カール・ヘルマン・フランク

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ナチス・ドイツの旗 ドイツ国の政治家
カール・ヘルマン・フランク
Karl Hermann Frank
Bundesarchiv Bild 121-1354, Karl Hermann Frank.jpg
1942年9月、カール・フランクSS中将(当時)
生年月日 1897年9月15日
出生地 Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア・ハンガリー帝国
カールスバート
没年月日 1946年5月22日(満48歳没)
死没地 チェコスロバキアの旗 チェコスロバキアプラハ
出身校 プラハ・ドイツ大学
所属政党 ズデーテン・ドイツ人党
Reichsadler der Deutsches Reich (1933–1945).svg 国家社会主義ドイツ労働者党
配偶者 アンナ・フランク(旧姓ミュラー)

選挙区 7区(カールスバート
任期 1935年5月19日 - 1938年10月30日

任期 1939年4月28日 - 1945年4月

選挙区 ズデーテン
任期 1938年12月4日 - 1945年5月8日

内閣 ヒトラー内閣
任期 1943年8月20日 - 1945年5月8日
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カール・ヘルマン・フランクKarl Hermann Frank1898年1月24日1946年5月22日)は、チェコスロバキア及びドイツの政治家。ナチス・ドイツベーメン・メーレン保護領親衛隊及び警察高級指導者、ベーメン・メーレン保護領担当国務相を務めた。親衛隊員であり、最終階級は親衛隊大将(SS-Obergruppenführer)、武装親衛隊大将(General der Waffen-SS)及び警察大将(General der Polizei)。なおナチスのポーランド総督ハンス・フランクとは直接の関係はない。

経歴[編集]

オーストリア時代[編集]

オーストリア・ハンガリー帝国カールスバートにドイツ系の小学校教師ハインリヒ・フランク(Heinrich Frank)の子として生まれた。母はパウリーナ(Paulina)(旧姓エーベルハルト(Ebelhart))。父の教育のためにチェコ系住民とユダヤ系住民を激しく憎むようになったという。

1903年から1916年までカールスバートの小学校と人文ギムナジウムに通っていた。この間の1912年にカールスバートのドイツ人青年運動組織「ワンダーフォーゲル(Wandervogel)」の共同創設者となり、1916年までそのリーダーを務め、カールスバートのユースホステルの建設や奉仕活動に励んだ。また1914年から1915年にかけてエガーラントEgerland)での農業奉仕活動の運動のリーダーも務めている。

第一次世界大戦中の1916年にオーストリア陸軍の歩兵連隊に入隊したが、右目が盲目であるため隊を追われた。その後も四回入隊を試みたが、いずれも入隊を拒否されている。結局1916年から1918年まで準軍事組織「青年防衛隊(Jungsschutz)」に入隊した。また1916年から1918年までプラハ・ドイツ大学に在学して法律を学んでいる。ただし学位は取得していない。1917年から1918年にかけてプラハのビジネス大学のコースもとっていた。

チェコスロバキア時代[編集]

第一次世界大戦後、故郷カールスバートはチェコスロバキアの一部としてオーストリアから独立した。フランクは、1918年から1921年までWitkowitzで公務員として働いた後、本屋で働き、1932年からは独立してカールスバートで本屋を経営するようになった。

様々なドイツ系右翼団体に所属して政治活動を行った。1933年10月1日にはコンラート・ヘンラインのズデーテン・ドイツ郷土戦線(Sudetendeutsche Heimatfront、略称SdH)の立ち上げに参加。カールスバートでSdHの準軍事組織の創設にあたった。1935年4月19日にズデーテン・ドイツ郷土戦線がズデーテン・ドイツ人党(Sudetendeutsche Partei、略称SdP)となり、フランクは初期メンバーとして入党(党員番号18)。同党の宣伝・プロパガンダ部門の部長となった。1935年5月19日に行われたチェコスロヴァキア議会議員の選挙ではカールスバートの選挙区からSdPの候補として出馬し当選を果たす。1935年12月にはSdP党首代理(党首はコンラート・ヘンライン)、党中央政治局局長に就任。当初ズデーテンのチェコスロヴァキア残留の立場にあった党首ヘンラインに対してズデーテンラントのドイツ編入の立場に変更させた。

ナチス・ドイツ時代[編集]

1938年10月にズデーテン地方がドイツに割譲されるとヒトラーからズデーテンの国家弁務官大管区指導者に任じられたコンラート・ヘンラインの代理に任じられた。11月1日にはSdPから国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)へ移籍し(党員番号6,600,002)、同日、ハインリヒ・ヒムラーに招かれて親衛隊(SS)に入隊し(隊員番号310,466)、親衛隊少将の階級が与えられた。1938年12月4日にはズデーテン選出のドイツ国会議員となった。

1939年4月28日にドイツに併合されたチェコ(ベーメン・メーレン保護領)の親衛隊及び警察高級指導者となり、ユダヤ人や反体制分子の迫害にあたった。同地の総督ははじめコンスタンティン・フォン・ノイラート男爵であったが、リベラルすぎるノイラートはやがて総統アドルフ・ヒトラーに見限られ、1941年9月に残虐なラインハルト・ハイドリヒが副総督に任命され、同地の実権も彼に移された。フランクはハイドリヒのポジションを狙っていたため、はじめはハイドリヒと対立することがあったが、すぐにハイドリヒにすり寄るようになり、副官として常に傍らに控えるようになった。

そんななかの1942年5月27日にハイドリヒが在英チェコ亡命政府の暗殺部隊に襲撃されて病院へ搬送される事件があった。フランクはただちにチェコ全土に戒厳令を敷き、ハイドリヒが死亡するまでだけでチェコ人157人が銃殺されている。ハイドリヒが死ぬと再度この地の実権を狙ったが、ヒトラーとヒムラーは、ハイドリヒの後任としては秩序警察長官のクルト・ダリューゲを選んだ。新副総督のダリューゲとフランクは、総統命令に基づき、チェコ人に大々的な報復を開始。9月1日までに3188人のチェコ人が拘束され、うち1357人が即決裁判の末に処刑された。特にリディツェ村が徹底的に破壊された。

1943年8月、それまでも実権を奪われていた保護領総督フォン・ノイラートは正式に罷免され、同時に、病を得ていたダリューゲも保護領副総督を含む全官位を辞した。新総督としては前内務大臣のヴィルヘルム・フリックが就任したものの、これは前内相というフリックの地位から見ると事実上の左遷人事であり、彼も保護領の実権を握ることはできなかった。同年8月20日、フランクはヒトラー内閣に新設されたベーメン・メーレン保護領担当国務相(大臣待遇)[1]に就任し、同保護領の実権をほぼ一人で掌握するにいたった。大戦末期におこったプラハ暴動の際にもフランクは残虐な鎮圧を行い、ラジオでは「暴動を起こした者は血の海のなかでおぼれ死ぬこととなる」などと述べている。さらにそのあと連合軍が本格的に接近してきたのを知った人々が、それを歓迎しようと続々と通りに出てくるとフランクはドイツ軍と警察の部隊に発砲を命じ、多くのチェコ人を虐殺した。

フランクは1945年5月9日にプルゼニアメリカ陸軍に投降したが、その身柄はチェコスロヴァキアへ引き渡され、プラハの人民法廷にかけられることとなった。法廷はフランクに死刑を宣告し、パンクラーツ刑務所の中庭において絞首刑に処された。彼の死にざまを一目見ようと刑務所の中庭には5000人もの見物人が集まったという[2]

キャリア[3][編集]

階級[編集]

受章[編集]

参考文献[編集]

  • Mark C. Yerger 著 『Allgemeine-SS』(Schiffer Pub Ltd)66ページ。ISBN 978-0764301452(英語)
  • Charles Hamilton 著『LEADERS & PERSONALITIES OF THE THIRD REICH VOLUME2』p139 ISBN 978-0912138664(英語)
  • Michael D. Miller 著『Leaders of the SS & German Police, Volume I』(Bender Publishing)ISBN 9329700373(英語)
  • Gordon Williamson 著『The SS: Hitler's Instrument of Terror: The Full Story From Street Fighters to the Waffen-SS 』(Motorbooks International)ISBN 978-0879389055(英語)

脚注[編集]

  1. ^ ドイツ政府には「Reichsminister(国家大臣、帝国大臣)」と呼ばれる上級の大臣職のほかに、「Staatsminister(国務相)」と呼ばれる下位の大臣職が存在していた。フランクの地位は国家大臣ではなく国務相であるが、儀礼的には国家大臣級の待遇を受けていた(「Staatsminister im Rang eines Reichsministers」)。
  2. ^ 『Allgemeine-SS』66ページ
  3. ^ 『Leaders of the SS & German Police, Volume I』