札幌市交通局2000形電車

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札幌市交通局2000形電車
1000形電車1001+1002 (2320+2420)交通資料館にて
1000形電車1001+1002 (2320+2420)
交通資料館にて
編成 2両・4両・6両・8両
起動加速度 4.0 km/h/s
設計最高速度 70 km/h
減速度 4.0 km/h/s(常用最大)
5.0 km/h/s(非常)
編成定員 756人(座席324人)
全長 13,800 mm
全幅 3,080 mm
全高 3,705 mm
編成質量 140t
電気方式 直流750V
第三軌条方式
モーター出力 90kW
主電動機 直流直巻補極付自己通風型電動機
制御装置 抵抗制御
駆動装置 車体装架カルダン駆動方式
ブレーキ方式 応荷重装置付発電制動併用電気指令電磁直通液圧変換式
製造メーカー 川崎重工業

札幌市交通局2000形電車(さっぽろしこうつうきょく2000がたでんしゃ)は、かつて札幌市交通局札幌市営地下鉄)が保有していた通勤形電車である。ゴムタイヤを使用した案内軌条式地下鉄の最初の実用車であった。

本項では同一仕様で後に2000形に編入された1000形電車についても記載する。

目次

[編集] 概要

札幌市営地下鉄南北線北24条駅 - 真駒内駅間の開業にともない、試作車2両が1970年に、量産車が1971年に登場した。1963年より札幌市交通局と川崎重工業が共同で開発してきた案内軌条式電車である。このシステムを川崎重工では「S.S.TRAM」(Silent Safety TRAM) と呼んでいる。第4次試験車「すずかけ」の構造を踏襲した2車体連接で7軸の特殊な形態で、案内軌条をつかむ案内輪のついた1軸の操向台車の間に2軸の駆動台車がある構造で、中間の操向台車は2車体の間に存在する連接構造である。駆動装置は車体装架カルダン駆動方式が採用された。

試作車2両は駆動軸ホイールハウス上部の座席が他の部分より高い構造となっていた。これは積雪時にタイヤチェーンを取り付けるための空間であったが、地上部はシェルターで覆われる構造となったため実際には使用されなかった。このため試作車はタイヤハウスの出っ張りがある特殊な床構造となっている。

本形式の貫通路は連接部分が同局のA820形に端を発する楕円形、それ以外の部分は従来の鉄道車両のように長方形(ドアはない)とされ、後年登場した他の札幌市営地下鉄の車両で採用された六角形とは異なる。吊革帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)や大手私鉄で広く使われている、カバー付きで、にぎりが枕木方向(もちろん札幌方式に枕木は無い)で三角形のものが使われていた。長さは8000形2006年度増備車から採用された低い吊革とほぼ同じだが、2000形では高い位置から下げられていたため、全体的な高さは後の3000形5000形などと同一であった。 

[編集] 製造

全車が川崎重工で製造された。

当初は2両編成を1000形、4両編成を2000形と称しそれぞれ閑散時用、混雑時用と使い分けることを想定していたが、実際には開業時から4両編成が基本となり、2両編成での運転はごく僅かであった。8両編成化後、16~18編成は4両+4両、19編成は6両+2両と中間に制御電動車を組み込んでいた。これは当初は先頭車が多く製造されたことによるものだが、8両すべてが先頭車という20編成も存在した。初期の乗務員室が狭い車両は19・20編成に組み込まれた。なお、第8次車は3000形試作車3101~3801である。開業前の試運転でけが人を出す脱線事故があった[1]。詳しくは札幌市営地下鉄南北線脱線事故を参照のこと。

  • 1次車 1000形(1001+1002 - 1027+1028)14本28両、2000形(2001+2002+2003+2004 - 2025+2026+2027+2028)7本28両で1970年から1971年にかけて開業用に用意された。
  • 2次車 2000形4両編成2本(2029+2030+2031+2032、2033+2034+2035+2036)と中間車8両(2038+2039、2042+2043、2046+2047、2050+2051)で1972年に増備された。開業後混雑が激しくなったため1972年7月のダイヤ改正で一部列車が6両化され、乗務員室の狭い1001 - 1004、2001・2004の6両は中間に組み込まれるようになった。この増備での中間車8両は1021 - 1028を2000形(2037、2040、2041、2044、2045、2048、2049、2052)に改番の上4両編成を組んだ。
  • 3次車 1974年に2000形中間車12両が増備され全編成が6両となったが、このときには改番は行われず、編成内の車両番号は乱れていた。
  • 4次車 1975年に6両編成4本が増備され、この時から将来の8両化に備えた番号が付番され、2500・2600を除いた2100 - 2800とされた。この4本が後の01 - 04編成である。
  • 5次車 1976年に中間車12両が増備された。この12両と既存の1017 - 1020、2029 - 2036を改番の上05 - 08編成とした。
  • 6次車 1977年に中間車18両が増備された。この18両と既存の1011 - 1016を改番の上、09 - 11編成とした。
  • 7次車 1978年麻生延長開業に備えた8連化用として中間車16両が増備された。この増備により01 - 08編成の8両化が行われた。
  • 8次車 1978年に7次車と同じく麻生延長開業に備えた車両であるが、車体構造、制御方式、デザイン等が変更されたため2000形とはならず、3000形とされた。
  • 9次車 1978年に12編成用の中間車6両が増備され、在来車両も編成ごとに末尾をそろえる改番がなされ、12 - 20編成となった。

4次車以降に導入された車両については、側面窓の天地寸法が小さくなり、座席の背もたれが一般的な大きさ(高さ)となっているのが特徴で、特に01編成 - 04編成については全車小窓の車両で組成された。また、1978年に導入された中間車は車内の化粧板の色が茶系から黄土色に変更されていたり、東西線6000形と同一の名所イラスト入り化粧板を施した車両(2513、2613)も存在するなど、バラエティに富んでいた。

[編集] 廃車

3000形、5000形により順次置き換えられて廃車となっている。1995年から5000形を投入したことにより置き換えは進み、1999年6月を最後に営業運転を終了した[2]。最後に残った編成は06編成[3]で、先頭車両のみ大窓の編成であった。

  • 01編成:1998年11月 5000形15編成と置き換え
  • 02編成:1997年11月 5000形08編成と置き換え
  • 03編成:1996年12月 5000形03編成と置き換え
  • 04編成:1997年12月 5000形09編成と置き換え
  • 05編成:1997年3月 5000形06編成と置き換え
  • 06編成:1999年6月 5000形17編成と置き換え
  • 07編成:1998年10月 5000形14編成と置き換え
  • 08編成:1997年3月 5000形07編成と置き換え
  • 09編成:1997年1月 5000形04編成と置き換え
  • 10編成:1996年11月 5000形02編成と置き換え
  • 11編成:1998年1月 5000形10編成と置き換え
  • 12編成:1998年2月 5000形11編成と置き換え
  • 13編成:1998年8月 5000形12編成と置き換え
  • 14編成:1999年5月 5000形16編成と置き換え
  • 15編成:1998年8月 5000形13編成と置き換え
  • 16編成:1995年10月 5000形01編成と置き換え
  • 17編成:1997年3月 5000形05編成と置き換え
  • 18編成:1990年3月 3000形05編成と置き換え
  • 19編成:1985年3月 3000形03編成と置き換え
  • 20編成:1985年6月 3000形04編成と置き換え

[編集] 保存車

南区にある交通資料館(最寄駅:自衛隊前駅)に1000形1001+1002 (2320+2420) の2両が保存されている。かつては自由に中に入ることができた(乗務員室から中に進む)が、現在は施錠されている。2009年7月18日の交通資料館まつりにおいて時間限定ではあるが公開された。以来、同イベントの催しとして年に一度公開されている。
他の車両は積雪に耐えられず屋外に設置できないこと、車両規格など構造上の問題から転用がきかないために、すべて解体された。

[編集] 脚注

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  1. ^ フォト海道(北海道新聞写真データベース) 札幌地下鉄の事故電車 1971年09月04日[1]
  2. ^ フォト海道(北海道新聞写真データベース) 2000形車両引退 1999年6月28日[2]
  3. ^ フォト海道(北海道新聞写真データベース) 1999年6月24日[3]
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