三菱自動車倉敷オーシャンズ
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(倉敷オーシャンズから転送)
| チーム名(通称) | 三菱自動車倉敷、倉敷オーシャンズ |
|---|---|
| 加盟団体 | 日本野球連盟 (社会人野球) |
| 加盟区分 | クラブチーム |
| 創部 | 1947年 |
| チーム名の遍歴 | 三菱重工水島硬式野球部(1947年~1969年) →三菱自動車水島硬式野球部(1970年~2003年) →三菱自動車水島硬式野球クラブ(2004年) →倉敷オーシャンズ(2004年~2008年) →三菱自動車倉敷オーシャンズ |
| 本拠地自治体 | 岡山県倉敷市 |
| 練習グラウンド | 三菱自動車水島グラウンド |
| チームカラー | 青色 |
| 監督 | 小崎雅春 |
| 都市対抗野球大会 | |
| 出場回数 | 7回 |
| 最近の出場 | 2004年 |
| 最高成績 | 4強1回 |
| 社会人野球日本選手権大会 | |
| 出場回数 | 6回 |
| 最近の出場 | 2007年 |
| 最高成績 | 8強1回 |
| 全日本クラブ野球選手権大会 | |
| 出場回数 | ※出場資格なし |
三菱自動車倉敷オーシャンズ(みつびしじどうしゃくらしきオーシャンズ)は岡山県倉敷市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球のクラブチームである。
目次 |
[編集] 略歴
1947年に「三菱重工水島」として創部し、中国地方の有力チームとして活動していたが、2001年オフに断行された三菱自動車の野球部統廃合の一環として、2003年からは同一の名称でクラブ化、日本野球連盟にもクラブ登録されることとなった。
クラブ化されて本社からの財政的援助が受けられなくなり、また、2004年に発覚した三菱自動車の一連の不祥事を受け、同年の都市対抗野球の本大会出場を決めた直後、チーム名を「倉敷オーシャンズ」に変更し、本大会で1回戦を突破した。
2007年、同じ倉敷市内で活動する2年目の倉敷ピーチジャックスに都市対抗の岡山県・鳥取県1次予選で敗れ、21年ぶりの1次予選敗退という屈辱を味わったが、その雪辱に燃えた日本選手権予選では倉敷ピーチジャックスを破り、中国地区予選でも全勝で本大会出場を決めた。
三菱自動車水島時代にユニフォームにプリントされていたスリーダイヤのマークは、倉敷オーシャンズとなった現在も袖の部分に小さくプリントされている。 「三菱の名前で応援したい」という社員の声により2009年から「三菱自動車倉敷オーシャンズ」に変更し、5年ぶりに三菱の名前が復活した。
[編集] 設立・沿革
- 1947年 三菱重工水島工場内で「三菱重工水島」として創部
- 1970年 三菱グループの自動車製造分社化に伴い、チーム名を「三菱自動車水島」に変更
- 1986年 日本選手権初出場
- 1990年 都市対抗野球初出場
- 2003年 クラブ登録(チーム名は変更せず)
- 2004年 チーム名が「三菱自動車水島硬式野球クラブ」に変更、都市対抗野球中国地区予選後、チーム名を「倉敷オーシャンズ」に再変更
- 2009年 社員の声により「三菱自動車倉敷オーシャンズ」にチーム名が変更
[編集] 主要大会の出場歴・最高成績
(「三菱自動車(重工)水島」時代も含む)
- 都市対抗野球 出場7回、4強1回(1999年)
- 日本選手権 出場6回、8強1回(2001年)
- JABA岡山大会 優勝1回(2000年)
- JABA京都大会 優勝1回(2000年)
- JABA徳山(スポニチ)大会 優勝1回(1995年)
[編集] 主な出身プロ野球選手
- 松岡弘投手(1967年サンケイドラフト5位)
- 八木裕内野手(1986年阪神ドラフト3位)
- 岩田徹外野手(1988年阪神タイガースドラフト4位)
- 入来智投手(1989年近鉄ドラフト6位→広島→近鉄→巨人→ヤクルト→韓国・斗山→台湾・LA NEW)
- 小牧雄一捕手(1990年日本ハムドラフト5位)