イロコイ連邦

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イロコイ連邦(イロコイれんぽう、: Iroquois Confederacyまたは: Haudenosaunee(ロングハウスを建てる人々の意)とも)は、北アメリカニューヨーク州北部のオンタリオ湖南岸とカナダにまたがって保留地を領有する、6つのインディアン部族により構成される部族国家集団をいう。

イロコイ連邦の国旗。イロコイ憲法を記録した「ワムパム・ベルト」を意匠としている。

歴史

フランス人からの交易品を身につけるイロコイ族(1722年)
1650年のイロコイ連邦の領土
18世紀にタスカローラ族が同盟し、6部族連合となった

17世紀に、ワイアンドット族(ヒューロン族とも、Huron)のデガナウィダと、モホーク族ハイアワサの調停によって、五大湖湖畔のカユーガ族英語版、モホーク族、オナイダ族英語版オノンダーガ族英語版セネカ族英語版の5つの部族が同盟し、「フーデノサウニー(Haudenosaunee)」という今日「イロコイ連邦」として知られる6部族連合の連邦国家が成立した。デガナウィダによって設計されたこの部族連合は、18世紀前半にタスカローラ族英語版が加わって6部族連合となったのち、現在まで強固な結束を保っている。5部族の和平を結び連邦の成立を成し遂げたデガナウィダとハイアワサは、「グランド・ピースメーカー (Grand Peace Maker)」 として知られている。

「イロコイ」の名称は、ワイアンドット族(現在、インディアン管理局監視・管理下のワイアンドット国英語版)が「イリアコイ(黒い蛇)」と呼んだ通称に、フランス入植者が「ois」を語尾に付け、「イロコワ(Iroquois)」と呼んだのが由来である。彼ら自身は「オングワノシオンニ(我ら長い小屋に住む者)」と自称する。

統治

伝統的に母系社会であり、現在も「 クラン・マザー(氏族の母)」として、女性酋長合議制を代表している。イロコイ連邦の部族を始め、インディアンの酋長(チーフ)は独任制で、首長ではなく調停者である。全権を掌握するような部族長ではない。また、インディアン部族に部族長は存在しない[1]

重要な決まりごとはワムパム・ベルト英語版という貝殻ビーズの織物に幾何学模様で記録する。19世紀になると、白人たちがでたらめな模様のワムパム・ベルトを作って売り買いしたため、これを正規物と誤解したインディアン部族間の戦争まで起こった。現在も部族の法を記録したこの織物は大切に保持されている。

敵の頭の皮を手土産に、捕虜を連行するイロコイ戦士(1849年)

イロコイ連邦は女が農耕をおこない、男は戦士を務める軍事国家だった。彼らは周辺のインディアン部族に戦いを挑み、敵部族の捕虜に対して両側から棒で殴られる中を走らせるガントレットの儀式で試し、これに耐えた戦士を新しい血、公式な部族員として迎えた。イロコイの戦士の苛烈さは他部族のみならず白人入植者を震え上がらせた。彼らは敵部族に拷問を行う風習も持っていた。また、彼らは敵部族を征服し傘下とすると、安全保障条約を結び、その部族に代わって他の部族と戦った。

こういった獰猛な戦士の姿から、イロコイ連邦の部族に「蛇」をイメージするインディアン部族は多かった。オジブワ族は彼らを「ナドワ(毒蛇)」と呼んだ。これは「スー族(ナドウェズスー=小さい毒蛇)」と同じ由来である。オッタワ族は彼らを「マッチェナウトワイ(悪い蛇)」と呼んだ。

文化

「ロングハウス」
粉を挽き、干した果物を砕くイロコイ族の女性(1664年)

農耕

ロングハウスという、数家族が同居する住居(右図)を伝統住居とし、トウモロコシや豆、カボチャを栽培する農耕を行った。イロコイ連邦の部族はこの三種の作物を「三姉妹」と呼んで崇める。彼らの伝統的な作付けは、これらの種を同じ場所に撒き、トウモロコシに豆が絡みつき、その根元をカボチャが覆う、というものである。トウモロコシと豆を共に栽培するのは、労力の節約のほかに土壌から失われる窒素を豆で補う効果もあった。

食文化

1日に一度、朝と昼の中間の時間に正餐をとり、野禽のロースト、魚介類、サラダやベイクドパンプキン、ベイクドスクワッシュ、ヘーゼルナッツのケーキなどを食した。これらはニューイングランドの古典的な料理であるクラムチャウダー、ボストン・ブラウン・ブレッド、クランベリー・プディングなどの原型となった[2]

アメリカ連邦政府との関わり

フーデノショーニー(イロコイ連邦)のパスポート。最初期の部族パスポート構想は1923年から始まるものである

アメリカの独立戦争に際しては英国側に与して戦ったが1779年に破れて、1794年アメリカ合衆国連邦政府と平和友好条約を結んだ。アメリカ合衆国国務省パスポートを認めず、鷲の羽根を使った独自のパスポートを発行、同パスポートの使用はいくつかの国家により認められている。日本国政府は2005年に宗教史協会の集まりでイロコイ連邦代表団が来日した際に、このパスポートを承認している。

国連も認める独立自治領であり、1949年にはイロコイ連邦代表団はニューヨークの国連ビルの定礎式に招かれている。アメリカ合衆国が1917年にドイツに宣戦布告をした際には、イロコイ連邦は、独自の独立宣言を発行し、第一次世界大戦同盟国としての地位を主張している[3]。独立した国家として、連邦捜査局(FBI) などアメリカ合衆国連邦政府の捜査権も及ばない。

連邦政府が公認した全米500以上に上るインディアン部族は、インディアン管理局(BIA)の監視・管理下にある「部族会議」を設置してen:Federally recognized tribesが集まる首長制になっている。

イロコイ連邦は、首長制を強制するBIAの監視・管理下にある「部族会議」に相当する組織を最初から持たず、アメリカ合衆国=BIAの干渉を一切拒否し、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。これはアメリカ合衆国政府が条約で保証している、保留地(Reservation)の本来の姿である[4]

イロコイ連邦の連邦制度自体、アメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、13植民地アメリカ合衆国として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法の制定にも関係した、とする研究者は多い[5]。1780年代の合衆国憲法制定会議には、イロコイ連邦や他のインディアン民族諸国の代表団が含まれていた。イロコイはフランクリン(→アルバニー計画)や、ジェファーソンに影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた[6]。イロコイ連邦はそのヴィジョンをアメリカ合衆国に託するために協力を惜しまなかった。かつてアメリカ合衆国大統領は就任に当たってイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習となっており、近年のジョンソン大統領まで続いた。

共和主義民主主義の高潔な原理に基づいた、彼らイロコイ連邦の国家組織は、結局ベンジャミン・フランクリンを含む多くの植民地指導者の関心を集めた。18世紀中を通して、彼らの五カ国の自治システムの中心にあった共和・民主の両原則は、白人の男性支配の哲学のなか、より正当で人道的な政治手法を捜していたヨーロッパとアメリカの政治体に組み込まれたのである[7]

このイロコイ連邦(六部族連邦)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンやトマス・ペイン)は、ロングハウスでの同盟部族会議に参加し、外交についての授業を受けている。イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示している[8]

合衆国のハクトウワシの国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由信教の自由選挙弾劾、「安全保障条約」、独立州の連邦としての「連邦制」などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。また、イロコイは事実上、最も初期に女性の選挙権を認めた集団である[9]

イロコイ連邦の六部族国家のひとつ、オノンダーガ国英語版は自治権の強さで知られ、海外への旅行の際にもアメリカ政府のパスポートを必要としない。1973年に「ウーンデッド・ニー占拠」の代表団の一人で、連邦から訴追されたデニス・バンクスが、1983年、FBIから逃れるためにオノンダーガ国に亡命して話題となった。FBIはオノンダーガ国内に侵入できず、バンクスに手が出せなかった。イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言に対し、真っ先にこの独立を承認した[10]

2009年9月21日、ニューヨーク州のセネカ族国家は、セネカ部族民が西半球を主権的に旅行できる旅行身分証明書を発行するため、アメリカ合衆国国土安全保障省と開発協定の約定書に調印した。このカードが発行されれば、セネカ族国民はアメリカの国境を自由に越え海外と行き来出来ることとなる[11]

イロコイ連邦(六部族連邦)に属するアメリカ及びカナダの六部族国家

オノンダーガ族の村(17世紀、サミュエル・ド・シャンプラン
  • セネカ族英語版 オノドワーガ Onodowohgah(丘の上の人々)ともいう。「西の扉を守るもの」であり、「六兄弟の“長兄”」。
  • モホーク族 カニエンケハカ Kanienkehaka(火打石の人々)ともいう。「東の扉を守るもの」。
  • オノンダーガ族英語版 オヌンダガオノ Onundagaono(丘の人々 )「炎とワムパムを守るもの」であり、「六兄弟の“兄”」
  • オナイダ族英語版 オナヨテカオノ Onayotekaono(直立した石の人々)ともいう。「中央の炎を守るもの」であり、「六兄弟の“弟”」。
  • カユーガ族英語版 グヨーコーニョ Guyohkohnyo(大沼沢地の人々)ともいう。「聖なるパイプを守るもの」であり、「六兄弟の“弟”」。
  • タスカローラ族英語版 スカルレン Ska Ru ren(麻を採る人たち)ともいう。 18世紀初頭に加わった「六兄弟の“弟”」。

インディアン・カジノ

「インディアン・カジノ」は、保留地と連動したアメリカ連邦政府との連邦条約規定に基づくインディアン部族の権利である。貧困にあえぐインディアン部族にとってこれは、「現代のバッファロー」と呼ばれる最後の切り札である。イロコイ連邦では現在、3部族が以下のカジノを運営している。

  • セネカ族
「セネカ・アレガニー・カジノ」
「セネカ・ゲーミング・エンターテインメント」 - 二か所で営業
「セネカ・ナイアガラ・カジノ」
「レイクサイド・ゲーミング」
「バッファロー渓流カジノ」
  • モホーク族
「アクウェサスネ・モホーク・カジノ」
「モホーク・ビンゴ・パレス」
「モホーク・モンチセロ競馬場&カジノ・リゾート」 - 競馬場も併設した一大娯楽リゾート
「モホーク・山岳カジノ・リゾート」
  • オナイダ族
「曲がり角の石のカジノ・リゾート」

各部族国家の代表的な酋長

ニューヨーク州バッファローでの集合写真(1914年)
  • セネカ族
レッド・ジャケット(ソゴイェワファ Sogoyewapha)セネカ族の英雄
コーン・プランター(カイイオントワコン Kaiiontwa'kon)セネカ族酋長
ハンサム・レイク(ガネオディヨ Ganeodiyo) セネカ族酋長
  • モホーク族
ハイアワサ(Hiawatha) モホーク族の戦士。17世紀にワイアンドット族デガナウィダとともにイロコイ連邦を創設した英雄。
ジョセフ・ブラント(タイイェンダナゲア Thayendanagea) モホーク族酋長
キング・ヘンドリック(チヤノガ Tiyanoga) モホーク族酋長

脚注

  1. ^ 『Readings in Jurisprudence and Legal Philosophy』(Felix S. Cohen、1952年)
  2. ^ 東理夫 『クックブックに見るアメリカ食の謎』 45頁
  3. ^ 『Countries and Their Cultures』“IROQUOIS CONFEDERACY”
  4. ^ 『聖なる魂』(デニス・バンクス、森田ゆり、朝日文庫1993年)
  5. ^ Fadden, John Kahionhes. The Tree of Peace.
  6. ^ 『Debating Democracy: Native American Legacy of Freedom』(Bruce E.Johnson、Clear Light Books、1998年)
  7. ^ 『The Patriot Chiefs』(Alvin M. Josephy junior、PENGUINBOOKS、1969年)
  8. ^ “World Geophysical Year Science Forum”、1952年
  9. ^ 『Iroquois Culture & Commentary』(Doug George-Kanentiio、Clear Light Pub、2000年)
  10. ^ 『OJIBWA WARRIOR』(Dennis Banks&Richard Erdoes、University of Oklahma Press、2004年)
  11. ^ Indian Country Today』(2009年9月21日記事、Gale Courey Toensing)

関連項目

参考文献

  • L.H.モルガン「古代社会 上巻」(岩波文庫)
  • デニス・バンクス、森田ゆり「聖なる魂」(朝日文庫)
  • 横須賀孝弘「北米インディアン生活術」(グリーンアロー出版社)
  • 星川淳「魂の民主主義」(築地書館)
  • Dennis Banks&Richard Erdoes「OJIBWA WARRIOR」(University of Oklahma Press)

外部リンク