Atari 8ビット・コンピュータ
アタリは1979年からモステクノロジー6502マイクロプロセッサを使用した8ビットホームコンピュータのシリーズを発売した。以後10年間に、同じ基本設計のいくつかのバージョンがリリースされた。初期の Atari 400 と Atari 800、その後継機の XL および XEシリーズがある。これらの内部設計はほぼ同一である。また、カスタムのコプロセッサチップを使用した初めてのホームコンピュータでもある。IBMはアタリからライセンス供与を受けてホームコンピュータ市場に参入することを検討したが、最終的に独自の設計で行くことを決めた経緯がある。
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[編集] 歴史
[編集] 起源
VCS(後のAtari 2600)がリリースされると、Cyanと呼ばれる技術チームは後継機の設計にとりかかった。彼らはVCSの商品としての寿命を三年と考え、その時点で可能な機能を実現することにした。結果として開発されたものはVCSの明らかな問題点を改善したバージョンであった。
より新しいデザインはVCSよりグラフィックスとサウンドハードウェアを改良したものである。1978年はそれらの機能を実現するチップの設計に費やされた。第一は「カラーテレビジョン・インターフェイスアダプター(CTIA)」と呼ばれるビデオ用チップである(VCSが使っていたチップは「テレビジョン・インターフェイスアダプター(TIA)」と呼ばれていた)。
この時点でホームコンピュータ革命は、Apple II、Commodore PET、TRS-80によって始まっていたが、アタリの新CEO Ray Kassar は、CTIA を使ってアップルに挑戦したいと考えた。アタリは自らの手でホームコンピュータを開発製造するのに必要なことは何か、調査を開始した。VCSがサポートしていなかったキャラクターグラフィックのサポート、周辺機器のための拡張手段、BASIC言語、キーボードなどが必要と考えられた。
[編集] 設計
この時期のCyanの主な仕事は ANTIC と GTIA というふたつのLSIの設計である。このふたつでグラフィック関連の心臓部を形成した。ANTICは表示命令を実行するマイクロプロセッサの一種である。ANTIC用プログラムは「ディスプレイリスト」と呼ばれる。各命令は、各行に何を表示するか(文字かグラフィック)、どの位置に表示するか、割り込みを含むか、ファイン・スクロールを行うか、データを取ってくるメモリアドレスなどを指示する。ANTICはこういった「ディスプレイリスト」をDMA(ダイレクトメモリアクセス)で読んで、GTIAが処理できる電気的信号に変換する。この一連の処理はCPUをわずらわすことなく実行できた。
GTIAは ANTICからグラフィックス情報を受け取り、スプライトを制御し、衝突を検出し、優先度制御や色輝度(明るさ)制御を行う。GTIAはこれらの情報を使い、デジタルからアナログへの変換を行ってディスプレイに表示信号を送る。
三番目のカスタムチップは POKEY と呼ばれ、キーボード入力、サウンド生成、シリアル通信を担当した。また、タイマー、乱数発生器、割り込み制御の機能も持っている。POKEYには半独立の4つのオーディオチャンネルがあり、それぞれが独自の周波数とノイズと音量を設定可能である。それぞれ8ビットのチャンネルであるが、そのうちのふたつを16ビットのひとつのチャンネルとして使用して、さらに高品質の音を発生させることもできる。
6502が初期のマシンで広く使われた主要な理由の1つはコストだったが、もうひとつの理由としてグラフィックス処理に適していたことがあげられる。CPUはクロック信号波形がハイレベルのときのみメモリにアクセスする。したがってビデオコントローラーはクロック信号波形がローレベルのときにメモリにアクセスできる。アタリの技術者は GTIA がメモリアクセスするのに支障が出ないようにクロック周波数を決定した。このため、NTSCテレビでは 1.79MHz、PALでは 1.77MHzというクロック速度が決定された。
当時の他のベンダーと同様、アタリは当初 Microsoft BASIC を採用して 8KバイトのROMカートリッジで提供する予定だった。しかし、既存の 6502 用 Microsoft BASIC は12Kバイトで、そのサイズを減らそうとするアタリの努力は全て失敗した。結局、独自のBASICを自前で一から開発し、ATARI BASIC として提供することとなった。
[編集] 初期のマシン: 400 と 800
アタリは、ふたつの機種を発売するマーケティング戦略を採用した。ローエンドの「キャンディ」はゲーム機として販売し、ハイエンドの「コリーン」はコンピュータとして販売するというものである。「コリーン」にはROMカートリッジにもRAM増設にも使えるスロット、二つ目のカートリッジスロット、ビデオ出力、フルキーボードを装備し、一方で「キャンディ」はプラスチックの膜構造のキーボードとカートリッジスロットをひとつだけ備えていた(メモリ拡張不可)。どちらのマシンも基板をアルミニウムで遮蔽し、FCCの規定に沿うようになっていた。ちなみにRFモジュレータを持たないアップルのマシンはFCCの規定を守る必要はなかった(初期のTRS-80はFCCの規定を満足していない)。
マシンは1978年12月に 400 と 800 として発表されたが、一般に入手可能となったのは 1979年11月である。この名称はメモリ容量を示していて、400 は 4KバイトのRAM、800 は 8KバイトのRAMを搭載する予定だった。しかし、リリース時点ではRAMの価格が下がっていたため、実際にはそれぞれ 8Kバイトと 16KバイトのRAMを搭載することとなった。
新しいFCC制限のため、400/800は Apple II コンピュータにあったような拡張スロットを装備できなかった。代わりにアタリは独自のシリアルI/Oインターフェイスを開発した。全ての周辺機器(カセットドライブ、ディスクドライブ、インターフェイスボックスなど)はこのインターフェイスで接続された。これは周辺機器の高価格化を招いてしまった。当初 16KバイトRAMでリリースされたものの、価格競争が激しくなり、全スロットを使って48KバイトRAMを搭載したバージョンをリリースするようになった。
[編集] XL シリーズ
[編集] 1200XL
Atari 800 は複雑で原価も高かった。RAMもマザーボード上のコネクタに差し込むカードになっていたため、48Kバイトをフルに搭載していてもコネクタなどコスト高となる部品を省略できなかった。また、 Atari 400 は1980年代初頭の他のコンピュータと比較しても貧弱であった。別の大きな変化は特に家庭とオフィスのデジタル機器に関するFCCの格付けの導入であった。クラスBという格付けでは、RF出力がラジオやテレビに電波障害を起こさないレベルであることを求められた。コンピュータによる電波干渉に対してやっと法が対応し始めたのである。この格付けによって Atari 400/800よりも低コストで遮蔽を実現できる可能性が生じた(つまり、400/800のアルミによるシールドはオーバースペックだったのである)。
1982年、アタリはこれらの問題に対処する Sweet-16プロジェクトを開始した。基本的には400/800と同じであるが、コストを抑えたマシンである。従来いくつものチップで構成されていた回路をひとつのチップに集約した。例えば、Atari 800 では7枚の回路基板を使っていたが、新しいマシンでは一枚で済ませた。Sweet-16もメモリ容量によって二つの機種をリリースすることになった。16Kバイトの Atari 1000 と 64Kバイトの Atari 1000XLである。まだメモリは高価だったので、この違いには意味があった。ANTICがメモリアクセスするときにはCPUを停止させていたが、これには4つのチップを使った回路が必要だった。Atari は停止(Halt)ピンが追加された 6502B を後に開発した。これは、後に 6502C として一般にリリースされ、XL/XEシリーズでも使われた。
実際にリリースされたのは 1200XL という一機種だけだった。RAMは64Kバイトで、自己診断テスト機能を備え、キーボードの設計が新しくなっていた。しかし、問題点もあった。拡張ボックス接続用コネクタは内部にあったのだが、ボディにそのための穴がなかった。新しいビデオチップは多色化されていたがそのためのピンは出力から外されていた。シリアルI/Oポートの電源供給ピンも何故か無くなっていた。結局、1200XL は 800 と比較しても特に目新しい部分は無いため、価格が下がっていなければならなかったのだが、実際には同じ価格帯で販売された。OSも新ハードウェアサポートのために変更されており、結果としてソフトウェアにも非互換が生じた。以上のようなことから、1200XL はあまり売れなかった。1982年の後半にリリースされた 1200XL は 1983年中に販売停止となった。
[編集] その後の XL シリーズ
このころアタリは価格戦争に巻き込まれた。コモドール社のジャック・トラミエルはテキサス・インスツルメンツ(TI)がホームコンピュータ市場に参入するのを見て、これを追い出そうと考え価格戦争を仕掛けたのである。数年前、TIは電卓の価格戦争でコモドールを電卓市場から追い出したが、今回はコモドールの方に分があった。アタリはトラミエルのターゲットではなかったものの、他の各社もシェアを確保するために低価格化を進めざるをえなかったのである。アタリにとってタイミングが悪かった。1200XL は失敗し、それ以前のマシン(400/800)はコスト高のため、価格競争には対抗できない。解決策としては、1200XLの後継機でユーザーの信頼を回復するしかなかった。
1200XLをベースとして、アタリの技術者はICを追加して機能を追加した。1200XLの回路は非常にコンパクトだったためICを追加しても問題なかった。また、製造コストを下げるために、新しいマシンは極東で生産された。新たな4つの機種 600XL、800XL、1400XL、1450XLDは1983年夏に発表された。これらはBASICを内蔵し、パラレルバスインターフェイス(PBI)を備えている。1400 と 1450 は300ボーのモデムを備え、音声合成機能を備えていた。さらに 1450にはフロッピードライブが内蔵された。
生産工程上の問題でリリースは遅れ、1983年中に投入する予定だったものが1983年のクリスマス時期になっても大量に出荷できない状態だった。それにもかかわらず、800XL はアタリの発売したコンピュータの中で最も売れたマシンである。なお、600XL/800XL の生産を優先するため、1400XL と 1450XLD の生産は後回しにされ、結局全く出荷されることはなかった。1983年後半には価格戦争が最高潮に達していた。600XL/800XLの価格性能比は悪くなかったが、市場に出回るのが遅すぎた。1983年のクリスマスはコモドールの勝利に終わった。同時期のゲーム専用機でのアタリショックとの相乗効果によって、アタリは毎日数百万ドルを失うこととなった。アタリの当時の所有者であったワーナー・コミュニケーションズは、この部門を売却したいと考えるようになった。
[編集] トラミエル時代: XE シリーズと XEGS
価格戦争では勝利したコモドールだったが、内部抗争によってジャック・トラミエルは失脚させられた。彼は市場に再参入する方法を模索し、ワーナーが破格の低価格で売却したがっていたアタリを購入することにした。
8ビットの最後のマシンは Atari 65XE と Atari 130XE である。65XE は 800XLの後継機であり、PBIが削除された以外は機能的に同等であった。ヨーロッパ版の 65XE と 130XE は強化されたカートリッジインターフェイス(ECI)とPBIを装備している。130XE はバンク切り替え機能により、128KバイトのRAMにアクセス可能である。アタリは 800XL のヨーロッパでの人気にあやかろうとして、130XE を 800XE と名称変更した。しかし、東ヨーロッパで販売された 65XE と 800XE にはバグだらけのGTIAチップが使われていた(特に1991年に中国で生産されたものは品質が悪かった)。
65 とか 130 といった数字は大まかなRAMの容量を表しているが、マーケティング上の理由で 1024ベースではなく 1000ベースの値を使っている。その後の Atari STも含めて、この方式で番号を付与している。興味深いことに、同じ理由でハードディスクメーカーでも1000ベースの容量表示が一般的となっている。
最終的に任天堂が成し遂げたゲーム産業の再起に引かれて、アタリは1987年に XEゲームシステム(XEGS) をリリースした。キーボード、ジョイスティック、いくつかのゲームカートリッジをバンドルして販売された。PBI や ECI は無いが立派なコンピュータである。しかし、マーケティング戦略の問題とリリースが続かなかったことが原因で、販売は振るわなかった。1992年1月1日に、アタリ社は公式に全8ビット・コンピュータのサポートをやめた。
[編集] スペック概要
CPUは全機種共通で、6502 1.79MHz(NTSC)または 1.77MHz(PAL) である。各機種の発売時期とメモリ容量は以下の通り。
- Arati 400/800 (1979年): 8Kバイト(400)、16Kバイト(800) - 最大48Kバイト
- Atari 1200XL (1982年): 64Kバイト
- Atari 600XL/800XL (1983年): 16Kバイト(600XL)、64Kバイト(800XL)
- Atari 65XE/130XE (1985年): 64Kバイト(65XE)、128Kバイト(130XE)