盧今錫

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盧今錫
No Kum-Sok.jpg
1953年頃の写真
各種表記
ハングル 노금석
漢字 盧今錫
発音: ノ・クムソク
日本語読み: ろ・こんしゃく
ローマ字 No Geum-seok(2000年式
No Kŭm-sŏk(MR式
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盧今錫(ノ・クムソク, 1932年1月10日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人。朝鮮人民軍空軍に所属するパイロットだったが、朝鮮戦争の休戦直後に大韓民国(韓国)へ亡命した。

亡命[編集]

1953年9月21日、盧今錫中尉が搭乗したMiG-15戦闘機が韓国の金浦空軍基地に着陸した。亡命の理由については「アカの嘘付き」から逃れてきたのだと語った[1]。亡命後、彼は100,000米ドルの賞金を送られた。これはアメリカ空軍がMiG-15確保の為に展開していたムーラー作戦英語版への貢献に対する報酬であったが、一方で盧自身はこの作戦の存在そのものを全く知らなかったという[2]

アメリカ移住後[編集]

その後、アメリカ合衆国に移住してデラウェア大学英語版を卒業し、結婚を経てアメリカの市民権を獲得している。またアメリカではグラマンボーイングゼネラルダイナミクスゼネラルモーターズゼネラルエレクトリックロッキードデュポンウェスティングハウスなど様々な企業で航空技術者として働いた[3]。先立ってアメリカに避難していた母親ともこの頃に再会している。帰化の後はケネス・ロウ(Kenneth Rowe)という英語名を名乗った。エンブリー・リドル航空大学にて航空宇宙工学の教授として17年勤務し、2000年に退職した[4]

2004年2月、彼はエグリン空軍基地英語版にゲストとして招かれ、レッドスター航空博物館が保有していたMiG-15UTIに搭乗して飛行する機会に恵まれた。後日、彼は亡命以来初めてのMiGでの飛行について、「実に速い、速い車だよ」(It is a fast, fast car)と語った[5]

著書『A MiG-15 to Freedom』(ISBN 0-7864-0210-5)では、亡命以前の生活と亡命後の生活の双方について著している。

盧今錫のMiG-15[編集]

盧が明け渡したMiG-15は、沖縄へと運ばれた後、H・E・"トム"・コリンズ大尉(H.E. "Tom" Collins)とチャック・イェーガー少佐によってテスト飛行が行われた。その後はライト・パターソン空軍基地にて保管され[1]国立アメリカ空軍博物館の展示品となった。

大衆文化[編集]

ビデオゲーム『Chuck Yeager's Air Combat』には、盧の亡命を題材にしたミッションが存在する。

ギャラリー[編集]

脚注・参考文献[編集]