ドミノ理論
ドミノ理論(ドミノりろん)は、ある一国が共産主義化すれば、ドミノ倒しのように近隣諸国が次々と共産主義化してしまうという、冷戦時代のアメリカ合衆国における外交政策上の理論である。実際に起こった現象についてはドミノ現象と呼ぶ。
転じて、一度ある事件が起これば、次々と連鎖的にある事件が起こるとする理論、例えば「真にドミノが倒れる」確率に言及することなく、「風が吹けば桶屋が儲かる」式、またバタフライ効果理論を展開することも「ドミノ理論」と呼ばれる。ドミノ理論は、検証や論理の正確性を欠く場合は、誤謬や詭弁だと見なされる場合もある。
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[編集] 発端
「ドミノ理論」という語は、1954年に、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領とジョン・フォスター・ダレス国務長官によって主張された。ドミノ理論は、冷戦時代のアメリカ合衆国の外交政策決定に関わる人々の間で、支配的な考え方であった。アメリカ軍によるベトナム戦争への介入にも、この理論が用いられた。
[編集] 論争
ドミノ理論の妥当性について、1975年の南ベトナムの共産化の後に新たに共産化した東南アジアの国はないため、東南アジアにおけるドミノ理論は西側陣営にとって杞憂であったとする見方がある。
一方、稲垣武は北ベトナムの軍事圧力でラオスおよびカンボジアといったインドシナ半島諸国が共産化したことがドミノ理論の裏付けであるとし、軍事介入で10年間持ちこたえたからこそ東南アジア全体の共産化が阻止されたとする[1]。ただしこの場合アメリカが、それらの国で見境いなく反共主義側を支援した(挙句の果てに内戦に発展した)事が、逆にそれぞれの国で共産主義勢力の台頭を招いたと言う側面もあるという事を留意する必要がある。
各国一斉に体制が変更される場合はそれなりの共通の下地があるため、近隣諸国からの影響が体制の変更を促進することは否定できないとする見方もあるが、それがどれほど決定的なものであるかについては定説はない。
[編集] その他の用例
- 元の意味とは違うが、イラク戦争で、イラク民主化により中東全域に動きが広がることを期待したジョージ・W・ブッシュ大統領の政策を、「(民主化の)ドミノ理論」と形容することがある(実際に動きが起きたのはブッシュが“終結”を宣言してから7年後。しかも親米政権まで打倒されている)。
- ハンガリーやポーランドで起こった「民主化」が、チェコスロバキアや東ドイツへ波及し、最終的には東ヨーロッパで全ての共産党一党独裁国家が倒された1989年の東欧革命は、ドミノ理論が現実化した事件と見なし、「東欧ドミノ現象」と呼ばれることがある。
- (1)1848年革命を引き金とした、ヨーロッパ各国における連鎖的な国民主義の勃興によるウィーン体制の崩壊;(2)辛亥革命に始まり、第一次世界大戦の末期から終結直後に相次いだ革命による君主制国家の崩壊;(3)第二次世界大戦の終結直後に相次いだ、東南アジアにある植民地の独立;(4)1960年以降に相次いだ、アフリカにある植民地の独立(アフリカの年);(5)チュニジアで起こった「民主化」が、エジプトやリビアやバーレーンなど北アフリカと中東に波及し、長期独裁政権が倒されたり揺らいだりしているアラブの春なども、「ドミノ現象」として捉えられることがある。
[編集] 脚注
- ^ 稲垣『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』
[編集] 関連項目
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