ノートルダム大聖堂 (パリ)

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パリのセーヌ河岸
フランス

パリのノートルダム大聖堂
パリのノートルダム大聖堂
(英名) Paris, Banks of the Seine
(仏名) Paris, rives de la Seine
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(ⅰ),(ⅱ),(ⅳ)
登録年 1991年
拡張年  
備考  
公式サイト ユネスコ本部(英語)
地図
ノートルダム大聖堂 (パリ)の位置
世界遺産テンプレートを使用しています
  

パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム寺院とも) はゴシック建築を代表する建物であり、フランスパリシテ島にあるローマ・カトリック教会大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコ世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。

目次

[編集] 建物

ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年

ファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものである。1831年ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(「ノートルダムのせむし男」)の舞台になった。

[編集] 歴史上のノートルダム大聖堂

1804年5月28日に帝政を宣言したナポレオン・ボナパルトの戴冠式は1804年12月2日にノートルダム大聖堂で行われた。

[編集] その他

パリから各地への距離を表すときの起点はノートルダム大聖堂の前となっている。

[編集] 関連項目

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