トゥールのマルティヌス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
物乞いにマントを割いて与えるマルティヌス

トゥールのマルティヌスラテン語:Sanctus Martinus Turonensis、またマルタン、マルチノとも)は、キリスト教聖人である。殉教をせずに列聖された初めての人物で[1]ヨーロッパ初の聖人でもある[2]

来歴[編集]

316年ごろ、ローマ帝国パンノニア州(現ハンガリー)サバリアに生まれる。397年(一説には400年)にトゥーレーヌカンドで没。ローマ帝国軍の将校であった父の転任で、子供の頃パヴィーアへ移住し、のちにローマ軍に入隊した。所属する連隊が、しばらくしてガリアアミアンに派遣された時、「マントの伝説」が起こる。
ある非常に寒い日、アミアンの城門で、マルティヌスは半裸で震えている物乞いを見た。彼を気の毒に思ったマルティヌスは、マントを2つに引き裂いて、半分を物乞いに与えた。この物乞いはイエス・キリストであったといわれ[2]、これが受洗のきっかけとなり、その後軍を除隊した。マルティヌスが持っていたほうの半分は、「聖マルティヌスのマント」として、フランク王国の歴代国王の礼拝堂に保管された。

ちなみに、フランクの王朝カペー朝」は、マントを意味する「cape」にちなんでいる。礼拝堂(英 chapel、仏chapelle) も、もともとはマントを保管した場所という意味である[3]。除隊すると、マルティヌスは、聖ヒラリウスの弟子となるためにポワティエに向かうも、その前に、両親のいるロンバルディアに行こうとした。しかしアリウス派の信奉者が多く、カトリックを敵視していたため、ガリアへ戻ろうとしたが、アリウス派の勢力により聖ヒラリウスが追放されたことを知り、ティレニア湾に浮かぶガリナリア島(現アルベンガ島)に逃れた。
その後の勅令により、聖ヒラリウスがガリアに戻ったのを知ったマルティヌスは、ポワティエに急ぎ、361年、ポワティエから少し離れた地域(現リグージェ)を教化する許可を得て、多くの修道士が彼の周りに集まった。
これが、西方教会初の修道院、リグージェ修道院である[1]

マルティヌスは、伝道活動も積極的で、病気を治療したともいわれている[2]。371年(または372年)にトゥールの2代目の司教である聖リドリウスが亡くなり、聖職者たちは、マルティヌスに新たな司教への就任を求めたが、あまり乗り気でなかったため、策略が施された。あるトゥールの市民がマルティヌスのもとを訪れ、死期が近い妻に会ってやってほしいと言って、共にトゥールの町に入ったところを、人々の喝采が出迎えたのである[4]。司教となった後も、彼は、マルムーティエ修道院を作り、トゥーレーヌ一帯のキリスト教化の拠点とした。
また、司教管区を離れて、現ドイツ領のトリーアに足を運ぶこともあった。ここはローマの皇帝たちが屋敷を構えたところで、ここで、皇帝に、犯罪者への赦しを請うこともした。異端者とされたイベリア半島の聖職者、プリスキリアーヌスへの赦しをも願ったが、結局は斬首の刑に処せられ、マルティヌスはそのことを大いに嘆いたという。

コルマールの聖マルティヌス教会

ローマへの最後の訪問の後、マルティヌスはカンドに行き、そこで81歳で没した。没年は、397年とも400年ともいわれる。その謙遜と禁欲を重視した生き方は、人々の崇拝の対象となり、偉大な聖人とたたえられた。存命中、あるいは死後に起きた奇跡についての記録も多く、多くの教会や礼拝堂が奉納され、また聖マルティヌスにちなんだ地名も多い。

彼の遺体はトゥールに埋葬され、その上に質素な礼拝堂が建てられた。のちにそれは大聖堂となり、1014年にさらに拡張されたが、1230年に火災で焼け落ちた。その後さらに拡張され、巡礼の中心地となるも、宗教改革により破壊された。教会法にのっとり復元されたものの、今度はフランス革命で大部分が取り壊され、聖堂の跡地には道路が作られた。その後聖堂はマニャン大司教により、小ぶりながらも再建された。

また、1860年の12月、聖マルティヌスの墓所の遺跡からいくつかの破片が見つかった。これらは、現在は聖堂の中に、誰にもわからない形で納められている[5]

聖名祝日11月11日である。この日は命日とも、埋葬された日とも、また誕生日であるともいわれている[2]

守護聖人[編集]

ロワールのブドウ畑

フランス、ドイツの守護聖人である。

また、騎士兵士毛織物関連業者、靴屋、物乞い、家畜、そしてホテル経営者の守護聖人でもある。ロワール川流域でのブドウ栽培の先駆者としても知られ、イタリアではワインの守護聖人ともなっている。また、酩酊を避けたい時にも、この聖人に祈りを捧げる[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 八木谷涼子 キリスト教歳時記 知っておきたい教会の文化 平凡社新書、2003年、238-241頁。
  2. ^ a b c d e 植田重雄 ヨーロッパの神と祭り-光と闇の習俗 早稲田大学出版部、1995年、3‐25頁。
  3. ^ 聖マルタンについて ヨーロッパ歳時記(3) ex.4
  4. ^ トゥールからの使いを避けるため、ガチョウ小屋に身を隠してところ、ガチョウが騒いだため居場所を知られ、司教職に就くことになり、そのためマルティヌスの祝日にガチョウを食べるようになったという俗説もある。各国いまどき報告 ドイツ ごちそうは鵞鳥の丸焼き
  5. ^ CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: St. Martin of Tours

関連項目[編集]

外部リンク[編集]