ジョン・リー・リッチモンド
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | オハイオ州シェフィールド |
| 生年月日 | 1857年5月5日 |
| 没年月日 | 1929年10月1日(満72歳没) |
| 身長 体重 |
5' 10" =約177.8 cm 155 lb =約70.3 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投??打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1879年 |
| 初出場 | 1879年9月27日 |
| 最終出場 | 1886年10月4日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ジョン・リー・リッチモンド(John Lee Richmond, 1857年5月5日 - 1929年10月1日)は、1880年代に活躍したメジャーリーグベースボールの野球選手。主なポジションは投手。アメリカ合衆国のオハイオ州シェフィールド生まれ。左投げ、打席左右は不明。メジャーリーグ史上最初の完全試合を達成したことで知られている。
目次 |
来歴・人物 [編集]
ブラウン大学に在学していた1879年、リッチモンドは在学のままウースターのマイナーリーグ球団にも所属していた。左投げからのカーブを得意としていたリッチモンドは、この年キャップ・アンソンが率いるシカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)とのエキシビション・ゲームで、7回雨天で中止になるまで無安打に抑える投球を披露した。
同年ボストン・レッドキャップス(現アトランタ・ブレーブス)に投手として入団しメジャーリーグにデビューする。ボストンでは1試合だけに登板し、11個の三振を奪って勝ち投手となっている。翌1880年から3年間は、ウースター・ルビーレッグスに所属しチームの主力投手となる。1880年は66試合に登板して32勝32敗、防御率2.15の成績を残している。また救援投手を勤めることもあり、この年3つのセーブを挙げていた(当時は殆どの投手が先発完投していたため、この年のセーブ数3はリーグ最多であった)ことが後の試合記録から判っている。
1880年6月12日、ウースターで行われたクリーブランド・ブルースとの試合で、リッチモンドはメジャーリーグ初となる完全試合を達成した。この試合でリッチモンドは5つの三振を取り、外野へ飛んだ打球はわずか3つしかなかった。そのうちの1つは、右翼手から一塁への送球で打者をアウトにした「ライトゴロ」であった。味方のウースターもこの試合は3安打しかできず、5回に挙げた1点も相手エラー絡みで挙げたものであった。
リッチモンドは次の年の1881年にも25勝を挙げたが、1882年には腕の負傷から大きく成績を落としてしまう。この年は14勝33敗の成績だった。同年ルビーレッグスが破綻したのを受け、1883年にはプロビデンス・グレイズに移籍したが、そこでの登板は12試合にとどまった。元々医師になる志があったリッチモンドは、医学の勉強を続けるための学資を野球で稼ぐつもりだったようで、この年を最後に26歳で一度野球から身を引いた。3年後の1886年に一度現役復帰しシンシナティから数試合に出場するものの、それ以後リッチモンドは医師としての人生を歩み、晩年には大学の教授を勤めている。1929年にオハイオ州で死去。
通算成績 [編集]
投手成績 [編集]
数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
| 登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 191 | 179 | 1583.0 | 75 | 8 | 100 | 3 | 552 | 1763 | 27 | 269 | 2* | 86 | 538 | 3.06 |
獲得タイトル・記録 [編集]
打撃成績 [編集]
- 通算成績:251試合、1018打数262安打、本塁打3、打点113、打率.257
出典・外部リンク [編集]
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