ノート:督戦隊

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「第二次世界大戦において中・ソ両国の死者が突出して多いのは督戦隊の存在によるところが大きい」という文章が加えられたようですが、「督戦隊」が数百万規模で自軍を殺害したことを証明できない限り、この記述は無理だと思います。出典を求めます。ゆう(matunami) 2006年9月15日 (金) 13:46 (UTC)[返信]

無理でしょう。特に独ソ戦においてはミンスク・キエフなど、ドイツ軍が赤軍に対し、何度も大規模包囲を行っており、督戦隊の有無よりも戦術のまずさの方が理由としては大きくなるのでは。--Los688 2006年9月16日 (土) 15:16 (UTC)[返信]
第二次大戦においての中ソの死傷者数と督戦隊との因果関係は、督戦隊そのものが自軍を大量に殺傷したことが要因ではなく、督戦隊によって無理な攻撃が強要されたため、結果的に死傷者が増加したものと考えたほうが自然ではないでしょうか?203.135.246.224 2007年1月17日 (水) 18:37 (UTC)[返信]

督戦隊ではないがそれに似たものは中国にあったと言う話は聞きました。 私が高校時代の担任で、中国戦線に従軍経験のある教師の話として「敵のトーチカを攻撃占領し、そこで機関銃座の兵士が足を鎖で繋がれて死んでいたのを見た」等、中国では「良い鉄は釘にしない、良い人は兵士にならない」の諺どおり「尚武」の思想が全くないお国柄なので兵士は全く信用されてなく、土匪の類を丸抱えした軍制のため、督戦まがいのことをしなければ、統率がとれなかったようです。--59.86.78.6 2007年1月31日 (水) 15:53 (UTC)[返信]

1037年南京陥落の際に発生した射殺事件は督戦隊によるものではないという説がありますので、「督戦隊が射殺したと言われる」という表現に変えました。多くの文献ではこれを督戦隊によるものとしていますので両論併記が望ましいでしょう。--210.209.207.32 2007年5月27日 (日) 06:08 (UTC)[返信]


「挹江門事件」につき、「南京戦史資料集」には中国側の3つの資料が収録されています。
資料1 蒋公穀「陥京三月記」
夜に至るまで城北三牌楼一帯では銃声が突発していた。話によれば挹江門の防守部隊と退却兵が衝突し双方に死傷者が出たとのことであった。
資料2 李宗仁回憶録
少数の勇敢な部隊は結局状況が不明で、友軍が恐れ縮んで勝手に撤退するのを誤認し、城楼上に機関銃を据えつけて、城からばらばらに逃げ出す友軍を掃射した。そこでついに友軍相撃となって多数の死傷者が生じ惨烈の極みであった。
資料3 程奎朗「南京城複廓陣地の構築と守城戦闘」
第三十六師の歩哨は城門の胸墻上に機関銃を置き、大声で"押すな、押すと射つぞ!"と叫ぶが、人々は依然押し合っていた。
いずれにも、「督戦隊」との文字は見えません。「防守部隊」「第三十六師の歩哨」「少数の勇敢な部隊」との文字が見えますので、そのような部隊だったのでしょう。
私はノート:下関埠頭事件で、繰り返しこの部隊を「督戦隊」とする信頼できる出典を求めているのですが、何度お伺いしても「出典」は提示されません。私はそちらで、「私は、「断定する根拠、およびその信頼できる出典」を求めました。ところがあなたの「回答」には、具体的な出典は何もありませんでした。よって、「出典を示すことはできない」と認識します」とまで書いたのですが、何の反応もありませんでした。
「多くの出典」があり、それが信頼できるものなのでしたら、、ぜひ提示してください。なお、ネットで検索すると、同一文章のコピペがあちこちに溢れていますが、その中で「具体的な出典」を挙げているものは一つもありませんでした。
なお、「南京保衛戦戦闘詳報」には、こんな文章が見られます。
「午後三時、八十八師、八十七両師の各一部は潰乱状態となった。退却部隊は中山路を経て北方に進み挹江門に出ようとした。鉄道部付近に至った時、本部特務隊と三十六師が潰退部隊を阻止しようとしたが服従しないので秩序はいよいよ乱れた」(南京戦史資料集」P717)
この「戦闘詳報」をもって「督戦隊」の根拠としようとする記述を見かけましたが、原文を確認すると、どう見ても「督戦隊」には見えませんね。場所も「鉄道部付近」で、「挹江門の防守部隊」とは関係なさそうですし。
ゆう(matunami) 2007年5月27日 (日) 08:18 (UTC)[返信]

ではなんでその「防守部隊」が味方の国民党軍(または国共混成軍)を射殺しなければならなかったのでしょうか。理由と動機をご確認願います。仮に挹江門の部隊が防守部隊のみの任務を有するとするならば、退却兵を銃撃する理由がありません。一般的に考えて、好鐵不打釘。好人不當兵。と言われるように歴史的に中国軍仕官は兵を信用していません。つまり、中国軍には歴史的に督戦任務を有する部隊が常に存在していたのです。これらのことから考えても、防守部隊が少なくとも督戦任務も負っていたことは明らかです。督戦隊とは常に組織されているものではなく、督戦任務をその都度任命されてなるものだとするならば、防守部隊は即ち同時に督戦隊であるということになるわけです。だいぶ貴殿の主張も記述に取り入れられているわけですから、このあたりの記述で納得するべきではないでしょうか。

で、要するに、「挹江門の歩哨が「督戦隊」であった、という信頼できる出典は存在しない」、ということで、もうよろしいんですね? ネットの中の、誰が書いたのかもわからない怪しげな記述は、普通は「信頼できる出典」とは言いません。出典が存在しないのであれば、この記述はWikipediaの「検証可能性」を満たさない単なる「独自の研究」であり、削除が妥当、ということになります。
まあ、この「歩哨」が、「戦闘部隊の背後に立ち、戦闘自体には参加せず、ただ逃亡しようとする兵を射殺している」という典型的な「督戦隊」の外観を有しているのでしたら、話は別かもしれません。しかし、「歩哨が逃げてくる兵士に発砲した」というだけでは、一般の「督戦隊」のイメージではありませんし、また「督戦の任務を負っていた」と断定することもできません。
ゆう(matunami) 2007年5月29日 (火) 11:32 (UTC)[返信]
これで話はお終い。以下は、蛇足です。
「理由と動機」をお尋ねのようですが、何の資料も残っていないのに、そんなもの、確認のしようがありません。「想像」でしたらいくらでもできますが、そんな議論を百科事典の編集ノートで行っても意味はありません。
ひょっとすると「歩哨」は、「城門は封鎖した。通行しようとする者は、どんな者であっても阻止せよ」のような命令を受けていたのかもしれませんね。もし「逃げる兵を射撃せよ」という明確な命令を受けていたのでしたら、「押すな、押すと射つぞ!」なんて叫ぶ前に、さっさと先頭の二、三人を撃ち殺して、「こうなりたくなかったらさっさと戦場に戻れ!」とやるものだと思います。
どう見てもこの「歩哨」は、パニックに陥っています。パニックに陥った挙句の同士討ち、と考えて、特に無理なことはないと考えます。もしこれを「督戦隊」であると断定するのであれば、その証明責任は、それを主張する方にあります。
まあ、以上は蛇足です。こんな場所で、こんな根拠のない「空中戦」を展開しても仕方がありません。少なくとも「百科事典」の記事を書く上では、「督戦隊」とする信頼できる出典が示せないのであれば、そのような記述は行うべきではない、ということを「結論」としたいと思います。
ゆう(matunami) 2007年5月29日 (火) 11:32 (UTC)[返信]
示していただいた1から3までの資料では「防守部隊」が督戦任務を負っていたことが読み取れませんか?各々思想的に異なる立場から同じ事象を見て、「これこそが督戦任務即ち督戦隊である」と見る人(私)もいれば、全く同じ事象を見て「督戦隊とは書いてない」(貴殿)と見る人もいるという典型的な例であると思います。第三者的に見ている方がいますとフムフムと納得されると思います。督戦隊か否かというのは定義の問題です。この議論はそれに終始するものと思われます。それと、一般論として時代が変わり現代になると督戦任務というのは今の時代感覚から見て倫理的に好ましくないと感じられることでしょう。実際に督戦隊または督戦任務を命じたという事実が歴史的に語られると困るという中国側の方の気持ちもわかります。だから1から3までの資料の中でも「少数の勇敢な部隊は友軍が恐れ縮んで勝手に撤退するのを誤認し」、と、「督戦任務」とはいかにも言いにくそうだなーとかえって督戦任務の存在を感じてしまうのです。でも、昔と今とでは時代が違うのです。なぜ、昔一般的だったことを今の時代感覚で批判されると考えるのですか?中国は昔から三国志と呼ばれるように1対1ではなく敵味方が常に入れ替わるものだったのですから督戦隊または督戦任務なしには成り立たなかったのです。日本の戦国時代にも督戦役または特選隊はあったんですから普通のことです。この日本の昔の記録も具体的に探し当てましたら載せましょう。貴殿が気付いたら載せていただいてもいいわけです。督戦を恥ずかしいことと思うのは考え過ぎです。いずれにしても督戦隊は定義の問題です。双方の定義を表記事にしましょう。貴殿は貴殿の結論、当方は当方のの結論。思想の異なる者同士の議論は読者にとっては面白く、知識の集積につながると思います。多くの知識と視点を読者に届けることもまたWikipediaの精神だと思いますよ。--210.209.207.32 2007年5月29日 (火) 16:13 (UTC)[返信]
ゆうさん、パニックに陥ったら味方同士ですか。それは味方を敵と間違えたという証拠がなければ督戦です。断定も何も督戦と言うものは味方を監視するから督戦、言葉自体から自明です。--210.209.207.32 2007年5月29日 (火) 16:13 (UTC)[返信]