維新帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
維新帝
阮朝
十一代皇帝
Duy Tân Emperor.jpg
維新帝
国号 大南
王朝 阮朝
在位期間 1907年 - 1916年
都城 順化皇城(現フエ
姓・諱 阮福晃、阮福永珊
諡号 継皇帝
廟号 なし
生年 1900年9月19日
没年 1945年12月26日(満45歳没)
成泰帝
阮氏定
后妃 梅氏黄
陵墓 沖坤陵園
元号 維新

維新帝(いしんてい、 ズイタンてい、 ベトナム語Duy Tân1900年9月19日 - 1945年12月26日)は、ベトナム阮朝の第11代皇帝。諱は阮福永珊(Nguyễn Phúc Vĩnh San)、後に阮福晃Nguyễn Phúc Hoảng)と改めた。1907年9月、父の成泰帝宗主国フランスの圧力により退位させられたため、7歳で皇帝に即位した。なお、生年月日には異説がある。

経歴[編集]

1916年5月2日未明、ファン・ボイ・チャウが組織した「ベトナム光復会」の叛乱計画に呼応してフエ王宮を脱出したが、6日に逮捕、直ちに廃位され、父の成泰帝とともにマダガスカル島沖の孤島・レユニオン流された

維新帝は第二次世界大戦中、自由フランスに共鳴しパリ解放後の1944年末、軍人としてフランスに渡った。1945年8月、日本軍降伏に呼応してベトナム八月革命が起こると、保大帝ホー・チ・ミンの呼び掛けにより退位し、ベトナム民主共和国最高顧問に迎えられた。これを受けてフランスのド・ゴール将軍は、保大帝に代わる親仏派の指導者として維新帝に注目し、同年12月14日に会見した。その後帰国のため、一旦レユニオン島に戻る途中、中央アフリカで飛行機が墜落して死去した。

改葬[編集]

1987年、維新帝の息子であるバオ・バンと旧阮朝一族は、維新帝の遺体遺骸をアフリカからベトナム・フエへと持ち帰り、伝統儀礼に則って祖父の育徳帝陵の傍に改葬された[1]

その後、バオ・バンは、2001年に維新帝の生涯を記した著書『Duy Tan, Empereur d'Annam 1900-1945』を執筆している[2]

先代:
成泰帝
阮朝 皇帝
第11代:1907年 - 1916年
次代:
啓定帝