パウル・フォン・エルツ=リューベナッハ

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パウル・フォン・エルツ・リューベナッハ
Paul Freiherr von Eltz-Rübenach
Bundesarchiv Bild 183-2005-0119-500, Paul Eltz v. Rübenach.jpg
演説中のリューベナッハ
生年月日 1875年2月9日
出生地 ドイツの旗 ドイツ帝国
Flag of Prussia 1892-1918.svg プロイセン王国
ライン州ケルン
没年月日 1943年8月25日
死没地 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
ヘッセン=ナッサウ大管区リンツ・アム・ライン
称号 一級鉄十字章二級鉄十字章

Flag of Germany.svgナチス・ドイツの旗 ドイツ国郵政大臣兼運輸大臣
内閣 フォン・パーペン内閣
シュライヒャー内閣
ヒトラー内閣
任期 1932年6月1日 - 1937年2月1日
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パウル・フライヘア(男爵)・フォン・エルツ・リューベナッハ(Paul Freiherr von Eltz-Rübenach、1875年2月9日1943年8月25日)は、ドイツの貴族、政治家。爵位は男爵(Freiherr)。

アドルフ・ヒトラー国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)政権の初期において郵政大臣と運輸大臣を務めた。

略歴[編集]

クーノ・フォン・エルツ・リューベナッハ男爵の息子としてケルンヴァーン区に生まれる。ジークブルク人文ギムナジウムで学び、1894年にここを卒業したのち、アーヘンベルリン=シャルロッテンブルクの工科大学で機械工学を学んだ。大学卒業後、鉄道関係の仕事に従事した。1911年から1914年にはニューヨークのドイツ公使館に技術専門家として勤務した。第一次世界大戦にも鉄道関連の業務にあたり、この功績で一級鉄十字章二級鉄十字章を受章している。

第一次世界大戦の敗戦後も鉄道関係の仕事をつづけ、1924年7月にカールスルーエ国家鉄道機構(Reichsbahndirektion Karlsruhe)の社長となる。1932年フランツ・フォン・パーペン内閣とクルト・フォン・シュライヒャー内閣で郵便大臣兼運輸大臣に就任する。

続いて成立したヒトラー内閣でも留任した。しかし、伝統的カトリック教徒であるリューベナッハは、ナチス党国家社会主義思想に対していちいち反抗的態度を取っため1937年には内閣を追われた。後任としてはユリウス・ドルプミュラーが運輸大臣、ヴィルヘルム・オーネゾルゲ(de:Wilhelm Ohnesorge)が郵政大臣に就任した。

その後、ゲシュタポから監視を受ける状態に置かれていたが、戦時中の1943年にリンツ・アム・ラインde:Linz am Rhein)において死去した。

参考文献[編集]

  • Charles Hamilton著「LEADERS & PERSONALITIES OF THE THIRD REICH VOLUME1」p263、264  ISBN 0912138270