維新帝
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| 姓名 | 阮福晃 |
| ベトナム語 | Nguyễn Phúc Hoảng |
| 年号 | 維新 1907年 - 1916年 |
| 廟号 | - |
| 帝号 | 維新帝 |
| 字 | - |
| 諡號 | - |
| 生没年 | 1900年-1945年 |
| 在位 | 1907年-1916年 |
| 父 | 成泰帝 |
| 母 | - |
維新帝(いしんてい, ズイタンてい, ベトナム語:Duy Tân, 1900年9月19日 - 1945年12月26日)は、ベトナム阮朝の第11代皇帝。諱は阮福晃(Nguyễn Phúc Hoảng)。1907年9月、父の成泰帝が宗主国フランスの圧力により退位させられたため、7歳で皇帝に即位した。なお、生年月日には異説がある。
[編集] 経歴
1916年5月2日未明、ファン・ボイ・チャウが組織した「ベトナム光復会」の叛乱計画に呼応してフエ王宮を脱出したが、6日に逮捕、直ちに廃位され、父の成泰帝とともにアフリカ・レユニオン島に流刑された。
維新帝は第二次世界大戦中、自由フランスに共鳴しパリ解放後の1944年末、軍人としてフランスに渡った。1945年8月、日本軍の降伏に呼応してベトナム八月革命が起こると、保大帝がホー・チ・ミンの呼び掛けにより退位し、ベトナム民主共和国最高顧問に迎えられた。これを受けてフランスのド・ゴール将軍は、保大帝に代わる親仏派の指導者として維新帝に注目し、同年12月14日に会見した。その後帰国のため、一旦レユニオン島に戻る途中、中央アフリカで飛行機が墜落して死去した。
[編集] 改葬
1987年、維新帝の息子であるバオ・バンと旧阮朝一族は、維新帝の遺体遺骸をアフリカからベトナム・フエへと持ち帰り、伝統儀礼に則って祖父の育徳帝陵の傍に改葬された[1]。
その後、バオ・バンは、2001年に維新帝の生涯を記した著書『Duy Tan, Empereur d'Annam 1900-1945』を執筆している[2]。
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