バーニー・ウォーレル

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バーニー・ウォーレル(Bernie Worrell、1944年4月19日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャンキーボーディストオルガニストアレンジャーニュージャージー州ロングビーチ生まれ、ニュージャージー州プレインフィールド育ち。Pファンク主要メンバーの一人。

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[編集] 来歴

バーニーはトラック運転手の父と、教会で歌う歌手で家政婦の母の子として生まれた。3歳からピアノを習い、4歳で初めてのコンサートを行い、8歳でピアノ協奏曲を自作し、10歳でワシントン・シンフォニー・オーケストラと共演するなど早熟・天才として知られ、また絶対音感の持ち主であった。8歳でニュージャージー州プレインフィールドに移住した。プレインフィールドでは母の目を盗んでジョージ・クリントン床屋に通い、ジョージとザ・パーラメンツのために譜面を読み書きしてあげたりしていたという。高校卒業後ジュリアード音楽院でプライベートレッスンを受けた後、アメリカ名門音楽院の一つであるニューイングランド音楽院に進学し、クラシック音楽を学んだ。同院在学中にバーニーは、ナイトクラブでR&Bやジャズも演奏し、またチュビー&ザ・ターンパイクス (Chubby & The Turnpikes) というグループで演奏した。このグループは後のタヴァレス (Tavares) である。同院卒業後はソウル歌手マキシン・ブラウン (Maxine Brown) のバンドリーダーを約5年間務めた。1969年ジョージ・クリントンに勧誘され、ジョージ率いるファンク・ロックバンドファンカデリックのファーストアルバム『ファンカデリック Funkadelic 』の録音に参加した。そして1970年発表のファンカデリックのセカンドアルバム『フリー・ユア・マインド Free Your MInd...And Your Ass Will Follow 』から正式にバンドのメンバーとしてクレジットされるようになった。またファンカデリックと同じメンバーからなる別名のファンクグループ「パーラメント」においてもキーボーディストとして活躍した。このファンカデリックおよびパーラメントの作る音楽をPファンクと呼ぶ。

バーニーはPファンクにおいて、ピアノ、ハモンドオルガンモーグ・シンセサイザーを駆使し、まさに革新的・独創的な音作りを行った。その他シンセサイザーによるストリングアレンジその他Pファンクの音作りの根底を築いた。その他、Pファンクの周辺グループであるブーツィーズ・ラバー・バンドブライズ・オブ・ファンケンシュタインにも参加し、メンバーの出入りの激しいPファンク軍団において最初から最後まで参加した、最も重要な中心人物である。

1980年代に入るとPファンクの活動は急速に収束した。バーニーは1980年代トーキング・ヘッズの準メンバーとして活躍した他、キース・リチャーズ等、数多くのミュージシャンと共演、客演し、非常に数多くのアルバムを残している。2004年には、ベーシストのレス・クレイプール、ギタリストのバケットヘッド、ドラマーのブライアン・マンティアとコロネル・クレイプール・バケット・オブ・バーニー・ブレインズを結成し、アルバムを発表している。

2007年8月3日、タワー・レコード渋谷店にてフリー・インストア・ライヴを行った。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] ソロアルバム

  • All the Woo in the World (Arista Records, 1978)
  • B.W. Jam (Rock the House) (Rhino, 1990)
  • Funk of Ages (Gramavision, 1991)
  • Pieces of Woo: The Other Side (1993)
  • Blacktronic Science (Gramavision, 1993)
  • Free Agent: A Space Odyssey (Black Arc, 1997)

[編集] ファンカデリック

全てのファンカデリックのアルバムに参加。

[編集] パーラメント

全てのパーラメントのアルバムに参加。

[編集] その他の代表的参加アルバム

トーキング・ヘッズ
  • The Name of This Band Is Talking Heads (Sire Records, 1982)
  • スピーキング・イン・タングス Speaking In Tangs (Sire Records, 1983)
  • ストップ・メイキング・センス Stop Making Sense (Sire Records, 1984)


[編集] 外部リンク

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