ジョン・アイリー

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ジョン・アイリー

John Iley
生誕 (1967-09-29) 1967年9月29日(56歳)
イングランドの旗 イングランド
ストラトフォード=アポン=エイヴォン
国籍 イギリスの旗 イギリス
教育 ランチェスター工科大学
インペリアル・カレッジ・ロンドン
業績
専門分野 F1エンジニア
エアロダイナミクス
チーム代表
勤務先 アイリー・デザイン(2015 - )
雇用者 ブルン・テクニクス(1990 - 1991)
ジョーダン(1995 - 2001.11)
ルノー(2001.12 - 2003.11)
フェラーリ(2003.12 - 2009)
マクラーレン(2010 - 2012.4)
ケータハム(2012.5 - 2014.11)

ジョン・アイリー(John Iley, 1967年9月29日 - )は[1]イギリス出身の空力エンジニアで、元ケータハムF1チームのパフォーマンスディレクター[2]

人物[編集]

コヴェントリーランチェスター工科大学を卒業後、インペリアル・カレッジ・ロンドンで学び、風洞実験とスポーツ・プロトタイプのデータ解析に取り組み1990年卒業し学士[3]

初期(1989年 - 1995年)[編集]

  • 1989年、ユーロブルンF1チームカーの設計に参加。
  • 1990年、ユーロブルン・ジャッドC91スポーツカーのデザインに参加。
  • 1991年初頭、Allard J2Xスポーツカーのエアロダイナミシストとして雇用された。

卒業時の1990年、ビスターのレースカー設計ファームのブルン・テクニクスに空力デザイナーとして雇用された。

ウォルター・ブルンの名を冠するこの設計ファームは、F1チームのサブ・コンストラクター。

1983年に設立されたスイスのレーシングチーム、ブルン・モータースポーツのウォルター・ブルンが、F1参戦のために、イタリアのユーロブルンF1チームを作り出し、車両性能に飽き足らないそのオーナーが、1989年車輛をビスターに求め、ジョージ・ライトンロベルト・オーリティム・フィーストが、ジャッドが搭載されたER189を用意した。

Brun Technics (Bicester, UK)
ユーロブルン・ER189 (F1) (1988-1889年の設計作業)
モノコック製作はブルンテクニクス社 (ビスター)
ジョージ・ライトン George Ryton テクニカルディレクター
ロベルト・オーリ チーフデザイナー
1989.03-1990.09 ティム・フィースト Tim Feast チーフエンジニア
ブルン・C91 (グループC) (1989-1890年の設計作業)
モノコックの製作アドバンスト・コンポジット社 (ビスター)
スティーブ・リジャーズ Steve Ridgers
ヘイデン・バービル Hayden Burvill チーフデザイナー
ジョン・アイリー John Iley エアロダイナミシスト
Allard Motorsport (Basingstoke, UK)
Allard J2X-C (グループC)  (1990-1891年の設計作業)
モノコックの製作はベージングストーク
クリス・ハンバーストーン Chris Humberstone
ヘイデン・バービル チーフデザイナー
ジョン・アイリー John Iley エアロダイナミシスト
1990.09-1991.03 ティム・フィースト Tim Feast チーフエンジニア

ユーロブルン・ER189

在学中の風洞オペレーションでF1カーのER189の設計に関わったが、1990年、ブルン・モータースポーツの雇用を受けて、ジャッドを搭載したブルン・C91の設計と、3.5LグループCプロトタイプスポーツカーの設計に携わった。

1991年、Allard J2X-Cスポーツカーの空気力学担当者として採用され、以降は1995年までHRS Consultancyに所属し、

ジョーダン(1995年 - 2001年11月)[編集]

1995年、ジョーダンのエアロダイナミシストとしてにF1に移り[4]、1997年3月 - 2001年11月、空力部門のヘッドに就任し[5]ダレン・デイビスから引き継いだ空力部門の新しいチーフのシーマス・マラーキーを補佐した。

Jordan 198, Jordan 199, Jordan EJ10, Jordan EJ11, (Jordan EJ12)
投入年 設計年 型式 Engineering Director Chief Designer Chief Engineer Technical Director Head of Aerodynamics
1996 1995 ジョーダン 196 ティム・ホロウェイ マーク・スミス         ゲイリー・アンダーソン ダレン・デイビス[6]
1997 1996 ジョーダン 197 ポール・クルックス シーマス・マラーキー[6]
1998 1997 ジョーダン 198 マーク・スミス マイク・ガスコイン[6] ジョン・アイリー
1999 1998 ジョーダン 199 ティム・ホロウェイ マーク・スミス ボブ・ベル (Technology Director)
2000 1999 ジョーダン EJ10
2001 2000 ジョーダン EJ11 ボブ・ベル マイク・ガスコイン[6] エグバル・ハミディ[6]
2002 2001 ジョーダン EJ12 ジョン・マクキリアム ゲイリー・アンダーソン(Sporting Director)

ルノー(2001年12月 - 2003年11月)[編集]

2002年、ルノーF1チームに移り、空力部門のヘッド(Head of Aerodynamics)として、2002、2003年車で、マイク・ガスコインを補佐した。

Benetton B201, Renault R202, Renault R23, Renault R24
投入年 設計年 型式 Project Leader Chief Designer Executive Engineer Head of R&D 副TD Technical Director Head of Aerodynamics
2001 2000 ベネトン B201 マーク・スミス (Engineering Director) マイク・ガスコイン[6]
2002 2001 ルノー R202 マーク・スミス ティム・デンシャム パット・シモンズ Tad Czapski ボブ・ベル ジョン・アイリー
2003 2002 ルノー R23
2004 2003 ルノー R24 ディノ・トソ

フェラーリ(2003年12月 - 2009年12月)[編集]

2004年、チーフエアロダイナミシストとして フェラーリに加わった。

マクラーレン(2010年1月 - 2012年4月)[編集]

2010年、マクラーレンに参加し[4]、2011年後半、ガーデニング休暇を取得[4][7]

ケータハム(2012年5月 - 2014年11月)[編集]

2012年、パフォーマンスディレクターとしてケータハムF1でガスコインを再び補佐する。

F1でのキャリアの後、アイリーは「アイリー・デザイン」(Iley Design)のディレクターを務めている[4]

脚注[編集]

  1. ^ Gregoire, Francois-Michel (April 2006). Who Works in Formula One 2006. p. 205. ISBN 9781901711424. https://books.google.com/books?id=B1ErRfjy4I0C&pg=PA205 
  2. ^ Noble. “Caterham F1 team lays off over 40 members of staff in restructure”. autosport.com. 2018年7月5日閲覧。
  3. ^ The Imperial”. grandprix.com. 2022年8月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e McLaren aero man Iley heading to Caterham”. pitpass.com. 2018年8月5日閲覧。
  5. ^ John Iley”. linkedin.com. 2022年8月15日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 空力部門トップ
  7. ^ Young (2011年11月27日). “McLaren: Lotus blow no big deal for 2012”. mirror.co.uk. 2018年7月5日閲覧。

外部リンク[編集]