ヤロスラフ2世 (ウラジーミル大公)

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ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ

ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチЯрослав II Всеволодович1191年2月8日 - 1246年9月30日)は、フセヴォロド3世の子、母はチェコ公女マリヤ。キエフ大公としてはヤロスラフ3世と数えられる。ペレヤスラヴリ・ザレスキーで生まれる。ペレヤスラヴリノヴゴロド公、キエフ大公(1236年)を歴任。兄ユーリー2世の死後、ウラジーミル大公(1238年-1246年)。

生涯[編集]

子女[編集]

ヤロスラフは1205年頃にクマン族のハンであるユーリー・コンダノヴィチの娘と最初の結婚をした。この妃はキプチャク族の血を引いており、トルコ系の好戦的な遊牧民との同盟を構築するためであった。彼はその後、1214年にノヴゴロド公ムスチスラフとクマンの君主コチャン・ハンの娘との間に生まれたロスチスラヴァと再婚したが、2年後には離別している。

1218年、ヤロスラフはリャザンのイーゴリ・グレボヴィチ公子の娘フェオドーシヤを3度目の妻に迎えた。彼女の父イーゴリ・グレボヴィチはリャザン大公グレプ・ロスティスラヴィチの次男で、母アガフィヤはロスチスラフ1世の娘である。彼女との間には少なくとも12人の子供をもうけた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ この戦いの詳細はru:Сражение на Омовжеを参照。

出典[編集]

  1. ^ 山内進『北の十字軍』p148

参考文献[編集]

  • 山内進 『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』講談社、1997年。


先代:
ウラジーミル3世
キエフ大公
61代
1236年
次代:
ミハイル2世
先代:
ユーリー2世
ウラジーミル大公
5代
1238年-1246年
次代:
スヴャトスラフ3世ロシア語版英語版