督戦隊
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督戦隊(とくせんたい)とは、軍隊において、自軍部隊を後方より監視し、自軍兵士が命令無しに勝手に戦闘から退却或いは降伏する様な行動を採れば攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる任務を持った部隊のことである。兵士の士気を上げる為の手段であり、司令官が「死守」を命じると兵士は文字通り死ぬまで戦うことになる。
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[編集] 概要
主要各国でも、督戦に充った部隊は散見される。但し、督戦だけを主任務とする特別編成部隊などは一般的に存在しない。現実的にそのような部隊を常に編成して持つことは非効率であり、機動性も悪く反感を買う。あくまで、命令によって臨時的に督戦任務に充てられるものである。
有名な所では日中戦争(支那事変)における中国軍の督戦隊である。これが暗躍したため中国軍にも多数の死者が出た。南京攻略戦時にも暗躍しこれによる死者が「南京虐殺」の死者に数えられているのではないかという指摘もある。
ドイツでは大戦末期のナチスの武装親衛隊や指導将校(独軍が労農赤軍の政治将校であるコミッサールをまねて導入したと言われる)が投降しようとする兵や民間人に対し戦闘継続を強要した例などがある。労農赤軍関連でいえば、いわゆるNKVD部隊やスメルシュ等が良く引き合いに出されるが、これらは原則として軍とは指揮命令系統が異なる。戦闘時に軍の師団や連隊に編入され直接的に督戦にあたるわけではない(例としては、1942年~43年のスターリングラード攻防戦の際に渡河の要所をNKVDが管理していた。このような場合は逃亡兵や不審者の逮捕・拘束、場合には射殺も行う。唯、これが戦闘時の督戦行為と言えるのかは疑問符が付く)その任務は非常に幅広く、督戦専門の部隊[1]ではない。対独戦初期の戦闘時の督戦の任を受ける部隊は、連隊長クラスの判断で隷下の一部部隊を臨時的に督戦任務に充てている場合が一般的であった。
[編集] 歴史
[編集] 前近代
兵士の逃亡は古代から軍隊には付き物である。その為、多くの軍隊では戦闘中での逃亡に対し、厳罰を持って対処し、兵士の逃亡を防ごうとしている。
絶対王政下のフランス軍では、隊形を組んで前進する部隊を囲むように下級将校が配置された。彼らの第一の任務は逃亡する味方兵士の射殺であった。
[編集] 近代以降
近代に入り、国民国家が形成され、各国では徴兵制による軍隊が設立された。アメリカでは、1861年から65年の南北戦争の際、督戦部隊を南北両軍とも戦闘時に配置している。
第二次世界大戦時、主に独ソ戦のソ連労農赤軍に於けるものや中国軍におけるものが有名である[2]。また、中国の国民党軍や朝鮮戦争時の中国人民志願軍にも存在した[要出典]。1937年の南京事件の際にも敗退して逃走する国民党軍を、挹江門(ゆうこうもん)において督戦隊が射殺したと言われる事件[3]でもその存在が知られている。
[編集] 脚注
- ^ 国内治安維持の機動隊のような治安警察としての面から国境警備隊や臨時編成の労働者連隊、旅団等も含む
- ^ ソ連国防人民委員令第227号
- ^ 督戦隊ではなく、挹江門の防守部隊であったとも言われる[要出典]。
[編集] 関連項目
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