伊那中央病院

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伊那中央病院
情報
前身 伊那市営伊那中央総合病院
標榜診療科 内科、神経内科、呼吸器科、消化器科、循環器科、小児科、外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科
許可病床数 394床
一般病床:390床
感染症病床:4床
機能評価 一般200床以上500床未満:Ver6.0
開設者 伊那中央行政組合
管理者 本郷一博(院長)
地方公営企業法 一部適用
開設年月日 平成15年4月
所在地
396-8555
長野県伊那市小四郎久保1313番地1
位置 北緯35度51分21秒 東経137度57分17秒 / 北緯35.85583度 東経137.95472度 / 35.85583; 137.95472
二次医療圏 上伊那
PJ 医療機関
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伊那中央病院(いなちゅうおうびょういん)は、長野県伊那市にあり、伊那中央行政組合が運営する病院である。上伊那地域の中核的な医療機関である。また、災害拠点病院(地域災害医療センター)に指定されている。上伊那地域のみならず、権兵衛トンネルの開通により木曽地域からも患者が来院する。

診療科目[編集]

沿革[編集]

  • 1947年7月 - 上伊那郡伊那町 (当時) 錦町に町立伊那中央病院開設
  • 1951年11月 - 同町天竜町に移転、一般病床36床、結核病床16床
  • 1952年8月 - 一般病床22床増床。中央病棟増築、伝染病棟増築
  • 1957年7月 - 名称を伊那市営伊那中央総合病院に変更[注釈 1]
  • 1958年5月 - 一般病床115床、結核病床56床、伝染病床33床、総病床数204床に変更許可
  • 1963年6月 - 一般病棟147床、結核病棟56床、伝染病胸33床、総病床数236床に変更許可
  • 1976年10月 - 一般病棟250床、結核病床50床、伝染病胸33床、総病床数333床に変更許可
  • 1981年5月 - がん診療の中核病院に指定される
  • 1982年4月 - 結核病床を一般病床に使用許可。一般病床300床、伝染病床20床、総病床数320床
  • 1997年1月 - 地域災害医療センター(災害拠点病院)に県から指定される
  • 1999年3月 - 伝染病予防法の廃止に伴い伝染病床20床廃止
  • 1999年4月 - 県より第二種感染症指定医療機関として4床指定
  • 1999年12月 - 医療相談室開設
  • 2000年7月 - 現在地において新病院起工式並びに 開院記念祭開催
  • 2000年10月 - 医療材料管理システム(SPD)稼働
  • 2001年12月 - 新病院・医師住宅看護師宿舎建設工事安全祈願祭
  • 2002年2月 - 新医事会計システム稼働
  • 2002年4月 - 新病院開設準備室設置
  • 2003年4月 - 天竜川河岸段丘上の現在地へ移転。5市町村 (伊那市、高遠町、長谷村、箕輪町南箕輪村) の組合立病院として再発足。認可病床:344床。20診療科。常勤医による地域救急医療センターの開設
  • 2004年9月 - 4床増床し、総病床数348床(一般344床、感染4床)
  • 2005年12月 - 災害医療研修棟を増設
  • 2006年4月 - 46床増床し、総病床数394床(一般390床、感染4床)
  • 2008年3月 - 4西病棟改修 (分娩室1室増)
  • 2008年4月1日 - 里帰り出産受け入れ中止 (昭和伊南総合病院、辰野総合病院も同様。緊急時を除く。)。小児科は、要望により応じていた夜間および休日の診療を中止。[1]
  • 2008年9月 - 産婦人科外来診療棟増設
  • 2009年3月 - 総合情報システム (電子カルテ) 稼動 地域周産期医療センターに指定される
  • 2009年4月 - 地域がん診療連携拠点病院に指定される
  • 2012年4月 - 救命救急センターに指定される [2]
  • 2016年7月 - 里帰り出産受け入れを再開

病棟・設備[編集]

現在(2008年9月)

  • 東病棟(3階~6階部分が病床)
  • 西病棟(3階~6階部分が病床)

基本は4床室である。特別室と3種の個室がある。

  • ヘリポート

一般施設[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 市制施行に伴う。

出典[編集]

  1. ^ 2008年4月1日 信濃毎日新聞 地域欄
  2. ^ http://www.inahp.jp/0300017.html 2015年11月6日閲覧

外部リンク[編集]