オリックス・バファローズの応援団

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オリックス・バファローズの応援団(オリックス・バファローズのおうえんだん)では、プロ野球オリックス・バファローズ私設応援団について記す。球団の沿革から、大阪近鉄バファローズ系の応援団と、阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ系の応援団が存在する。

活動中の団体

大阪近鉄バファローズ系

大阪私設應援團

概要
読みは「おおさかしせつおうえんだん」。
発足は1985年。バファローズ道楽会、高井田応援団、高鷲近鉄バファローズファンクラブの三者が合併して設立。その後、1993年に関西優牛会も合流。主に近鉄の応援歌の作詞をし、和田益典(現大阪紅牛會)の作曲が大半である。2002年笑丑會、2003年大阪紅牛會に分かれている。
当初は黄色ベースのホームユニフォームを着用していた。関西優牛会合流後は赤い法被に左袖に日の丸に「必勝」と書かれた腕章、背中は横書きの2段で「大阪應援團」。大阪ドーム開場後は腕章無しのタイプとなり、1999年から背中は縦に「大阪私設應援團」となった。かつては九州や関東に支部があった。襟の文字は、近鐵バファローズ私設應援團 いてまえ河内男児の本領発揮」(初代)、「大阪近鐵バファローズ私設應援團 いてまえ河内男児の本領発揮」(2代目)である。
現在[いつ?]もオリックス・バファローズの応援歌の制作を行なっている応援団の一つである[1]
応援旗
  • 黄地に赤の猛牛マークと赤文字で「大阪私設應援團」
横断幕
  • 赤地に「豪打いてまえ猛牛打線 大阪私設応援団」

大阪紅牛會

概要
読みは「おおさかこうぎゅうかい」。
「大阪私設應援團」内部の精鋭部隊として2003年設立。初代会長は和田益典で、現任の二代目會長は谷口一雄。
法被の襟の文字は「大阪私設應援團 本部 精鋭部隊 情熱で紅く炎ゆる葛球魂」
設立当時は実力を認められたメンバーのみで構成されていたが、特別応援許可制になったためオリックス応援団の中核として活動している。2012年シーズン前半戦は特別応援許可が下りず、応援活動が認められなかった。
主にナゴヤドーム以西の西日本全域で活動し、まれに東日本での試合でも活動することがある。
2010年に合併後初の応援歌CD『真紅と蒼の響 オリックスバファローズ選手別応援歌2009〜2010』(品番:B003ANMHB4)を発売した[2]
現在[いつ?]、オリックス・バファローズの選手別応援歌の制作を他のオリックス応援団とともにおこなっている[1]
応援旗
黄地に猛牛マークと赤文字で「大阪私設應援團 (株)市谷組」
白地にオリジナルマークと上部が赤地に白文字で「OSAKA DEEP RED BULLS」、下部が紺地に白文字で「BASEBALL BRASS ROOTERS」
2011年からの新球団旗
T-岡田個人旗:紺地に白で「T 岡田貴弘」
横断幕
赤地に「大阪私設應援團 本部 精鋭部隊 大阪紅牛會」と旧HPアドレス
T-岡田個人幕:紺地に「浪速の轟砲 T 岡田貴弘 大阪紅牛會」
吉田正尚個人幕:白地に「前人未到の頂へ 吉田正尚」
山本由伸個人幕:白地に「奮励努力 山本由伸」
福田周平個人幕:紺地に「雄渾と戦え 福田周平」

笑丑會

概要
読みは「しょうちゅうかい」。
オリックス・バファローズの応援歌の制作を行なっている応援団の一つである[1]2002年5月設立。
団服は法被ではなく黄色かオレンジ色で、左胸に「笑丑」を模ったマークと「大阪私設應援團 笑丑會」と書かれたTシャツを着て活動している。

オリックス・ブルーウェーブ系

神戸蒼誠会

概要
読みは「こうべそうせいかい」。
オリックス・バファローズの応援歌の制作を行なっている応援団の一つである[1]。オリックス・ブルーウェーブ系私設応援団「神戸青波連」の後続団体である。合併後の2005年から活動している。西日本だけでなく、東日本での試合にも遠征している。会長は後藤正樹。
法被は青地で、襟の文字は黄色の白縁で「我らの心に刻まれた誠の青波魂 夢に向かって邁進する 神戸蒼誠会」、背中の会名は青地に同じく黄色の白縁で「神戸蒼誠会」と縦書き。
ブルーウェーブ復刻試合開催時は、神戸青波連の法被を着用して活動する。ブルーウェーブ時代やブルーウェーブ復刻試合はブルーウェーブ応援旗を外野スタンドで振っている。

天体観測

概要
読みは「てんたいかんそく」。
オリックス・バファローズの応援歌の制作を行なっている応援団の一つである[1]
1996年のオフにブルーウェーブの女性応援団、関西雨天中止が解散。その後、その中のメンバーが天体観測を創設した。合併当時は男性もいたが、現在は女性だけで構成されている。名前の由来は、「星である選手を観測する」から。
法被はベージュ地に白で「天体観測」と縦書きで、襟の文字は「力強き百花繚乱の如く 太陽のように天真爛漫で」。
「天体観測」と団名の書かれた旗を振っている。

オリックスバファローズ東京応援団

概要
読みは「オリックスバファローズとうきょうおうえんだん」。
阪急ブレーブス時代から応援活動を行なっている。1963年に当時の東京スタジアムにおいて、あまりにも阪急ファンが少ないため内野席で旗を振り始めたのが始まりである。
「ブレーブス東京応援団」→「オリックスブルーウェーブ東京応援団」→「オリックス東京応援団」という名称を経て現在の名称となった。東京応援団となっているが、活動の範囲は関東地方に限らず静岡県以東の東日本全域である。関東圏のほか、北海道在住の団員もいる。また、本拠地京セラドームやほっともっとフィールド神戸を中心とした西日本での試合にも遠征して活動している。ブレーブス東京応援団やオリックスブルーウェーブ東京応援団時代から在籍しているメンバーも複数人いる。特に50番さん・50番先生と呼ばれているメンバーは、ブレーブス東京応援団時代から在籍している(背番号を50にしているのは、阪急に所属したアニマル・レスリーにちなむ)。
2002年前半までは、その時期のチームのビジターユニフォームと帽子をかぶり応援していたが、2002年後半からは「ORIX 東京応援団」と書かれた青い法被を着用していた。現在[いつ?]は応援団独自の青いユニフォームを着用し、背文字に「TOKYO応援団」と団員各々の「背番号」がついている。
扇子を使用したり、私に当てて○○等独特な掛け声やトークでスタンドを盛り上げる応援芸は伝統芸能と呼ばれている[誰によって?]
ブルーウェーブや阪急復刻試合では、当時のビジターユニフォームを着て応援している。ブルーウェーブ復刻試合では、田口壮のブルーウェーブ時代の応援歌や当時のヒットテーマも演奏された。試合後の2次会では野球拳も演奏された。
ブルーウェーブ時代までは、チャンステーマとしてジャンプ以外に藤井康雄の応援歌を使用したり、関東と関西で違う応援歌や応援歌は一緒でも日高剛大島公一ジョージ・アリアス等東西で違う歌詞を使用したりしていた。相川良太の歌詞は合併後も東西で歌詞が違っていた。
応援旗
  • 旧球団旗に「東京応援団」と赤字で記載。
  • 白地に赤文字で「執念」、上部には青と黄色の文字で球団旧ロゴの「ORIX Buffaloes」、下部に赤文字で「オリックスバファローズ東京応援団」
  • ブルーウェーブ球団旗
  • 現在のオリックス球団旗

かつて存在した団体

  • 阪急→オリックス系
    • 八二会(やじかい) - 結成時期については「1966年」[3]、「1967年」[4]と複数の説がある。応援団長の今坂喜好はスタジアムのファンも選手も楽しませる野次で「名物団長」と呼ばれた。八二会は今坂の記憶では「23人前後」のメンバーがおり、試合には15人程度が来ていたという[5]。メンバーには交代もあり、全員が一貫してはいなかった[5]。ブレーブスのオリックスへの売却に伴い「八二会」は活動を取りやめ(会としては存続)、一部メンバーがオリックス・ブレーブス応援団に流れた[6]。その後オリックスが球団名を「オリックス・ブルーウェーブ」に改称すると「八二会」は正式に解散した[6]
    • 勇者会 - 主に団員は八二会より若い層が多かった。オリックス売却後も内野で活動していたが、1990年頃解散。内野応援団自体は1997年頃まであった。1990年頃は外野席で活動する稲妻一家と軋轢があったとされる。
    • 稲妻一家 - オリックス・ブレーブス発足時に活動開始。南海ホークスの元ファンが中心だった。神戸移転後、神戸連波隊となる。
    • 神戸連波隊 - 1991年の神戸移転時から活動していた。名古屋と福岡に支部があった。2001年頃解散。末期は神戸青潮舎と改称。
    • 神戸青波連 - 1991年頃から活動開始。2004年の合併時まで活動していた。現在、団員は「神戸蒼誠会」として活動している。
    • 福岡連波隊 - 1991年頃から活動していた。後に九州雷青会に改称。
    • 九州雷青会 - 福岡ドームなどで活動していたが、オリックスと近鉄の合併時の2004年に解散。黒地に白字で雷青会と書かれた応援旗を使用。
    • 関西雨天中止 - 女性応援団。関西雨天中止と記載された青い応援旗を使用。1996年に解散したが一部団員は「天体観測」を発足させた。ブルーウェーブ復刻試合では、関西雨天中止の応援旗も使用された。
    • 名古屋連波隊 - 末期は中京波浪会に改称していた。
  • 近鉄系
    • 高井田応援団 - 1965年頃に発足、近鉄バファローズの最古の私設応援団。
    • 近鉄バファローズ東京応援団 - 1975年頃に発足、ホームユニフォームと三色帽、白いロングパンツのスタイルで応援していた。1995年まで活動し、関東大村会に生まれ変わる。
    • 関西優牛会 - 1988年から1992年まで活動。名古屋と博多に支部があった。
    • 関東あばれ牛会 - 1989年限りの活動。近鉄バファローズ東京応援団から派生し、主に外野席で活動していた。
    • 松原猛牛会 - 藤井寺球場日生球場の一塁側内野スタンドを中心に活動していた。その後は外野ライトスタンドで活動。ユニフォームに猛牛マークと「OSAKA MATSUBARA」「猛牛会」の名前がある。

脚注

  1. ^ a b c d e エンタテイメント | オリックス・バファローズ[リンク切れ]
  2. ^ オリックスバファローズ選手別応援歌2009~2010 「真紅と蒼の響vol.1」 - HMV ONLINE
  3. ^ 読売新聞阪神支局『阪急ブレーブス 勇者たちの記憶』中央公論新社、2019年、p.106
  4. ^ 福本豊『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』ベースボール・マガジン社〈追憶の球団〉、2014年、pp.153-154
  5. ^ a b 吉岡悠 『野球難民』長崎出版、2005年、p.171
  6. ^ a b 吉岡悠 『野球難民』長崎出版、2005年、pp.181 - 182

外部リンク