー大学. 2020年11月1日閲覧。
  4. ^ a b c 巡回展「グラスゴー派をつくったチャールズ・レニー・マッキントッシュ」(Charles Rennie Mackintosh Making the Glasgow Style Exhibition Tour)” (英語). Glasgow Life. Culture and Sport Glasgow ; Culture and Sport (Trading) CIC.. 2020年11月1日閲覧。
  5. ^ 学籍より。Orme Girls' School, Newcastle-under-Lyme, Registers。
  6. ^ 国勢調査より。1881 Census。
  7. ^ The Mysterious Garden – Margaret Macdonald Mackintosh”. スコットランド国立美術館群英語版. 2015年10月25日閲覧。
  8. ^ a b c Panther, Patricia. “Margaret MacDonald: the talented other half of Charles Rennie Mackintosh”. BBC. BBC. 2015年3月8日閲覧。
  9. ^ MX.04 Interiors for 120 Mains Street”. Mackintosh Architecture : Context, Making and Meaning. University of Glasgow. 2014年12月4日閲覧。
  10. ^ a b c d Margaret Macdonald”. collections.gla.ac.uk. グラスゴー大学. 2020年11月1日閲覧。
  11. ^ Robertson, Pamela, ed (2001). “The Chronicle: the letters of Charles Rennie Mackintosh to Margaret Macdonald Mackintosh, 1927.”. Mackintosh, Charles Rennie, and Pamela Robertson (再版 ed.). Glasgow: Hunterian Art Gallery, University of Glasgow. OCLC 47777244 ISBN 0904254755, 9780904254754
  12. ^ Kirkham 2001, p. 81.
  13. ^ Robertson 1990, p. 57.
  14. ^ Robertson 1990, pp. 85.
  15. ^ a b c 竹内有子. “グラスゴー派”. アートスケープ/現代美術用語辞典ver.2.0. 大日本印刷. 2020年1月7日閲覧。
  16. ^ Morris, William (1858). The Defence of Guenevere : and other poems / by William Morris. London: Bell and Daldy ; Chiswick Press ; Whittingham, Charles (1795-1876) . 歴代の所有者は Dannreuther, Edward(1844-1905)、Taylor, George Warington(1835-1870)、De Beaumont, Robin。
  17. ^ The defence of Guenevere : and other poems”. search.lib.buffalo.edu. University Libraries, University at Buffalo. 2019年11月19日閲覧。 特別収集品、稀覯本(Special Collections Rare Books PR5078 .D4 1858)
  18. ^ Defence of Guenevere - ublibraries”. ublibraries.smugmug.com. 2019年11月19日閲覧。
  19. ^ The Willow Tea Rooms(ウィロー・ティールームズ)”. The Charles Rennie Mackintosh Society. 2006年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月29日閲覧。
  20. ^ Katalog 1909, p. 48.
  21. ^ Mackintosh Architecture: The Catalogue - browse - display”. www.mackintosh-architecture.gla.ac.uk. 2017年6月5日閲覧。
  22. ^ Levetus, Amelia S. (1909年5月29日). “Glasgow Artists in Vienna: Kunstschau Exhibition”. Glasgow Herald: p. 11 
  23. ^ Robertson 1990, p. 113.
  24. ^ Robertson 1990, p. 117.
  25. ^ Robertson 1990, p. 110.
  26. ^ Robertson 1990, p. 109.
  27. ^ Sammlung Online” (ドイツ語). www.sammlungen.mak.at. 2017年6月5日閲覧。
  28. ^ MARGARET MACDONALD MACKINTOSH THE WHITE ROSE AND THE RED ROSE, 1902”. Christie's. 2015年10月25日閲覧。
  29. ^ a b Charles Rennie Mackintosh project funding boost” (英語). Glasgow Life (2018-06–01). 2020年11月1日閲覧。

写真の説明

  1. ^ a b c F・ワーンドルファー邸音楽室を飾った三部作のひとつ。
  2. ^ 絵の具の彩色ではなく刺繍で図柄を施したパネル。(1対、1902年)

関連項目

関連文献

発行年の古い順。

  • 「グラスゴー派」『近代建築史図集』、日本建築学会 (編)、p6-7頁、彰国社、1954年。doi: 10.11501/2468847
  • H.R.S.「コラム 近代建築運動の流派 (2) グラスゴー派」『近代建築』第25巻第2号、29-32頁、近代建築社、1971年2月。doi: 10.11501/6046353
  • 山本祐弘「グラスゴー派とマッキントッシュ」『インテリアと家具の歴史』近代篇、206-213頁、相模書房、1972年。doi: 10.11501/2525388全国書誌番号:71010897
  • ロバート・マックラウド『マッキントッシュ 建築家として・芸術家として』、横山善正 (訳)、鹿島出版会、1993年。ISBN 430604307XNCID BN09788052
  • チャールズ・レニー・マッキントッシュ『グラスゴー美術学校』第2期、ジェームズ・マコーレー、マーク・フィンズ、リリーフ・システムズ (編)、同朋舎出版、1994年。ISBN 4810418774NCID BN11642978
  • 「2章 近代デザインの鼓動 グラスゴー派の波紋」『美術手帖』 第46巻第686号、24-34頁、美術出版社、1994年3月。doi: 10.11501/7924241全国書誌番号:00020158
  • Neat, Timothy (1994). Part Seen, Part Imagined: Meaning and Symbolism in the Work of Charles Rennie Mackintosh and Margaret Macdonald Mackintosh, Edinburgh : Canongate.
  • Sheila Rowbotham. "Margaret MacDonald Mackintosh". A Century of Women. The History of Women in Britain and the United States. London : Viking, 1997, ISBN 0-670-87420-5, S.616.
  • 『色彩用語事典』、日本色彩学会 (編)、東京大学出版会、2003年3月。全国書誌番号:20529335
    • 「グラスゴー派」、151頁。
    • 「マッキントッシュ,チャールズ・レンニー」、442頁。
  • 吉村典子「グラスゴー派の刺繍--近代刺繍の成立と地域アイデンティティの確立〔含 英文〕」『国際服飾学会誌』、国際服飾学会 (編) 第29号、36-52頁、2006年。ISSN 0917-6551。
  • 西川栄明「ENGLAND グラスゴー派」『名作椅子の由来図典 = Illustrated Origin of Masterpieces:CHAIRS : 歴史の流れがひと目でわかる : 年表&系統図付き』増補改訂、117頁、誠文堂新光社、2015年1月。ISBN 978-4-416-61572-0全国書誌番号:22520509

外部リンク