お茶の水スクエア

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西南方向から撮影

お茶の水スクエア(おちゃのみずスクエア)は、かつてカザルスホールと呼ばれ使われていたコンサートホール(お茶の水スクエアA館)である。東京都千代田区神田駿河台に所在する。2002年より学校法人日本大学の所有物となった。

概要

正面から撮影

館内は主婦の友社ビル跡に主婦の友社の完全子会社である株式会社お茶の水スクエアにより開発したコンサートホールオフィスなどの複合施設(A館、B館、C館の3棟)であった(そのうちB館、C館は2005年に取り壊された)。

そのうちの、お茶の水スクエアA館(設計者・磯崎新)は1987年(昭和62年)12月8日に、日本初の室内楽専用ホール『カザルスホール(英称:Casals Hall)』として開設した。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計による旧主婦の友社ビル(1925年(大正14年)竣工)のファサード(外観)を残しつつ復元したものである。

カザルス」の名は、20世紀を代表する巨匠パブロ・カザルスの名にちなみ、本格的な室内楽を日本に届けたいという思いをプロデューサー萩元晴彦が込め、カザルスの没後、音楽の重要な拠点として後世のために末永く守ってくれることを条件にカザルス夫人からその名の使用許諾を受け、その名を冠してきた。館内のチャイムは、カザルス編「鳥の歌」の旋律で、ホール名のマークはカザルスの頭文字「C」にオリーヴをくわえる鳥をあしらっており(「鳥の歌」にちなむ)、カザルスがホールの随所に行き届いている。

千代田区景観まちづくり重要物件

高層部を付加したデザインは近代建築の再生保存の先駆的な例であり、つくばセンタービル(1983年(昭和58年)6月竣工)などと並び日本におけるポストモダン建築の代表的作品のひとつとみなされている[要検証]。また、1989年に第30回BCS賞を受賞した。2003年(平成15年)6月には千代田区景観まちづくり重要物件に指定されている。

日大不動産買収へ

しかしながら、バブル期に竣工した独特の構造である故、総工費に見合った充分な賃料収入が得られず、お茶の水スクエア社は赤字経営が続き、2000年頃から主婦の友社は資産整理の一環として各所に売却を打診するようになる。

そして2001年8月に学校法人日本大学が当施設の不動産全体を主婦の友社から約480億円という学校法人としては破格の金額で買収する旨を発表した。2002年12月に同法人へ譲渡される事に伴い、カザルスホールは同年11月を以て一時閉館となり、テナントオフィスも順次撤退した。

2002年12月に運営会社のお茶の水スクエアは株主総会で解散を決議。東京地裁特別清算(負債総額は約75億円)を申請した。

旧B館及びC館は2003年前半に鹿島の施工によって取り壊され、再開発が着工されるまでは、平面の時間貸駐車場として運用された。

その後、日本大学お茶の水キャンパスの再開発に伴い、お茶の水スクエアのうちB館、C館はすでに取り壊され、本ホールも2010年3月31日限りで使用停止とされたが、学校法人日本大学は学内に検討委員会を2010年5月に発足させ、その後の計画を模索した。

公表の情報では、取り壊しが決定されているわけではなく、ホールの存続の是非が白紙の状態から検討されており、再開館の可能性もある。千代田区も、学校法人日本大学へホールの存続を申し入れている。また、次の建設計画が立っているわけではないとされているが、耐震基準に触れて使用停止が目前に迫っている駿河台日本大学病院をホール跡に建設する計画が有力と報道された。

ただ、カザルス夫人は、ホールの閉鎖について学校法人日本大学からは、事前に何の連絡も説明も受けていないと困惑しており、カザルスホールを守る会の名誉発起人となっている。カザルスはスペインにおいて国民的英雄であるため、スペインでは本ホール存続の署名運動が国家的な動きに発展しつつあり、学校法人日本大学側は国際問題とならないよう対応を検討している。

略史

  • 1987年12月8日 - 主婦の友社が出資する株式会社お茶の水スクエアによって、お茶の水スクエアA館が建設され、館内に「カザルスホール」が開設される。こけら落し公演は、「パブロ・カザルスに捧げるチェロプレミアコンサート」であった。
  • 1997年 - 創立10周年を記念して、ドイツユルゲン・アーレントバロック様式オルガンを設置。
  • 2000年 - 主婦の友社の資産整理に伴い、お茶の水スクエアの売却問題が持ち上がる。
  • 2002年 - お茶の水スクエアの敷地を所有していた株式会社主婦の友社、株式会社お茶の水スクエア、財団法人石川文化事業団は、お茶の水スクエアの敷地を学校法人日本大学へ譲渡。同敷地内に存在していたカザルスホールは日本大学のものとなる。
  • 2003年
    • 4月 - 大学院を開発するまでの間、お茶の水スクエアA館は「日本大学カザルスホール」と改名し、今まで通りと同じくコンサートホールの貸し出しをおこなう。
    • 6月 - 千代田区景観まちづくり重要物件に指定される。
  • 2004年 - 日本大学法務研究科(お茶の水キャンパス)を設置。2010年3月中にコンサートホール閉館を決定。
  • 2010年3月31日 - 水野均(オルガン担当)、横坂源(チェロ担当)、伊藤恵(ピアノ担当)出演のコンサート(18:30開演)を最後に、事実上の貸し出し終了(事実上の閉館)となる。
  • 2010年4月1日 - 「カザルスホールを守る会」が発足。
  • 2010年6月18日 - 「カザルスホールを守る会」記者会見がTV、新聞などで報道される。
  • 2010年7月29日 - 「ファイナル・コンサート」が開催。歯学部長(元日大副総裁)と共に、歯学部同窓会会長がホールを存続させたいという同窓会としての意向を壇上で発表。

過去に入居していたテナント

関連項目

出典

座標: 北緯35度41分50秒 東経139度45分45秒 / 北緯35.69722度 東経139.76250度 / 35.69722; 139.76250