モジャーヘディーネ・ハルグ
| モジャーヘディーネ・ハルグ سازمان مجاهدين خلق ايران |
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| イラン革命 イラン・イラク戦争に参加 |
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| 活動期間 | 1965年- |
| 活動目的 | 世俗主義 シーア派社会主義 イスラム共和制の打倒 |
| 指導者 | マルヤム・ラジャヴィー、マスード・ラジャヴィー |
| 活動地域 | フランス、イラク |
| 関連勢力 | サッダーム・フセイン政権 |
| 敵対勢力 | イラン現政権 |
モジャーヘディーネ・ハルグ(英語:People's Mujahedin of Iran、PMOI、MEK、MKO とも。ペルシャ語:سازمان مجاهدين خلق ايران、ラテン文字転写:sāzmān-e mojāhedin-e khalq-e irān)は、イランの反体制武装組織。シーア派社会主義を掲げ、現在のイランのイスラム共和制に基づく政権と厳しく対立している。日本語ではムジャヒディン・ハルク、イスラム人民戦士機構などと表記される場合もある。
目次 |
[編集] 概要
1965年、親米派の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーの権威主義独裁的統治や資本主義、帝国主義に反対するグループとして結成された。イランの国内多数派シーア派の教義とマルクス主義を融合させた独自の反米的なイデオロギーに基づく武装闘争を展開し、左翼ナショナリズムの色彩が強かった。
1979年、イラン革命で重要な役割を果たしたものの、後にはアボルハサン・バニーサドル初代大統領の国外脱出を支援するなどルーホッラー・ホメイニーが指導するイスラム共和制に反対する立場に転じ、モハンマド・アリー・ラジャーイー大統領を暗殺するなど政権へのテロリズム・ゲリラ活動を開始。1980年から1988年のイラン・イラク戦争においては「敵の敵は味方」とばかりにサッダーム・フセインの庇護を受けてイラクの側に立って参戦した(このためイラン国内では売国奴視されるようになった)。イラクではバグダッドの北にあるキャンプ・アシュラフを軍事拠点として、約5000名の兵力を有していた(特に女性の兵士が目立った)。しかし2003年のイラク戦争によって、この最大の拠点を失った。それでもイランで最大の反体制組織とみられており、イランの民主化・社会主義化、イスラム共和制の打倒と世俗主義化、女性の地位向上などを求める活動を政治部門である「イラン国民抵抗評議会(NCRI)」を中心に行っている。
2003年以降は、公然の武力闘争を行っていない。2009年には欧州連合(EU)のテロ組織リストから除外され、2012年にはアメリカでもテロ組織指定を解除された。一方、カナダ、イラク、イランでは、依然としてテロ組織とみなされている。特にイラン国内では、現政権と批判勢力の双方から、「偽善者たち」という蔑称で呼ばれている。
2010年7月11日、イラク高等法廷はモジャーヘディーネ・ハルグのメンバー39人に対して「1991年に起きたシーア派住民によるサッダーム・フセイン政権に対する反政府蜂起をイラク軍と共に弾圧し、人道に対する罪を犯した」として逮捕状を出した。39人の容疑者リストの中にはPMOIの指導者であるマスード・ラジャヴィーと妻のマルヤム・ラジャヴィーも含まれている。[1] 容疑者のうち、軍事部門を指導していたマスード・ラジャヴィーは2003年以降姿をくらませているが、政治部門を指導するマルヤム・ラジャヴィーはフランスを拠点に活動を続けている。
[編集] 注
- ^ http://www.reuters.com/article/idUSTRE66A17D20100711 Iraqi court seeks arrest of Iranian exiles