第百三十六号哨戒特務艇

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第百三十六号哨戒特務艇
1948年10月、海上保安庁初の閲艇式に参加するため神戸港を出港中の同庁掃海船群。手前から3隻は哨特第八四号、哨特第一三四号、哨特第一三六号の順で、さらに3隻の元哨戒特務艇が続航している。
1948年10月、海上保安庁初の閲艇式に参加するため神戸港を出港中の同庁掃海船群。手前から3隻は哨特第八四号哨特第一三四号、哨特第一三六号の順で、さらに3隻の元哨戒特務艇が続航している。
基本情報
建造所 船体:四国船渠工業所
兵装艤装:呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
第二復員省/復員庁
運輸省
海上保安庁
保安庁警備隊
 海上自衛隊
艦種 特務艇(1944年11月)
掃海艦(1945年12月)
掃海船(1948年5月)
掃海艇(1954年7月)[注釈 1]
支援船(1961年3月)
級名 第一号型哨戒特務艇(1944年11月)
うきしま型掃海船(1951年12月)
うきしま型掃海艇(1954年7月)
建造費 1,350,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル戦計画
竣工 1945年6月5日
除籍 1945年11月30日(日本海軍)
1948年1月1日(復員庁)
1952年8月1日(海上保安庁)
1962年3月31日(海上自衛隊)
改名 第百三十六号哨戒特務艇(1944年11月)
哨特第百三十六号(1945年12月)
MS-22(1948年5月)
哨特第一三六号(1948年8月)
ひめしま(1951年12月)
掃海雑船19号(1961年3月)
要目(哨戒特務艇・計画時)
基準排水量 238トン
水線長 28.50m
水線幅 6.14m
吃水 2.35m
機関 400型中速ディーゼル1基、1軸
出力 400bhp
速力 9.0ノット
燃料 重油26トン
航続距離 8ノットで4,000カイリ
乗員 34名
兵装 25mm機銃 連装1基、単装2基
12センチ噴進砲2門
爆雷12個、魚雷落射機2基
搭載艇 短艇1隻
レーダー 13号電探1基
ソナー 三式水中探信儀三型1基
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第百三十六号哨戒特務艇[注釈 2](だいひゃくさんじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の54番艇[注釈 3]太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。

艇歴[編集]

マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の136番艇、仮称艦名第2256号艦として計画。1944年11月5日、第百三十六号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の51番艇に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。1945年3月21日、船体概成により株式会社四国船渠工業所から呉海軍工廠へ引き渡し。6月5日竣工し、本籍を呉鎮守府に定められ、佐伯防備隊に編入。

終戦時は佐伯に所在していたが艇橋を喪失した状態だった。戦後は掃海に従事。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。

1945年12月1日、第二復員省の開庁に伴い、呉地方復員局所管の掃海艦に定められ、同局掃海部佐伯支部所属と定められる。また、同日から艦名を哨特第百三十六号としている。1946年5月20日、佐伯支部から除かれ、呉地方復員局掃海部下関支部所属に改められる。

1946年6月15日、復員庁の開庁に伴い、所属を下関掃海部に改められる。

1948年1月1日、復員庁が廃止され、運輸省に移管。5月1日、海上保安庁に編入され掃海船MS-22となる。8月20日、船名を哨特第一三六号 MS-22に定められる。朝鮮戦争の際、本船は日本特別掃海隊第4掃海隊に配されたが、本船の第4掃海隊での掃海作業は無かった。11月2日、第2掃海隊に編入され、11月7日から12月8日にかけて鎮南浦沖の掃海に従事した。1951年12月1日、船名をひめしま MS-22に改正。1952年3月24日、父島二見港に残存する約200個の感応機雷を処分するため、本船ほか3隻で特別掃海隊を編成し、訓練ののち4月19日から二見港で掃海を実施。4月26日、本艇は舵故障を起すが整備を行って復帰し、5月4日に掃海を終了した。

1952年8月1日、保安庁警備隊に移管され、第二幕僚監部西部航路啓開隊大阪航路啓開隊第5掃海隊に編入。1954年1月15日、横須賀地方総監部呉地方基地隊大阪基地隊第5掃海隊に編入。

1954年7月1日、保安庁警備隊は海上自衛隊に改組。掃海艇となる[注釈 1]。呉地方総監部大阪基地隊第5掃海隊に編入。1957年9月1日、艇番号をMSI-682に改正。1961年3月31日、支援船に編入され船名を掃海雑船19号 YAM-19に改正。1962年3月31日、海上自衛隊から除籍された。

本艇の船体は2年間、大阪府天保山運河に繋留されていたが、民間に払い下げられて1964年に日本ディーゼル造船所で貨物船への改造工事が始まった。しかし工事中に台風のため船台上で横転してしまい、貨物船への改造は中止された。船体は1969年頃から木津川ポンツーンとして利用された[1]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ a b 世界の艦船『海上自衛隊全艦艇史』p. 42による。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 113では、「昭和27年8月1日保安庁警備隊に移管、掃海艇に分類」としている。
  2. ^ 本来の艇名表記は第百三十六號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第百三十六號)。
  3. ^ 本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇第33号哨戒特務艇第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は51番艇、これら3隻を含めると通算で54番艇となる。
脚注
  1. ^ 以上、1964年から1969年頃までの記述は、木俣『残存・帝国艦艇』pp. 188-189による。

参考文献[編集]

  • 海軍省
    • 昭和19年11月5日付 達第363号、内令第1234号、内令第1236号。
    • 昭和20年6月5日付 内令第170号、内令第171号。
    • 昭和20年9月1日付 呉海軍軍需部『佐伯地区兵器/軍需品/舟艇/施設等引渡目録』。
  • 第二復員省復員庁
    • 昭和20年12月1日付 内令第5号、内令第7号。
    • 昭和21年5月20日付 内令第68号。
    • 昭和21年6月15日付 復二第5号。
  • 運輸省海上保安庁
    • 昭和23年8月20日付 運輸省告示第230号。
    • 昭和26年12月24日付 海上保安庁告示第31号。
  • 保安庁警備隊海上自衛隊
    • 昭和27年8月1日付 保安庁訓令第3号。
    • 昭和28年9月16日付 政令第281号。
    • 昭和29年7月1日付 海上自衛隊内訓第1号。
    • 『朝鮮動乱特別掃海史』、1961年2月。[1]
    • 『朝鮮戦争に出動した日本特別掃海隊』、1978年。[2]
    • 『航路啓開史』、2012年 [3]
  • 木俣滋郎『残存・帝国艦艇』、図書出版社、1972年。
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 世界の艦船 No. 613 増刊第62集 『海上保安庁全船艇史』、海人社、2003年。
  • 世界の艦船 No. 630 増刊第66集 『海上自衛隊全艦艇史』、海人社、2004年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。