ゲレンジーク

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座標: 北緯44度33分 東経38度05分 / 北緯44.550度 東経38.083度 / 44.550; 38.083

ゲレンジークの紋章
ゲレンジーク湾を見下ろす風景
海鳥が集まる冬のゲレンジークの浜辺

ゲレンジーク(ゲレンジク、ロシア語: Геленджи́к; Gelendzhik)はロシア連邦の南部、クラスノダール地方にあるリゾート都市黒海の北東部のゲレンジーク湾奥にある。人口は50,012人(2002年国勢調査 [1]1989年ソ連国勢調査では47,711人 [2])。

地理[編集]

ゲレンジーク周辺の北カフカス黒海沿岸はロシアのリゾート地帯で、海岸沿いには港湾都市やリゾート都市が数多くある。北西へ31キロメートルのところに軍港ノヴォロシースクが、北西へ71キロメートルのところにリゾート都市アナパが、南東へ93キロメートルのところにリゾート都市トゥアプセが位置する。また、内陸にあるクラスノダール地方の中心都市クラスノダールへは北東へ90キロメートルほど、クリムスクへは北へ43キロメートル。

ゲレンジークの気候はクリミア半島南部の諸都市やロシア南端の都市ソチなどと同じく非常に温暖である。夏は暑くて乾燥しており、秋は温暖で、冬も穏やかで雪はあまり降らない。年平均気温は13.5度。こうした気候のため、海水浴スパなどへロシア各地から観光客が訪れる。

歴史[編集]

ゲレンジーク湾には、古代ギリシア人の小さな前哨があった。紀元前4世紀から紀元前3世紀頃の航海記、『偽スキュラクスのペリプルス』(Periplus of Pseudo-Scylax)ではトリコス(Torikos)と呼ばれている。ヘレニズム期の記録ではこの地に関する言及はないが、紀元前64年古代ローマの記録にはパグラエ(Pagrae)の名で再登場している[3]フン族の侵入によりこうした植民都市は滅ぼされ、さらに Zygii と呼ばれる遊牧民がとってかわった。中世にはジェノヴァ共和国の商人たちがゲレンジーク湾を交易地とし、湾沿いの村をマウロラカ(Maurolaca)と呼んだ。

ゲレンジークのロープウェー
ゲレンジークの南にある大きな奇岩、「帆岩」

ロシア帝国アドリアノープル条約1829年)で北カフカスの黒海沿岸を併合するまで、この地ではオスマン帝国と山岳民族との間で奴隷交易が活発に行われた。特にチェルケス人の若い女性は「チェルケスの美女」としてハレムなどで珍重されたためなどと交換されていた。こうした奴隷市場の町はゲレンジーク(Gelendzhik、白い花嫁)と呼ばれるようになった。1831年、ロシア帝国の新たな国境線を守る黒海沿岸要塞群のひとつがゲレンジークに築かれた。クリミア戦争ではオスマン帝国軍の攻撃で要塞は破壊され放置されたままになっていたが、北カフカスでチェルケス人とロシア帝国との対立が深まったことを背景に1864年にはコサックが再入植し、ゲレンジークスカヤというスタニツァ(コサック集落)となった。ゲレンジーク市の成立は1915年である。

ノヴォロシースクからスフミへ向かう黒海沿岸の舗装道路が開かれると、その沿道にあるゲレンジークでは観光地としての開発が始まった。1900年には最初のサナトリウムが完成した。

ソビエト連邦時代、ゲレンジークは保養所・スパとして開発された。1940年代初頭には年6万人の患者を受け容れていた。

リゾートと産業[編集]

ゲレンジークの経済は観光に大きく依存しており、その他の産業としては食品・建材工業がいくつかある程度である。

現在、スパには砂浜、3箇所のウォーターパーク、2つのロープウェイ、二つの聖堂(1909年と1913年建立)がある。ゲレンジークの周辺には多くのドルメン、樹齢の非常に古い針葉樹の森などがあり、特に17キロメートル南東の海岸沿いにある高さ25メートルほどの帆船ののような岩(パールス岩、скала́ Па́рус、Sail Rock)は名勝として有名である。

ゲレンジークでは1996年から毎年、水上機による航空ショー、Hydroaviasalon(ロシア語: Гидроавиасалон、Gidroaviasalon)が開催されている。トルコとロシアを結ぶ黒海横断天然ガスパイプライン、ブルーストリーム(Blue Stream)はゲレンジーク近郊の海辺の村、アルヒーポ=オシポフカ(Arkhipo-Osipovka)にターミナルがある。

ゲレンジークには連邦高速道路M4とM27が通る。鉄道は通っておらず、最寄り駅はノヴォロシースク駅になる。最寄の空港はアナパにあるが、ゲレンジークにも新空港が建設されている。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Федеральная служба государственной статистики. “Численность населения России, субъектов Российской Федерации в составе федеральных округов, районов, городских поселений, сельских населённых пунктов – районных центров и сельских населённых пунктов с населением 3 тысячи и более человек” (ロシア語). perepis2002.ru (Федеральная служба государственной статистики). 2009年7月31日閲覧。
  2. ^ Всесоюзная перепись населения 1989 г. Численность наличного населения союзных и автономных республик, автономных областей и округов, краёв, областей, районов, городских поселений и сёл-райцентров” (ロシア語). demoscope.ru (Демоскоп Weekly). 2009年7月31日閲覧。
  3. ^ ゲレンジークで発掘された小さな古代ギリシア集落の遺跡について、トリコスの跡地ではないかという学者もいる。パグラエは黒海北部にあったボスポラス王国の東端の町として登場する。これらの町に関する記録は断片的であるため、現在地についての結論はでていない。参照: Онайко Н.А., Архаический Торик. Античный город на северо-востоке Понта. Moscow, 1980.
  4. ^ Town twinning”. www.blythvalley.gov.uk. 2007年6月4日閲覧。

外部リンク[編集]