第百三十九号哨戒特務艇

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第百三十九号哨戒特務艇
基本情報
建造所 船体:四国船渠工業所
兵装艤装:呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
運輸省
海上保安庁
保安庁警備隊
 海上自衛隊
艦種 特務艇(1944年11月)
掃海艦(1946年2月)
掃海船(1948年5月)
掃海艇(1954年7月)[注釈 1]
支援船(1962年3月)
級名 第一号型哨戒特務艇(1944年11月)
うきしま型掃海船(1951年12月)
うきしま型掃海艇(1954年7月)
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
進水 1945年6月6日
竣工 不明
最期 1945年8月17日船体工程100%で工事中止[注釈 2]
除籍 1948年1月1日(復員庁)
1952年8月1日(海上保安庁)
1964年3月31日(海上自衛隊)
その後 戦後工事再開、第二復員省の掃海艦として竣工
改名 第百三十九号哨戒特務艇(1944年11月)
哨特第百三十九号(1946年2月)
MS-24(1948年5月)
哨特第一三九号(1948年8月)
くるしま(1951年12月)
掃海雑船25号(1962年3月)
掃海船25号(1963年1月)
要目(哨戒特務艇・計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第百三十九号哨戒特務艇[注釈 3](だいひゃくさんじゅうきゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の57番艇[注釈 4]太平洋戦争後に掃海艦として就役した。その後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。

艇歴[編集]

マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の139番艇、仮称艦名第2259号艦として計画。1944年11月5日、第百三十九号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の54番艇に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。1945年6月6日、株式会社四国船渠工業所で進水。7月9日、船体概成により四国船渠工業所から呉海軍工廠へ引き渡し。

終戦時未成。8月17日、工事中止が発令される。本艇は後述するとおり第二復員省の掃海艦として就役したが、工事を再開した建造所と竣工年月日は、いずれも不明。

1946年2月1日、第二復員省呉地方復員局所管の掃海艦に定められ[注釈 5]、艦名を哨特第百三十九号と改称し、呉地方復員局掃海部仙崎支部所属と定められる。

1946年6月15日、復員庁の開庁に伴い、所属を仙崎掃海部に改められる。8月20日、仙崎掃海部が廃止され、所属を下関掃海部に改められる。

1948年1月1日、復員庁が廃止され、運輸省に移管。5月1日、海上保安庁に編入され掃海船MS-24となる。8月20日、船名を哨特第一三九号 MS-24に定められる。朝鮮戦争の際、本船は日本特別掃海隊第3掃海隊指揮官船として、1950年11月18日から元山沖の掃海に従事した。11月24日、第二次第1掃海隊に編入され、引き続き12月4日まで元山沖の掃海に従事した。1951年12月1日、船名をくるしま MS-24に改正。1952年3月24日、父島二見港に残存する約200個の感応機雷を処分するため、本船ほか3隻で特別掃海隊を編成し、訓練ののち4月19日から二見港で掃海を実施。本船は4月25日と30日に故障を起こすがいずれも復旧し、5月4日にかけて掃海を実施した。5月5日にはアメリカ海軍の掃海艦USS Shoveler AM-382の作業に協力し、11日に全ての作業を終えた。

1952年8月1日、保安庁警備隊に移管され、第二幕僚監部西部航路啓開隊呉航路啓開隊第4掃海隊に編入。1954年1月15日、横須賀地方総監部呉地方基地隊第4掃海隊に編入。

1954年7月1日、保安庁警備隊は海上自衛隊に改組。掃海艇となる[注釈 1]。第1掃海隊群第4掃海隊に編入。1955年11月30日、呉地方総監部呉地方隊第4掃海隊に編入。1957年9月1日、艇番号をMSI-687に改正。1962年3月31日、支援船に編入され船名を掃海雑船25号 YAM-25に改正。1963年1月1日、船種呼称を掃海船に改正。1964年3月31日、海上自衛隊から除籍された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 世界の艦船『海上自衛隊全艦艇史』p. 42による。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114では、「昭和27年8月1日保安庁警備隊に移管、掃海艇に分類」としている。
  2. ^ 進捗率は福井静夫『昭和軍艦概史III』 p. 66による。ただし、同ページには「ごく大体のもの」と注意書きが添えられている。
  3. ^ 本来の艇名表記は第百三十九號哨戒特務艇(1946年2月1日以降は哨特第百三十九號)。
  4. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は54番艇、これら3隻を含めると通算で57番艇となる。
  5. ^ 世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114、『海上保安庁全船艇史』p. 66では、いずれも「(同年、または昭和20年)12月1日掃海艦に指定」とあるが、そのような事実は無い。昭和20年第二復員省内令第5号および同第7号中に本艇の艇名は存在しない。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
  • 第二復員省復員庁
    • 昭和21年2月1日付 内令第19号、内令第20号。
    • 昭和21年6月15日付 復二第5号。
    • 昭和21年8月20日付 復二第182号。
  • 運輸省海上保安庁
    • 昭和23年8月20日付 運輸省告示第230号。
    • 昭和26年12月24日付 海上保安庁告示第31号。
  • 保安庁警備隊海上自衛隊
    • 昭和27年8月1日付 保安庁訓令第3号。
    • 昭和28年9月16日付 政令第281号。
    • 昭和29年7月1日付 海上自衛隊内訓第1号。
    • 昭和30年11月30日付 海上自衛隊内訓第19号。
    • 『朝鮮動乱特別掃海史』、1961年2月。[1]
    • 『航路啓開史』、2012年 [2]
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 世界の艦船 No. 613 増刊第62集 『海上保安庁全船艇史』、海人社、2003年。
  • 世界の艦船 No. 630 増刊第66集 『海上自衛隊全艦艇史』、海人社、2004年。
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。