草原の椅子

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草原の椅子』(そうげんのいす)は宮本輝の新聞連載小説。1997年12月から1年間『毎日新聞』朝刊に連載され[1]1999年に毎日新聞社で上下2巻として書籍化された。2013年には成島出監督で映画化されている。

50代の男性が母親に虐待されて育った少年らとともにパキスタンフンザを目指して旅する物語。宮本が阪神・淡路大震災で被災したことをきっかけに、シルクロード6700キロ、40日にわたる旅に出た体験をもとに、その後50歳のときに執筆された。

ストーリー[編集]

遠間憲太郎は50歳の会社員。阪神淡路大震災後、桃源郷ともよばれるフンザに旅してその地の老人から「あなたの瞳のなかには、三つの青い星がある。ひとつは潔癖であり、もうひとつは淫蕩であり、さらにもうひとつは使命である。」という不思議な言葉を告げられた経験を持つ[2]。現在は妻と離婚し、大学生の娘と阪神間夙川で暮らしている。街は震災から復興したが、憲太郎の心の底にはまだ震災で受けた衝撃が残っていた。

ある日、憲太郎は幼時に実の母親から虐待を受けていた4歳の少年、圭輔に出会い、その世話を手伝うことになる。取引先の社長で同じ歳の富樫重蔵との仕事を越えた友情に助けられながら、憲太郎は圭輔へのいとおしさを深めていく。憲太郎はまた、趣味の店で出会った篠原貴志子に密かに惹かれる。

憲太郎は富樫とフンザに旅する計画を立て始めたが、衝動的に貴志子をフンザ行きに誘い、さらには圭輔を同行させざるを得ない状況になる。

書籍[編集]

映画[編集]

草原の椅子
監督 成島出
脚本 加藤正人
奥寺佐渡子
真辺克彦
多和田久美
成島出
原作 宮本輝
製作総指揮 原正人
出演者 佐藤浩市
西村雅彦
吉瀬美智子
小池栄子
主題歌 GLAY真昼の月の静けさに
撮影 長沼六男
製作会社 東映東京撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 2013年2月23日
上映時間 139分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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2013年2月23日に公開された日本映画。監督は成島出

宮本作品が映像化されたのは1997年の『私たちが好きだったこと』以来[3]

キャスト[編集]

カメラメーカーに勤める中間管理職のサラリーマン[4]

スタッフ[編集]

製作[編集]

パキスタンのフンザカリマバードスカルドゥなどで約1か月半に渡る長期撮影が行われた。この地域での長期撮影は世界初[3]

2000年原正人が入院し、その間に読んだ『草原の椅子』に感動したのが製作のきっかけ。しかし数名の脚本家に依頼するも難航し、製作開始から成島に出会い完成まで10年以上の時間がかかった。原は本作でプロデューサーは引退する[5][6]

封切り[編集]

2月28日に「日本パキスタン友好樹立60周年記念」として、パキスタンの首都イスラマバードにある国立美術館大ホールで試写会が行われた。

日本では2013年2月23日に公開された。翌年発表の東映作品の興行収入では、本作の最終興収については発表対象外とされた[7]

受賞[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 企画展:小説『草原の椅子』映画化、宮本輝ミュージアムで−−大阪・茨木、追手門大、毎日新聞大阪夕刊、2012年10月25日
  2. ^ 新潮文庫『草原の椅子〔上〕』紹介ページ、新潮社。冒頭の一節が掲載されている。
  3. ^ a b 佐藤浩市「草原の椅子」主演で成島監督とタッグ フンザで世界初ロケ敢行”. 映画.com (2012年7月9日). 2013年3月21日閲覧。
  4. ^ 佐藤浩市“ハードル越えた”「草原の椅子」を自信のアピール - ライブドアニュース
  5. ^ 「草原の椅子」 映画プロデューサー・原正人氏「最後の作品」
  6. ^ 成島出監督、人々に問う"戦後と震災後の心の動き"「この映画に希望の種を落としたかった」 - 映画『草原の椅子』
  7. ^ 「2013年 日本映画・外国映画業界総決算」『キネマ旬報(2月下旬決算特別号)』第1656号、キネマ旬報社、2014年、199頁。 
  8. ^ 第37回日本アカデミー賞優秀作品発表!”. 日本アカデミー賞公式サイト. 2014年1月19日閲覧。
  9. ^ “第56回ブルーリボン賞発表”. 日刊スポーツ (大阪: 日刊スポーツ新聞西日本): p. 20. (2014年1月23日) 

外部リンク[編集]