幸内純一
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幸内純一(こううち じゅんいち、1886年 - 1970年)は大正 - 昭和初期に活躍した漫画家、アニメーション演出家である。
[編集] 略歴
1886年、岡山生まれ。20歳頃に上京し、太平洋洋画会で絵画を学ぶ。
1907年12月、東京パックに入社。日本初の職業漫画家である北澤楽天の門下生として政治漫画を描く。東京パックでの弟子は、日本アニメで功績を残した大藤信郎らがいる。
漫画家として人気が出てきた1916年、日本最初のアニメーション映画の製作を目指していた小林喜三郎にスカウトされ、映画製作会社の小林商会に入社する。小林よりアニメの製作を依頼される。
苦労の末、1917年に第1作の『なまくら刀』を完成させる。この作品は同年6月30日に『塙凹内名刀之巻』と改題されて劇場公開される。日本最初のアニメーション映画、下川凹天氏の『芋川椋三玄関番之巻』に遅れる事5ヶ月である。この作品は当時の映画雑誌『活動之世界』にて映画評が掲載されるが、これが文献に載るアニメ評の最古といわれている。
1918年に小林商会が経営難で映画製作を中止すると漫画家に戻り、「毎夕新聞」で政治漫画を描く。
1923年に「スミカズ映画創作社」を設立し再びアニメ製作を開始。主に政党のPRアニメを製作する。1927年に漫画家に戻ったが、1930年にアニメの製作を再開。トーキーアニメの『ちょん切れ蛇』を製作したが、この作品を最後にアニメ制作を辞める。
1932年、読売新聞社に入社し風刺漫画を描く。後に『時事新報』絵画部長となる。
1970年に亡くなる。
2007年7月に大阪の骨董市で映像文化史家の松本夏樹が映写機と紙製の箱に入ったフィルムを購入した際、『塙凹内名刀之巻(なまくら刀)』と北山清太郎の『浦島太郎』(1918年公開)のフィルムが発見された。
デジタル技術で修復され、2008年4月24日から開催された「発掘された映画たち2008」で上映される予定。
