グレプ (キエフ大公)

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グレプГлеб Ю́рьевич, ? - 1171年1月20日)は、キエフ大公。在位:1169年-1171年。父はユーリー・ドルゴルーキー。妻はキエフ大公イジャスラフ3世の娘。

ユーリー・ドルゴルーキーの第七子として生まれ、1147年の年代記記事に初めて登場する。

1149年に父ユーリーが大公位に就くと、彼はカネフを与えられる。

1151年にはペレヤスラヴリを獲得する。

1154年にはキエフを包囲するがこれに失敗する。

1160年にはペレヤスラヴリに援助を求めてきた岳父イジャスラフ3世を追い払う。

1168年には他の公と共にポーロヴェツ(クマン人)に遠征し、彼らを打ち破る。

アンドレイ・ボゴリュプスキーと共に、1169年にキエフを攻め、その陥落後に、兄により、キエフ大公位につけられる。

1170年には、ムスチスラフ(2世)によるキエフへの行軍を知り、キエフを捨ててペレヤスラヴリに退却、ムスチスラフの撤退後には再度キエフの大公位につき、そのまま1171年に死去。

彼の死後、キエフをドロゴブシウラジーミルが短期間占領する。

先代:
ムスチスラフ2世
キエフ大公
39代
1169年 - 1171年
次代:
ウラジーミル