明命帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
明命帝
阮朝
二代皇帝
Minh Mang.gif
明命帝
国号 越南大南
王朝 阮朝
在位期間 1820年 - 1841年
都城 順化皇城(現フエ
姓・諱 阮福晈、阮福膽
諡号 体天昌運至孝淳徳文武明断創述大成厚宅豊功仁皇帝
廟号 聖祖
生年 1791年5月25日
没年 1841年1月20日(満49歳没)
嘉隆帝
順天高皇后陳氏璫
后妃 佐天仁皇后胡氏華
陵墓 孝陵
元号 明命

明命帝(ミンマンてい、Minh Mạng, 1791年5月25日 - 1841年1月20日)は、阮朝の第二代皇帝(在位:1820年-1841年)。初代皇帝である嘉隆帝の第4子。諱は阮福膽(Nguyễn Phúc Đảm)、後に阮福晈(Nguyễn Phúc Kiểu)と改めた。

嘉隆帝の死後、皇帝に即位。阮朝建国の際の国号「越南」(ベトナム)を、「大南」(ダイナム=大越南・ダイベト)と改めた。この改称は、朝鮮国(李朝)における小中華思想に類推されるもので、中国の南方という含意があり中国への服属を思わせるベトナムという国号を、を宗主国としながらも自らを主体とした「中華秩序」的な世界を形成しようとする意思を示したものとされる。

このため対外的には閉鎖的姿勢を貫き、通商拡大を狙ったフランスとの交渉を拒絶。カンボジアへの軍事遠征を行い失敗に終わるものの、周辺の諸勢力に十分な脅威を与えた。更に山岳地帯の少数民族に対する統制強化を図った。内政的には中国的な中央集権化を進め、ベトナム各地において省県制を徹底。官吏登用において、建国当初より行われていた科挙殿試を加えた。こうした動きは各地で反乱を招くと共にキリスト教に対する弾圧の動機となり、1836年にはヨーロッパから派遣された宣教師7人を処刑すると共に、キリスト教徒多数を弾圧。多くのキリスト教徒が山岳地帯に逃れることとなった。

先代:
嘉隆帝
阮朝 皇帝
第二代: 1820年 - 1841年
次代:
紹治帝