マリオ・バーヴァ

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マリオ・バーヴァ(またはバーバMario Bava, 1914年7月30日 - 1980年4月25日)は、イタリア映画監督撮影監督。イタリア・ホラー映画黄金時代を築いた1人として知られている。

生涯[編集]

マリオ・バーヴァはリグーリア州サンレーモ(サンレモ)で生まれた。父親のエウゲニオは彫刻家で、イタリア無声映画期の特殊効果撮影のパイオニアで、後にはカメラマンにもなった。最初バーヴァは画家になろうとしたが、絵で生計を立てていくことが出来ず、父親と同じ映画業界に入った。マッシモ・テルツァーノら撮影監督の助手となり、同時にムッソリーニの映画製作所、ルーチェ研究所の特殊効果部長をしていた父親の仕事を手伝った。

1939年、バーヴァは撮影監督として独立し、ロベルト・ロッセリーニの2本の短編映画を撮った。1940年代初期には長編映画も担当した

1960年、バーヴァはイタリア・ゴシックホラー映画『血ぬられた墓標』を監督した。この映画はバーバラ・スティールを一躍スターにしたばかりでなく、白黒フィルムの光と影の使い方で高い評価を受けた。続く『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』(1963年)、『白い肌に狂う鞭』(1963年)ではカラー映画での評価を得た。

バーヴァ作品は後の映画に大きな影響を与えた。たとえば、『知りすぎた少女』(1963年)はイタリア・ジャッロ映画の最初の1本と呼ばれ、SFホラー『バンパイアの惑星(恐怖の怪奇惑星)』(1965年)は『エイリアン』(1979年)に大きな影響を与えたと言われている。ハリウッドでは漫画を原作にした子供向けのシリーズものが作られたが、バーヴァは『黄金の眼』(1968年)で、漫画原作でも大人向けの映画が作れる可能性を示した。一方、1971年の『血みどろの入江』はスプラッター映画の最初期の1作と見なされている。さらに、マーティン・スコセッシなど多くの人々がバーヴァの最高傑作と評価している1966年の『呪いの館』は、Jホラー(en:J-Horror)などアジアのホラー映画のじわじわと迫る恐怖描写にその影響が見受けられる。

1980年、バーヴァは心筋梗塞のため、ローマで亡くなった。息子のランベルト・バーヴァen:Lamberto Bava)は、父親の助監督を数年勤めた後、監督になり、『デモンズ』、『デモンズ2』などのホラー映画を撮った。マリオ・バーヴァはいくつかの作品で、ジョン・M・オールドJohn M. Old)という名前を用いていて[1]、ランベルトも時々ジョン・M・オールドJrとクレジットしている[2]

マリオ・バーヴァに関する本が数冊出版されている。Pascal Martinetの『Mario Bava』(1984年、Edilig)、Jean-Louis Leutrat編『Mario Bava』(1994年、フランス、Éditions du Céfal)、Alberto Pezzotta『Mario Bava』(1995年、イタリア、Il Castoro Cinema)、Troy Howarth『The Haunted Worlds of Mario Bava』(2002年、Fab Press)、Tim Lucasによる分厚い評伝『Mario Bava All the Colors of the Dark』(2007年、Video Watchdog)[3]などである。

主な監督作品[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • Mario Bava Maestro of Macabre (2001), directed by Garry S.Grant
  • Mario Bava Operazione paura (2004), directed by Gabriele Acerbo & Roberto Pisoni
  • Mario Bava All the Colors of the Dark (2007) by Tim Lucas
  • Le ombre della paura - Il cinema italiano del terrore 1960/1980 (2002) by Paolo Fazzini & Marco Cruciani

外部リンク[編集]